藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

アヅミノイソラ

先月、初めて女木島・男木島行きのめおんフェリーに乗りました。
大槌島・小槌島の間の「槌ノ戸瀬戸」を見るためです。
当然ながら新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、
高齢者の多い島への上陸は自粛。
デッキを埋め尽くしていた外国人の団体さんがごそっと
下船されたのには驚きました!?
 
それに、いったん下りてしまうと次の船が来るまで
最低2時間は待たなくてはなりません。
泊まることも難しいし、ここは、島から島へではなく、
一島ずつ高松へ戻る方法をとるしかなさそうです。
 
次回は何としても豊島(豊玉彦)へゆかねば! と思っていますが、
男木島(豊玉姫)・女木島(玉依姫)のめおんフェリーとは別会社なので、
いったん高松へ戻って乗り換えるしかありません。
豊玉族を祀るこの3島を周るだけでも最低2日は必要です。
今月は達成できそうにないので、来月も帰省させて貰いますか。
 
出発前に、日本神話のしくみを整理しておきますと。
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ヤマト王権は、先住勢力たる豊玉族(海人族)と、
王権内の有力者たる渡来系百済(大山祇神=三島神)を婚姻関係によって
融合させて統一国家樹立を目指したように見えます。
 
この神話を記紀で定着させると同時に、日本列島を治めるために
各地の豪族の「霊」(言霊)を集める必要があると考えたのは天武天皇
日本書紀』に歌を献上させた国の名が書かれています。
 
天武天皇四年】二月乙亥朔癸未、勅大倭・河內・攝津・山背・
播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張等國曰、
選所部百姓之能歌男女及侏儒伎人而貢上。
 
奉献させた歌の一部は、平安時代に風俗(ふぞく)と呼ばれたり、
神楽歌や催馬楽として整えられたりして、宮廷文化を彩りました。
中でも一条天皇の御代に定められた「御神楽(みかぐら)ノ儀」は、
完全な形ではないにせよ、千年後の現在まで伝承されています。
 
その「御神楽ノ儀」の中で形を変えて何度か歌われるのが
あぢめ おけ」の歌詞で、『梁塵秘抄口伝集』に
諸社國々行處、阿知女於介、是なん神楽根本神語也。
とあります。
梁塵秘抄』は後白河院が編纂に関わっていたとされるため
あぢめ おけ」こそが神楽の根本としての神の言葉だというのは
朝廷の見解と受け取って良いのではないでしょうか。
 
あぢめ=あちめ=阿知女」には諸説ありますが、
定説では「安曇磯等」=海人を統率した安曇氏の祖で海底の神
阿度部(あとべの)磯良。阿度部(あどめの)磯良とも呼び、上記の
神話の系図では、豊玉姫と山幸彦の子とされています。
あどめ」の読みは海に潜る安曇族が歌舞伎役者の隈取りのような
入れ墨を目に施していたことの暗示ではないかと思われます。
 
鎌倉時代末期に成立した石清水八幡宮の『八幡愚童訓』には
安曇磯良と申す志賀島大明神」とあり、福岡市志賀島鎮座の
志賀海神社の祭神であることが明記されています。
 
のちに「阿知女」は「女」なので「アメノウヅメ」とする説が
唱えられましたが、万葉仮名では「お」に「於・意・憶・應」、
「を」に「男・乎・小・緒・矣・遠・尾・呼・雄・麻・袁・越・怨」
等が当てられており、男女の性別を表したものとは考えられません。
ちなみに「め」は甲類が「売・見・女・馬・咩・妻・面」、
乙類が「米・目・将・梅・眼・雨・晩・迷・息・昧」です。
古代の漢字は、意味で解釈せず、発音記号として捉えるべきでしょう。
 
天武天皇十年】三月庚午朔癸酉、葬阿倍夫人。丙戌、天皇御于大極殿
以詔川嶋皇子・忍壁皇子・廣瀬王・竹田王・桑田王・三野王・
大錦下上毛野君三千・小錦中忌部連首・小錦阿曇連稻敷・難波連大形・
大山上中臣連大嶋・大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。
 
氏族としての安曇=阿曇の名は『日本書紀天武天皇の条に出ています。
地名としては渥美半島の「あつみ」や「あつうみ」たる「熱海(あたみ)」、
近江の「安曇川(あどがわ)」など全国的な広がりを見せています。
古代海人族の頭領とも言える安曇氏の祖神を謳った「あぢめ おけ」も
各地で歌われたことでしょう。
そうした海人族を支配下に置くためにヤマト王権は「あぢめ おけ」を
神楽歌《阿知女法(あぢめのわざ)》として祭祀に用いたのではないでしょうか?
 
なお、安曇磯等の名を冠した《磯等前(いそらがさき)》という神楽歌は
貞観元年(859)大嘗祭で演奏したところ、翌日、変事が起こったため
取り上げられなくなったそうです。
私はここに安曇族の失脚が関係していたのではないかと疑っています。
長く、天皇の食事を司る内膳奉膳をつとめた阿曇氏が、その職を
桓武天皇の御代(781-806)に断絶させられていたからです。
さらに807年、桓武天皇の皇子 伊予親王が異母兄 平成天皇への謀反の
疑いをかけられ自害に追い込まれましたが、親王の家庭教師が空海
叔父でもある阿刀大足(あとのおほたり)でした。
伊予親王はのちに無罪と認められ、823年に復位しましたが、
阿刀大足は伊予親王の変に連座させられたためかどうか、
その後は公の記録に名前が登場していません。
 
阿刀氏の氏名発祥地は河内国渋川郡式内社跡部神社(大阪府八尾市)
跡部(あとべ)」とは即ち「阿度部=安曇部」ではありませんか!?
その発音から空海の母方「阿刀(あと)」氏も安曇族と言えそうです。
日本書紀』には「阿刀連」とも「阿斗連」ともありました。
 
妄想と笑われるかもしれませんが、倭琴の旅を始めた当初、
対馬に通い、志賀の海人に関連する神社や祭神の名が
「しきーしかーしこ」と語尾変化していることに気づきました。
その方式でゆくと、
あぢめ=あちめ」は「あづみ=あつみ」「あどめ=あとべ」と
変化してもおかしくありません。
 
こうしてみると、現代かなづかいでは古代の扉は開きませんね。
「地面=めん」「地下=か」の矛盾と同様に
現代かなづかいでは「阿知女=あめ」が「阿知女=あめ」と
表記されるわけですから…。
 
なお、古代のタ行発音は現在の「ta,chi,tzu,te,to」ではなく
「ta,ti,tu,te,to」に近かったそうです。
ダ行も同じく、「da,ji,zu,de,do」ではなく、
「da,di,du,de,do」に近かったとの講義を受けました。
 
サ行発音ともども、これを古代歌謡の演奏基準にしています。
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