春は霞…?
そうでなくとも靄ることの多い瀬戸内です。
昨日は桜がほぼ終わっていて、今日がラストチャンスだとしたら
絶対にここ!という私が大好きな桜のポイントへ行って来ました。
坂出から高松に跨がる五色台の西端、坂出市に属する白峯です。
午後のJALで帰京するため、大急ぎで午前中に行きました。
手前の二つの山ではなく、
海に突き出た先端から右手へと続くなだらかなカルスト台地の五つの峰を
空海が白峰・黒峰・青峰・紅峰・黄ノ峰と名づけたと言われています。
空海が白峯山中に如意宝珠を埋め、閼伽井(あかゐ)を掘り、堂を建立したとか。
白峯寺の境内、白峯御陵の参道手前の枝垂れ桜が満開でした!
そして参道に入ると左手は深い深い谷です。
夕刻に来ると、まるで怪鳥(!?)が唸っているかのような不気味な鳴き声が
聞こえてきたりして、震え上がることも多い空間なのですが、
今日は珍しく午前中に来たためか、おどろおどろしさはありません。
参道から手を伸ばしても届きませんが、すぐそこに、きれいな椿が咲いています。
演奏後、同じ場所で椿を撮ろうとしたら、またしても光の''いたづら''!?
私は日本最大の怨霊として知られる讃岐院→崇徳院へのシンパシーから
帰省の際には可能な限り白峯御陵に参拝し、かつて上皇ご自身も
歌われた神楽歌を奉納演奏させて頂いております。
物騒な話題がつきまといます。そんなものはなかったとする説もあるわけですが、
『保元物語』の内容が事実かどうかよりも、そう噂されたことが重要だと考えます。
まだ"反後白河"勢力が実在していた証拠なので。
3年かけて書写した五部大乗経を京の寺社に納めてほしいとの願いを拒絶。
激怒した讃岐院は舌を噛み切った血で
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と書いたといい、
それを、讃岐院の呪いに象徴させて語り継いだのではないでしょうか?
現上皇ご夫妻も皇太子時代の昭和46年8月5日に参拝されています。
私は使ったことがありません。登ると考えただけで気が遠くなります。
階段の途中に桜の木がありますが、遠くのてっぺんにも並んで見えます。
この時期ならではの景色ですね…。
再びバイクで桜並木を走り抜けて下山します。
下りる途中、先ほど行った白峯御陵下の岩盤(稚児ヶ嶽)が見えました。
まとまった雨が降った時だけ幻の大滝「稚児ヶ滝」が現れるそうです。
この下の、崇徳上皇を火葬した煙がたなびいたという場所に、
上皇の怨念を鎮めるために創建した「煙の宮」こと青海(をうみ)神社があります。
地元の伝承では、荼毘の煙がたなびいて輪を作った中に尊号の文字が現われ、
煙が消えたあと上皇が大切にしていた玉が残っていたため、社殿に宝蔵したとのこと。
左下の桜並木が青海神社の参道です。
白峯御陵下の岩盤を目印に御陵を仰ぎ見たとされるのも青海神社辺りでしょうか?
現在は生活の場となっている低地が入り江だった頃の話です。
「青海」の地名も昔の地形を物語っています。
表記および発音に関しては「あをうみ」→「をうみ」→「おうみ」と
変化したのではないかと想像していますが?
これは、土御門上皇が土佐へ流される途中、わざわざ白峯御陵を船で参拝できる
自分を攻撃する勢力に対しては徹底的に闘わなくてはならないが、
自分を頼ってくる者に対しては子々孫々まで守るのが当たり前と語り、
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昨日の19時、悪路を走ったせいで、いつ壊れてもおかしくない状態に陥った
ZOOMERをバイクプラザ丸亀さんに預け、私はタクシーで帰宅。
朝一番でオイル交換をしてもらい、10時半に引き取ることになりました。
開口一番、「昨日は走ると大きな音がしてうるさかったでしょう?」
「そうなんです、山中でエンストしちゃうんじゃないかと思うくらい…」
「マフラーのボルトが2本とも外れてたので大音響になったんですよ。
うちにあった部品をつけましたから様子を見て下さい」と言われ吃驚!!
今日はいつものZOOMERに戻っていたので快調に走れました。
ステップ台の裏を20回ほど擦った衝撃でボルトが外れてしまったのでしょう。
本当に想像を絶する悪路で、ZOOMERも私も危ういところでした…。