藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

先崎(まっさき)と別所廃寺跡

日本列島には難読地名が本当にたくさんあります。
そのうえ、異名同音(音楽用語ですが…)も多いので、
文字と発音の両方で確認しないと…
というのが前回(4/27)の教訓でした。
 
千葉県にある「松崎」ですが、
市原市松崎(まつざき)
印西市松崎(まつざき)&松崎台(まつざきだい)
香取郡神崎町松崎(まつざき)多古町東松崎(ひがしまつざき)
と「まつざき」が優勢で、
成田市松崎のみが「まざき」となっていました。
だからと言って、簡単に
「まざき」を単なる訛りと決めつけてよいものでしょうか?
 
帰宅後、地図で「松崎」の分布を確認していたら
「先崎」という住所が目に留まりました。
「せんざき」だよね? と思いつつ
発音を調べたら「まさき」?!
 
訛りの過程なら、「まざき」に近くない?
古代、漢字は、意味とは無関係に発音記号的に使われていたとはいえ、
小字の古い表記を探してもなかなか見つかりません。
下総国では「木下(きおろし)」に関して
もとは「木颪」とも書いたとありました。
「まさき」にもそうしたデータがあると有り難いのですが…。
と言いつつ復習です。
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龍ヶ崎南高校建設のために「舟形山」が削られて無くなりました。
その左手に見えるのが「もえぎ野台団地」で南高の南にかけて広がっています。
宅地開発の際、石棺が2つ出たとの話も耳にしました。
撮影地点は龍ヶ崎南高校の横を走る千葉県道・茨城県道4号線(千葉竜ヶ崎線)ですが、
上の画像に写っていない4号線西側の高台には羽根野台・早尾台の住宅団地が
広がっていて、早尾台には私の好きな花輪台貝塚があります。
かつてはこの台地までが下総国、ここから常陸国の龍ヶ崎へは舟で渡ったそうです。
この台地の宅地化段階で、多くの「塚(蜘蛛塚?)」や「遺跡」が失われたようですが、
人骨が大量に出たと証言する人があっても、そんな記録は易々と見つかりません。
 
ここからは前回(4/27)と同じルートで「大森」を通過。
木下別所廃寺跡は帰りに探します。
4号線をひたすら南下し、前回行った「松崎」のある"シマ"を左手に見ながら左折。
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元々「印旛沼」の干拓地だけあって、水田がイメージをかきたててくれます。
ほどなく右手の台地に上がり、「先崎(まっさき)」まで来ました。
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古い地域らしく、道祖神というか道標のようなものがあちこちにあります。
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おっと、この先は下り坂です。右手を振り返ると鷲神社でした。
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これは想像以上の規模ですね…。1時間半走ってきた甲斐がありました。
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期待が膨らみますが、社殿が鳥居に対し横を向いています。
俗説かと思いますが、そういう神社は祭神が変化していると言う方もおられますね。
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たしかに…。徳川家が関与してましたか。三つ葉葵の紋もついてますし。
なぜに? と考えたら、ほんの100mほど離れた場所に「先崎城」がありました。
すると、あのこんもりは…?
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来た道を引き返してみると、社殿の後方が盛り上がっていました!
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ナビが推奨しない細い道を左折すると社頭へ出られました。
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左が社殿のある境内、右が縄文台地、真っ直ぐ進むと緩やかに下って社頭へ。
この社地は周囲をぐるりと道に囲まれていたのです。
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南西の方角を向く社殿を外の道から撮ってみました。
先住民が8世紀の皇軍か17世紀の徳川軍に平らげられ、
蜘蛛塚の上に神社が再建された? との恐ろしげな妄想が湧いてきます。
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それでも樹齢千年をはるかに超えるケヤキは健在。
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ケヤキの横の石碑や石祠も怖いけど、やっぱり背後のこんもりが…!!
いつも申しますが、自然は素晴らしく、人工的建造物は不気味。
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と言いつつ、この本殿を見に来たのです。
彫刻が葺不合神社の本殿と似ていたので、或いは後藤藤太郎作? と思ったものの
年代が少しだけ早かったようです。二代目後藤藤太郎は生まれていません。
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彫刻をわざわざ群馬県の彫物師に依頼していました。
当時は、柱に龍を巻き付ける意匠が流行していたのでしょうか?
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彫刻は見事でしたが、私はやはり社叢に差し込む自然光が好きですね…。
 
台地から下りたら、18:02でした。
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しかし日没まではまだ時間があります。
木下別所廃寺跡まで約25分と出ました。
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いや、しかし、またしても…未舗装路?! このナビ、絶対におかしいですよね?
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ここが目的地ですって?! あり得ませんね、きっと左の台地の上。
しかしながら、クネクネとかつての水辺を走ってくるうちに
実は木下別所廃寺が「龍角寺」だったとの説が腑に落ちてきました。
「龍」のつく寺社は崖の上に建っている場合が多いので。
 
それに、例の3寺を結ぶ線も木下別所廃寺なら龍角が頭の位置に嵌ります。
腹が「龍腹寺」、尾が「龍尾寺」で、「印旛沼」が腹に入るのです。
龍神は、あくまでも「印旛沼」の主でなくてはなりません。
むろん今の「龍角寺」でも「印旛沼」は腹に入りますが、
頭たる龍角が腹の北東になってしまいます。
未舗装路に入って9分後の18:34。
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いつまで水辺をクネクネ走ればいいんだろう…と思っていた時、
左手に鋭角に曲がる坂が見えました!!
これはもう途中でエンストしようと登るしかありません。
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ああ…この風景です。この片隅に石碑があるらしいのですが、これで十分です。
人工的建造物よりも、訪れた皆さんが撮っておられた風景を見られただけで。
住所は「千葉県印西市別所石神台」だそうです。
寺院「飛鳥+奈良+平安-古瓦+基壇」。亀成川水系。<立地>台地上。<現況>畑。
何とか到達できましたし、「龍角寺」のイメージも湧きました。
今日も無事に往復できて感謝です。