藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

火皇子神社 (大森&松崎)

ジャイロのカスタム車(ミニカー仕様)が届いたので、試しにちょっと遠出。
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まだ乗り心地など様子見なので、8~10時間コースは無理です。
よって、これまで見落としてきた場所を拾い歩いてみようかと。
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個人宅にある古墳…ということで素通りしていました。
印西市大森にある「上宿(かみじゅく)古墳」です。
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なになに? 木下(きおろし)貝層から切り出した「貝化石」ですって?!
木下交流の杜歴史資料センターも、編纂された図録も素晴らしく、
先般何を訊いても見当はずれの答えしか得られなかった
某町の歴史民俗資料館とは大違いです。
HPにも個人宅であることを明記され、道路にも案内板が建てられていました。
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敷地内にも(オーナー様の御厚意で)古墳への順路が示されていて、
拝見させて頂けるだけで有難いのに…と恐縮しつつ頭を垂れました。
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石室の中に入って撮られた写真もネット上で見ましたが、モロに貝化石が
浮き出た石室でした。 せやけど、うちはよう入りまへん(←なぜか突然関西弁…)
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貴重なものを見せて頂き、本当にありがとうございました。
次に、同じ台地にある「天神台遺跡」へも立ち寄ってみました。
旧石器~縄文~弥生~奈良・平安時代にかけての石器・土器、
竪穴住居跡などが出ているそうです。
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ところが、「印西中学校の東側別所地区の台地」にあると書かれた
木下別所廃寺跡」が見つかりません。
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ここが印西中学校の東ですが、「天神台遺跡」に隣接しているため
ここもかつての集落跡なのかもしれません。
印西中学校を目指してゆけばわかると思い、調べてなかったので
帰宅後検索したら、印西中学校の南東750mでした。
たとえ現在は石碑しかないとしても、
木下別所廃寺跡」は重要なので、もう一度探しに行きます。
木下別所廃寺跡から出土した鐙瓦に蓮の花の文様がついた瓦は「山田寺式」で、
房総最古の寺とも言われる栄町の龍角寺からも同じ文様の瓦が出土しています。
山田寺式の瓦」とは、蘇我倉山田石川麻呂によって古墳時代後期に建立された
奈良県桜井市山田寺で使われていた「三重圏八葉単弁蓮華文」の文様をもつ瓦です。
さきほどの「天神台遺跡」の画像右寄りのこんもりでも
窪地の斜面にあった3基の曾谷ノ窪瓦窯跡から同じ瓦が出土しているため
当地で焼かれたものと考えられています。
 
とても重要な場所だったのに「印西中学校の東側」に行けばわかると思った私が
浅はかでしたね…。近くに火皇子神社があるのでついでに立ち寄ってみます。
珍しい社名ですが、能登半島でも見かけたことがあります。
能登半島には「氷見」もあり、「ヒノミコ」「ヒミコ」信仰からか
火皇子」も運転手さんは「ヒノミコ」と発音されていました。
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「この先、行き止まり」と書かれた道に入ると、正面に鳥居が見えました。
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変わった〆縄ですね…。扁額も左下に置かれたままだし…。
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落ちて割れちゃったんですね…。
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社殿の前から鳥居を振り返ってみました。
いつものように奥まで行ってみたら、縄文台地が広がっていました。
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まさしく地名の通り「大森」と言いたいところですが、
蘇我氏が多氏に取って代わられたかも知れず…。
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演奏修行していたら、ご近所の方が来られたので、
終了後に祭神についてお尋ねしたら「火の神様だ」と仰います。
「私が調べたら彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)でしたので山幸彦、つまり
豊玉姫の夫だと思って来ました。編玉(あたま)神社の祭神なんですけど…」
「ここは名前も祭神も同じ神社が松崎にあって、そこから来たとも言われてる」
との情報を得ました。
しかし「松崎」は遠すぎる…と思ったら「松崎」違いで、
私が今年の2/2に行ったのは「香取郡多古町東松崎」の松崎神社。
あと「成田市松崎(まんざき)」の二宮神社へも行ってますが、
火皇子神社があるのは「印西市松崎」でした。
ナビで調べたら約20分と出たので、我孫子の遺跡巡りをやめて南下することに。
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ここを通るのは二度目です。大森の鳥見神社へ行ったあと。
2年前はずうっと先を左折して「萩原」の鳥見神社へ行きましたが、
今日はここを右折して北総線を越えて南下します。
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松崎台を過ぎて左折すると、こんもりが見えましたが、まだ向こうの奥です。
クネクネ走っていますと、突然右手に参道が出現しました。
もちろん地図にはありません。
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いったい何の因果でこんなところまで来てしまったんだろう…
と不思議に思いつつも、鳥居を見てひと安心。
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ナビが「右手を進みます」と言うので進んだら社殿まで行けました。
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夥しい数の石祠が境内に並べられていましたが、無視して裏へ廻ります。
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石碑に、杉の御神木が落雷により焼失と書かれていたのは ↑これですね。
しかしながら周囲に桜をはじめ沢山の木があり、素晴らしい社叢でした。
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本殿の裏をまわって拝殿の扁額を撮り、演奏修行させていただきました。
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演奏が終わると光が降り注いできたので慌てて撮りました。
ずっとどんより曇っていたので。
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「ひのみこ」と信じて来たら、当社の読みは火皇子(ひのおうじ)神社…?!
祭神は「火具土神」だそうです。
国生み神話において伊邪那岐伊邪那美の最後の子として登場する「火之迦具土」は
現代においても火伏せの神として秋葉神社愛宕神社などで祀られているそうです。
「山幸彦」とはまったく関係なさそうですね。
いずれにせよ神話は作り話ですし、時代ごとに社名や祭神が変わる場合の方が
多いため、私の興味は専ら、どんな祖先神を祀る人々がどんな暮らしをし、
何の神を奉ずる勢力に滅ぼされたのかの一点に尽きます。
 
そんなことを考えていたら、女性から話しかけられました。
滅多に人と遭遇したりしないのに、今日は2社とも声をかけられました。
「勝手に神楽歌の演奏修行をさせて頂きまして…」と申し上げると、
「お祭りなどもないので有り難いことです」と仰っていただき、
周囲をご案内くださいました。
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社殿の位置から南東に向かって土地が低くなっていってます。
すると、太古、ここは入江だった?
「向こうに藤の花が!! 先週は咲いてなかったんですよ」
ちょうど自生している藤を見にゆきたいなぁと思ってたところでした。
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望遠レンズを持ってないとはいえ、あまりに撮影が下手で何を撮ったかわかりませんね。
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賢くて可愛いワンちゃんに先導してもらいました。
子供時代によく飲まされたドクダミとか、フキとかが自生(?!)していて
まるで故郷へ帰ったかのような錯覚にとらわれました。
有り難い御縁により、さまざまな情報をいただき感謝申し上げます。
大森の火皇子神社でご近所の男性に教えて頂かなければ
松崎まで来ることはなかったのですから、本当に不思議でした。