藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

槌ノ戸瀬戸

わが故郷に2つのオニギリ島があります。
五色台スカイラインを北上してゆくと
眼前に2つの島が重なるように見えてきます。
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五色台の突端 大崎ノ鼻から瀬戸内海を見るのが大好きな私。
列島中の突端を見に行きたくなった原点…というか原風景です。
北の大槌島は約170mのピークより北が岡山県で、南が香川県
大槌島の南に位置する高さ112mの小槌島香川県になります。
 
今日は午前中に女木島経由で男木島へ行き、その船で高松へ戻りました。
先ずは高松港からの大槌・小槌です。
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大槌小槌の二島に挟まれた海域を槌ノ戸瀬戸(つちのとのせと)と言い、
古来、鯛や鰆の漁場として知られていました。
そのため、江戸時代には高松藩備前藩の境界争いが絶えず、
児島の菅野彦九郎なる人物が海に樽を流し、その軌跡を藩境にしようと
提案したと言われています。いわゆる「樽流し伝説」ですが、
瀬戸内海には高松藩備前藩の境界争いより強烈なものがあったようです。
この話は次項に譲り、ここでは大槌小槌について書きます。
(↓左端は女木島、小槌島とくっつきそうに近いのが五色台の黒峯の突端 大崎ノ鼻です)
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玉野(岡山県)の伝説に
備前の国に鍛治八百八流があつた昔、児島郡日比に長船鍛治の祖が住んでゐた。
彼は「日比は塩地で鉄を鍛へるのに適さない。ここではもう刀は打つまい」と
金床をとつて海中に投げ、次いで槌を二つ投げたといふ。
それが金床の岨(そは)となり、はるか沖合にとんだ槌が小槌島に、
手前に落ちたのが大槌島になつたといふ。
とあります。
 
同じく玉野の伝説に
大槌島小槌島の間は槌ノ門(つちのと)といひ、瀬戸内海の中でも
深くて潮の流れが速いことで知られてゐた。
宝亀八年のこと。
紀伊の安隆上人が長谷観音のお告げで、
周防の皆足姫とともに観音堂建立するため周防を発つた。
讃岐の国を経て、一行が備前への船旅の途中、槌ノ門にさしかかると
にはかに海が干上がつて龍宮が出現し、中から龍神が現われたさうな。
龍神は上人に犀の角を授けて「この犀の角を埋め、上に観音堂を建立せよ」
と告げ、そのまま消えてしまつた。
とあります。
 
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槌ノ門に龍宮があって龍神が住んでいたとの伝説は讃岐側にもありました。
 
ある年の夏、高松藩は異常な旱魃(かんばつ)に見舞はれて稲が枯れかかり
飲み水にも不自由したため、藩主が宝泉寺の了応和尚に雨乞ひを命じた。
和尚は一度は断つたものの引き受けざるを得なくなり、条件を出した。
「私を堅固な船に乗せて、大槌小槌のあたりまで運んでくだされ」
「それはたやすいこと」と藩主は船奉行を召し、大きい鯨船を用意させた。
16人の船子が和尚を槌ノ門まで運ぶと、
和尚は懐中から書状を取り出し海中へ投げ込んだ。
そして船子に「今から大雨が降るけん、早よ船をもどせ」と命じた。
船子らが「こんな良い天気なのに雨なんか降るもんか」と思いつつ船を
漕ぎ出すと五色台の白峰の山上に黒雲が現はれて一天俄かにかき曇り、
大粒の雨が滝のようにザーザー降つてきた。
雨はそれから三日三晩も降り続いたので枯れかかつてゐた稲が蘇り、
藩主も百姓たちも安堵したといふ。
そこで、ある人が和尚にどんな方法で雨を降らしたのかと聞くと、
龍神に手紙を書いたんぢや。
一筆啓上、讃岐は大日照りで国中が難儀してござる。
ぜひ一雨降らせてくだされ。
もしも、ご承知がなければ、私が参つて話したうござる。と」
と答へたといふ。
 
やはり備前にも讃岐にも大槌小槌の龍宮龍神伝説があったんですね。
讃岐では往古より大槌島小槌島間の槌ノ戸瀬戸の海底に龍宮があると
信じられ、その入り口が現 高松市亀水(たるみ)にあると言われてきました。
しかし「たるみ」に「亀」の字をあてたとは!?
 
「亀」と言えばイソラ(安曇磯等=磯良)の乗り物です。
袋中(1552-1639)上人の『琉球神道記』に
鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。
常州鹿島の海底に居す。
一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。
故に磯良と名付く。
神功皇后三韓を征し給ふときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。
この鹿島。おなじく磯良の変化なり。
とあります。
 
対馬の仁位の海宮(和多都美神社)に、渚に横たわる亀甲のような岩(磯良の墓とも)
があり、磯良明神(=磯良恵比須)と呼ばれています。
その岩に鱗状の亀裂があるのは神話の豊玉姫が蛇体で出産したことに由来すると
され、同じ対馬の琴崎大明神の縁起では海神の姿を「金鱗の蛇」としています。
 
金色と言えば、児島(岡山県)の民話に『金の龍と青い龍』があります。
 
昔々、児島の龍王(209.2m)に住んでゐた青い龍がたびたび児島の村々を
荒らし回つたので、村の人々は大槌島の神に助けを求めた。
金の槌をもつ大槌島の神は金の龍に変身し、青い龍と海上で激しく戦つた。
風雲が渦巻き、雷光が空を走り、大嵐の中、火を吹き、水を放ち、尾が水面を
打つ戦ひの中で、じりじりと追ひつめられた金の龍は島にかくれた。
勢ひづいた青い龍が島を十重二十重にぐるぐる巻き締めつけると、突然
島がぐんぐん膨張し、爆発! 青い龍はバラバラになつて飛び散つた。
龍王山に当つて砕けて水晶となつた青い龍の目玉は、今でも時々みつかる。
青い龍の体は砕けて島々と化したりしたさうで、
下津井の漁師らは海中から引き上げた骨を削つて薬にしていたともいふ。
なほ大槌島のどこかには金の槌があるさうな。
 
こうしてみると、対馬と瀬戸内海にはよく似た伝説があるようです。
そして、瀬戸内海の方が緻密なようにも思えます。
大槌島の真東にある男木島は、かつて大姫島(おぎじま)と書かれ、
小槌島の真東にある女木島は、かつて姪姫島(めぎじま)と書かれて
それぞれ大姫島=豊玉姫命(姉)姪姫島=玉依姫(妹)を祀っていました。
しかも、縦一列に並んだ島の一番北が姉妹の父たる海神=綿津見豊玉彦を祀る
豊島で、現在は「とよしま」ではなく産廃の島「てしま」として有名です。
ちなみに男木島女木島の表記は、陰陽道の考えが入ったことによると
考えられているようです。
 
今一度、神話を整理してみましょう。
山幸彦が漁をしているうちに海幸彦から借りた釣り針を波間で失って
しまったことから初代天皇誕生の物語が始まります。
釣り針探しの相談に海神(わたつみ)の宮へ行った山幸彦に海神の娘 豊玉姫
一目惚れし、父 豊玉彦の許しを得て結婚します。
結婚から3年経ったある日、山幸彦は自分がここへやって来た理由を思い出し
豊玉姫に告げます。すでに山幸彦の子を宿していた豊玉姫が父に相談すると
豊玉彦は海幸彦の釣り針を飲み込んでいた鯛を捕らえて針を取り戻しました。
山幸彦が地上へ戻ると豊玉姫も山幸彦のもと行き、妊娠の事実を告げます。
「海の国で天津神の子を産むのは畏れ多いため、地上の国まで来ました」
と言うと、夫は海辺に鵜の羽を集め、妻のために産屋を造り始めました。
ところが屋根を葺き終わらないうちに産気づいた豊玉姫は、山幸彦に
「決して中を覗いてはいけません」と念を押して産屋に籠もりますが、
こっそり覗いた山幸彦は、八尋和邇(やひろのわに)の姿を見て逃げ出します。
これを知った豊玉姫は産んだ子を残したまま龍宮へ帰ってしまいました。
 
この八尋和邇については、『日本書紀』第五段第六の一書に
「海神が乗る駿馬は八尋鰐で、背びれを立てて橘之小戸に居る」
と書かれています。
言葉のまま受け取ると、豊玉姫豊玉彦の乗り物だったということに
なりますが、そこは神話ですから、八尋和邇すなわち豊玉姫の居る
橘之小戸が龍宮の位置を暗示していると解釈できないでしょうか?
後述するように、瀬戸内海周辺で槌ノ戸瀬戸の海底に龍宮があると
伝承されてきたことと男木島女木島の位置関係が重要なのです。
しかも前述のように、龍宮への讃岐側の入り口が「亀水」!!
 
さて、山幸彦が葺草の代わりに鵜の羽で産屋の屋根を葺いていたら
葺き終らないうちに産まれてきた豊玉姫の子は、その情況のまんま
鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)」と名づけられました。
龍宮へ戻った豊玉姫は、我が子を案じ、妹の玉依姫に養育を託します。
やがて成長した鵜葺草葺不合命は、叔母で育ての親の玉依姫と結婚。
神話は、その第四子 神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)
海道東征ののち大和の橿原で即位して初代天皇になったというものです。
 
海人族の神話では、豊玉姫の子 鵜葺草葺不合命と磯等を付会させることが
多いため、ややこしく見えますが、いずれも創作された話に違いありません。
その神話が何を伝え残そうとして作られたのかが重要(!)なのであって、
記紀をもとに各地で展開された神話にちなむテーマパークや地名をタテに
あらぬことを主張するのは本末転倒かも? と感じます。
 
瀬戸内海では、縦に並ぶ三島に神話の舞台が設定されています。
     ①北の豊島の祭神は豊玉彦。島内には豊玉神社豊玉姫神社
      豊玉姫の出産場所とされる「神子ヶ浜(みこがはま)」があります。
      後者は縄文時代後期から弥生時代以降へと続く遺跡です。
     ②中央の大姫島(男木島)の祭神は豊玉姫豊玉姫神社はもちろん
      山幸彦を祀る加茂神社もあります。
      あとづけっぽい伝承としては、山幸彦と豊玉姫が出会った「神井戸」、
      二人が暮らしたという「殿山(でんやま)」の「御宅(みやけ)」、
      豊玉姫がお産をしたという「こもが浜」などがありました。
     ③南の姪姫島(女木島)の祭神は玉依姫。現 八幡宮玉依姫大明神
      地上に送った玉依姫を龍宮へ連れて帰るために待っていた鰐を祀った
      荒多神社があります。鰐は玉依姫が現れないため石になったのだとか。
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こうしてみると、手前の女木島、次の男木島、その北の豊島
きれいに一列に並んでますね…。
しかも、東経が同じ
大槌島のピーク(133.92)小槌島のピーク(133.92)
大姫島の現 加茂神社(134.05) 姪姫島の旧 玉依姫大明神(134.05)
北緯が同じ
大槌島のピーク(34.41)大姫島の現 加茂神社(34.41)
小槌島のピーク(34.39)姪姫島の旧 玉依姫大明神(34.39)
この四角形の海底に龍宮があるとの設定は出来すぎてますよね。
しかし、そこまで計算できるのが古代海人族の「山当て法」です。
決してオカルトなんかじゃなく、計測し
計算し尽して神社を建てるなんて朝飯前!?
そんな海人族の神話の世界を垣間見ようと対馬に通っていたのに、
もっとずっと精度の高い空間が生まれ故郷にあったとは…。
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今日の舞台はここ男木島フェリーターミナルでした。
男木島で下船しなかったら、男木島からのお客様の乗船時間まで
私一人になったため、《阿知女》と《磯等》を演奏できました!
 
高松駅から宇多津駅までは特急に乗らずとも20分前後です。
帰宅後すぐに掃除機をかけて出かけようとしたら、干してあった
カラリフトン(ベッドの敷きパッドとして使ってる)の吸湿センサーが
通常のブルーからは程遠いベージュになっていました!?
ピンクにまではなっていないと思ったら、裏面はピンクでした。
7月まで放置したら、使えなくなってしまったかもしれません。
すぐに200Vのエアコンなど3台をフル稼働させたので、夜には
寝られるまでに回復してくれるはずと期待しつつ出かけました。
 
大槌小槌を見に大崎ノ鼻へ行く前に立ち寄りたい場所がありました。
何度も行っている白峯寺です。
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ここが本堂だと思い込み、毎度毎度、ここを通って白峯御陵へ直行してました。
それがひょんなことから、家人に「本堂は階段の上だよ」と言われ絶句…。
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頓証寺殿手前の階段を上り、帰りは先ほどの護摩堂の横へ下りました。
本堂の右手にまわって階段を下り始めた時、ニョロニョロ動くものが!?
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演奏中や演奏後にヘビが出て来るのは珍しいことではありません。
が、やはり驚きますね。
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崇徳上皇様の白峯御陵への参道入り口まで来たら、光とカメラのいたづら!?
白峯御陵へも行くべきかと思いましたが、とりあえず白峯寺本堂へ行くという
目的を達成したので、意気揚々と五色台スカイラインを目指しました。
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白峯への道は西側がひらけているため日差しが強く、あっという間に
真っ黒に日焼けしてしまいましたが、青峯から黒峯への道は
木が鬱蒼と繁っていて涼しく、助かりました。
が、眺望も対向車もなく、昔の面影はありませんでした。
展望台らしき所へも行ってみましたが、何も見えません。
諦めて下り始めると懐かしい景色が!?
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大槌だ!
考えてみれば、20年近く来ていませんでした。
ふと左手を見ると、王越山の向こうが瀬戸大橋を臨む絶景ポイントとして
知られる乃生岬(のうみさき)です。
坂出駅までは海岸線沿いに迂回するしかないため、4-50分もかかります。
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おっと、ここでガソリン切れランプが点灯…。
前回、徳島県池田町から帰ってきたあと燃料を補給していませんでした。
ふだん乗っているジャイロキャノピーは、7L以上入るので油断してました。
ZOOMERのガソリンタンクは4.8Lしか入らない上、残量がわかりません。
調子よく走っていたのに、ここからは冷や冷やでした。
やっと乃生岬です。
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右手に大槌小槌と大崎ノ鼻。船が航行しているところが槌ノ戸瀬戸です。
今日は東から、南から、西から見られて大満足でした。
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左手の瀬戸大橋越しに夕日を撮れたら最高なのですが、先ずはガソリンです。
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坂出の市街地は遠し…。
海岸線沿いに坂出を走り抜けたら、画像右寄りが宇多津です。