書いてきましたが、今日は「カンノ・カンノウ」です。
讃岐人にとって「カンノ」と言えば神野神社。
実は下総国は強引に終わらせていました。が、ハードルが高そうだったため
残しておいた地名や社名が喉に引っ掛かってるみたいでスッキリしないんです。
「香取海」を走ってます。左手が前回行った「榛谷(ハンガヤ)」の駅家方面かと。
田植えが終わったばかりの田んぼは緑がきれいですね。
ここから約50分後、利根川を渡り ↓ 利根水郷ラインを走っています。
遠いし、道が退屈なので(利根水郷ラインと銘打ちながら、利根川が殆ど見えない)
もう香取方面へは行きたくないと思っていたのに来てしまいました。
ここから15分走って、香取市大根の切手大神に着きました。
切手って、ツッコミたくなりますよね?
しかも地名の「大根(オホネ)」が、古くは「大根」地名だった常陸太田と
関わりがあるという説が!?
駐車スペースが無いため素通りしようとしたら黒アゲハが飛んできました!!
経験上これは素通りできません。裏手にまわってみます。
社殿の裏に停められました。
せっかくなので由緒書など探してみます。
何と「大根上谷津区民」ですって?!
「ヤツ・ヤト」地名じゃありませんか。ますますあやしくなってまいりました。
ある説によると、皇軍に追い詰められた物部一族が秘儀を教えなかった為に腕を
その常陸太田から千葉県佐原に逃れた大根一族にとっての最終決戦地が小見川で、
昔、殿様が馬に乗っていたら、カッパが尾を引っ張って馬を川に引きずり込もうと
したため、手を刀で切り落としたら、カッパが手を返してほしいと頼みに来たので
「切ったら元には戻らない」と言うと、「先祖伝来の手接の秘法がある」とのこと。
そこで、秘宝を授かる代わりに手を返したというカッパ伝説で知られています。
歌舞伎『茨木』では鬼が腕を取り返しに行きますし、鬼と言えば、ヤマト王権は
アイヌ民族を「かだましき鬼」と呼んでいました。先住民に対する侮蔑的な表現かと
思われますが、カッパとは安曇の磯良に象徴される海人族を指しているのでは?
「返す」は「カヤス」とは読みませんが、当て字だったのでしょうか?
「カヤ・カへ」の転換から「アダカヤ・アダカへ」を思い出しました。
(なぜ、ヤ行音↔︎ハ行音なのかが謎ですが…)
「出雲郷」の発音は「イヅモゴウ」ではなく「アダカエ」です(正かなは不明…)。
現代かなづかいの「アダカエ」に「アダカヤ神社」があるというわけです。
大和国に鎮座させられています。
その名を遺す香取市大根に切手大神、そこから直線で1.6kmの同市
返(カヤ)田に出雲絡みの返(カへ)田神社があったというわけです。
やはり古代の人名地名は発音で考えないと大切な情報を見落としかねませんね。
当社はかなり手前に一ノ鳥居があり、社地が相当広そうです。
古社のお約束、崖地に建つ神社でもあります。
また、各所に参道への入口があるようで、「返田神社」の案内板を5,6ヶ所で見ました。
引っ掛かるのは、拝殿中央に社名の扁額がないこと。
明治以前の「返田大明神」の扁額のみが右側に架けられていました。
何でも鎌倉時代の古文書に「返田悪王子社」とあるそうで、
「悪王子」なら「八坂神社」の摂社で素戔嗚尊の荒魂を祀っています。
香取神宮の摂社になっていることから、すったもんだがあったとわかりますね。
神社が苦手な私ですが、堂々たる風格を感じ、演奏修行させて頂きました。
ふと空を仰ぐと黒アゲハが3羽、乱舞していました。
演奏中も私の頭上で踊っていましたが、コトを弾きながら歌っているため撮れません。
久々の黒アゲハとのコラボに気をよくして次の大宮大神へ向かいます。
祭神がスサノヲということで期待しています。
え?! ここ? これは期待以上ですよ!!
右の道を進んで右手を見ると社頭でした。
しかし、この由緒書きはどうでしょう?!
「スサノウ」と「オオナムキ」ですか…(当然ながら正かなは「スサノヲ」と「オホナムチ」ですね)。
明治以降ということになります。
明治に旧村社だったのに、それ以降の分霊とは考えられませんが?
境内に並ぶ夥しい数の祠が、歴史を物語っているのでは?
およよ…?! 何ですか、コレは? 右側にもありましたよ。
鏝絵(こてゑ)の一種でしょうか? 阿吽になっているようです。
出雲大社では本殿の奥(裏)にスサノヲが祀られていますが
当社は主祭神がスサノヲ。ということは、これがスサノヲ…ですか?
道幅の狭い舗装路の、崖っぷちに建つ大宮大神でしたが、
祭事場らしきスペースの隅っこに駐輪させていただきました。
ここ油田(アブラタ)から神生へ行くには先ず台地を下ります。が、先が見えません…。
やっとこさ下りられたと思ったら、その先がもっと大変でした。
この道、トラクター以外で通ってる人いるんでしょうか?
なぜか、先が二つに分かれていますが、やっと次の台地に上がれたようです。
苦節20分!? 「神生(カンノウ)」への道は遠いです。
56号線に出たと思ったら、またすぐに崖っぷちの道へ入ります。
舗装路とはいえ、古代の地形が残っている道を走るのは楽しいです。
そうして台地のテッペンまで来たわけですけど、ナビが直進せよと言います。
でも、この急勾配を下りちゃったら終わり…でしょ?
バイクを左端に寄せてiPadを出そうとしたら
左折したい車が来てクラクションを鳴らされました。
ならば直感を信じて右折しましょう。
しばらく進むと、右側のお宅の前で洗車している方が居られました。
「すみません、このあたりに神社はありませんか?」
「ああ、この奥ですよ」
さらに分岐がありましたが「この奥」と言われたので直進します。
行き止まりなので左手を見たら鳥居がありました!
奥が見えないので入るのが怖いのですけれど、楽しみでもあります。
やっぱり少し似てましたね。
星宮神社の扁額ですが、ちゃんと撮れていませんでした。
演奏修行していたら、社殿右の境内摂社の向こうに人影が見えてビックリ!?
もちろん先方も驚かれたことでしょう。
ちょうど17時半、畑から戻られる姿が見えたんですね。
境内地は広くないのに、鳥居の外は広々でした。
農村舞台なのか、公民館なのかわかりませんが、駐車スペースも十分です。
「神生」の地名の由来はわかりませんでしたが、
では、先住民が暮らしていたであろう台地の空気を吸って帰ります。
素晴らしい参道でした。
再びあの十字路を引き返し、114号線に出ようとしたら「八都(ヤツ)」の字が!!
(常陸国では「夜刀」でしたね。漢字を見れば全く別物ですが?!)
「神生(カンノウ)」のバス停でした。
帰途、ナビを設定するためにiPadを見たら、成田空港方面へ向かう
44号線沿いに五社大神があったので立ち寄ることに。
20分ほど走ると左手に道がありました。恐らくここでしょう。
こういう時、バイクは本当に便利です。
ダイレクトに社殿の横まで来られました。
鳥居からだと階段を下りて平地を歩き、また階段を上がらないといけません。
(かつては階段下まで水が来ていて、川から舟で参拝していた可能性があるかも?)
一応、階段が見える位置まで来てみました。こちらが表参道です。
表参道を通ると、こんな風に社殿が見えてくるわけですね。
社殿に向かって、右側は崖でした。そして左側が裏参道です。
この裏参道の長さからも、かなり広大な森だとわかります。
人の気配もなく、静かだったため、長めの《薦枕》を演りました。
今日は下総国で気になっていた場所をまわれて本当によかったです。
現在の祭神を鵜呑みにせず、ちょっと踏み込めば、天神地祇は
オホヒルメとアマテラス、オホモノヌシとスサノヲ etc.
ちゃんと線引きされていることがわかります。
”勝てば官軍”の法則によれば、公共の交通機関もなく
不便を強いられている場所こそが重要ということになりますね。