藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

《摩周湖》《蒼鷺》のレコーディング

何年ぶりのレコーディングでしょう?
摩周湖》は、何と、3時間半も演奏してしまいました!?
《蒼鷺》が終わった時点で、5時間半経過…していました。
が、ここから更に歌いました!! 結局、7時間たっぷり演奏。
 
伊福部先生は常々「音楽は切ったり貼ったりするもんじゃない」と仰っていました。
ですから、ミスをしないで通せる演奏家じゃないと共演が成立しません。
そこで、今までの伊福部先生のご指導や、私なりの演奏経験を踏まえ、
伊福部先生からの"注文"を完璧にクリアできる方々にお願いしました。
伊福部作品の場合、上手いとか、技術があるとかではなく、
作品への共感度が高くなくては話になりません。
作品にふさわしい音色や表現を求めてチャレンジを続ける私の
伊福部先生への"宿題"提出にお付き合い下さり、感謝にたえません。
 
ピアノの蓼沼明美ちゃんとは藝大在学中から御縁がありました。
藍川の"藍"はタデ科イヌタデ属の一年生植物。別名は、タデアイ(蓼藍)、アイタデ(藍蓼)
紀元前から世界各地で青色の染料として利用されてきた歴史を持ち、
日本では藍染めが始まったとされる奈良時代には広く栽培されていました。
名字だけ見ても縁が深すぎる!?
素晴らしいテクニックと人間性によってのみ紡ぎ出される音楽の深さ、
スリムな身体からは想像できない音と音楽のスケール感、
本当に長いあいだ支えていただき、心から感謝しています。
 
カメラータのページから引用したついでに私のプロフィールも!?
 
オーボエ神農(しんのう)広樹さん。
新日本フィルで首席奏者をつとめておられる大変な怪物(すごく褒めてるつもり!!)です。
明美ちゃん曰く「あの演奏で、うちの息子より若いなんて」!?
いやいやほんまに…。「育雛期の蒼鷺の警戒声に近づけて」とムチャぶりしても
やすやすとイメージを音楽にしてくれます。こんな《蒼鷺》初めてです。
 
そして新日フィル首席コントラバス奏者の竹田 勉さん。
まるでウィーンフィルのメンバーと演ってるみたい!! と思わず叫んでいました。
楽器との一体感や自然に身体が鳴るところがかなり日本人ばなれしている…
と思ったら、藝大卒業後プラハに留学してらしたんですね。
あくせくしない空気感も伊福部作品にピッタリでした。
竹田さんとなら《オホーツクの海》も演りたかったなぁ…と思いましたが、
伊福部先生一押しの戸澤宗雄さんが亡くなられた時点で再演を諦めていました。
演奏とはまさしく一期一会。
演奏家人生の最後を飾るにふさわしい録音になり、幸せでした。
 
では、《摩周湖》と《蒼鷺》を作曲して頂くことになった経緯を、
以前書いた『伊福部昭先生との"時間"』より転載しておきます。
1985年のカーネギーホール公演(TOKYO-NEW YORK 25th SISTER CITY ANNIVERSARY,1985.5.23)
アイヌ叙事詩に依る対話体牧歌》と《土俗的三連画》を演奏させて頂いたことを
御報告した際、「戦前に女声用の歌曲を書かれていたようですが?」とお尋ねすると、
「ソプラノ歌手の荻野綾子さんが札幌で開いた独唱会を聴き、この人に歌って貰おうと
作品を献呈したのですが、北大に入ったばかりの頃の、若書きの曲で、作品と呼べる
代物ではありません。世に出すわけにはいかないので忘れてください」と言われました。
「演奏はしませんので、研究のために楽譜を見せて頂けませんでしょうか?」
「その《平安朝の秋に寄する三つの詩》の楽譜は手許にありません。
代わりに何か、あなたのために歌曲を書きましょう」
「では、ヴィオラと歌の曲をお願いします!!」
我ながら「若造の分際で何を言うか」と呆れてしまいますが、
ちょうど百武由紀さんのヴィオラ・リサイタル(1985.10.3)で演奏する
ブラームスの《二つの歌 Op.91》(Alt. Vla. Pf.)を練習しており、
日本にはなぜこういった歌曲がないんだろう…と感じていたのでした。
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伊福部先生は1940年代に知り合った更科源蔵(1904-1985)氏の『凍原の歌』(1943)から
すでに「怒るオホーツク」と「昏(く)れるシレトコ」を選んで作曲され、
長く「摩周湖」と「蒼鷺」の構想を練ってきたことをお話し下さいました。
そこに突然「ヴィオラと歌の曲」が飛び込んできたからといって、
すぐに御心が動くことはありませんでした。
 
1990年1月13日、
都響日本の作曲家シリーズ「伊福部昭作品集」と題するコンサートで
《日本狂詩曲》(1935)が演奏され、冒頭のヴィオラ・ソロを、当時首席奏者だった
百武由紀さんが弾かれました。
後日、伊福部先生から
「あなたが共演したいと仰っていたヴィオラ奏者は、都響の百武さんですか?」
と訊かれたので「はい」と答えますと、「彼女は素晴らしく質の高い演奏家です。
《日本狂詩曲》のソロでは、すべての音を最も難しい指づかいで弾いていました。
あの百武さんが弾いて下さるのなら《摩周湖》を書きましょう」と言われたのです。
 
え?! 指づかい? それだけで4年余り途絶えていた新作の話が復活するんですか?
弦楽器に詳しくない私は混乱しつつ百武さんに電話しました。
「伊福部先生がそう仰ったの? そこまでご覧になっておられたとは…今まで
演奏してきた甲斐がありました。藝校時代にウィリアム・プリムローズ(1904-82)先生に
『すべての音を一番難しい指づかいで弾くように』と御指導いただいて以来、
それを守って演奏してきたことが認められて本当に嬉しい…」
と感激される様子に己の無知を恥じました。
 
摩周湖》は1993年2月24日、浜離宮朝日ホールにて世界初演
この時はピアノ伴奏でしたが、伊福部先生は1989年にギター独奏曲《箜篌歌》(1969)
ハープ独奏曲に編曲して木村茉莉さんに献呈されており、ピアノ版→ハープ版への変更に
伴なう奏法について木村茉莉さんと細かく話し合われ、ハープ伴奏を認めて下さいました。
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ハープ版《摩周湖》は、同93年5月1日に東京文化会館で初演。
 
伊福部先生が1985年に他界された更科源蔵氏に作曲すると約束された詩は
《蒼鷺》のみとなりましたが、《蒼鷺》は男声の音域で書きたいとのことでした。
ところが、86歳を迎えられる2000年を前に伊福部先生はこう仰ったのです。
「音楽としては低音で通したかったのですが、ほかに歌ってほしい歌手がいない以上、
あなたに歌っていただくしかありません。年齢的にも、いま書かないと書かないまま
死ぬことになるでしょう。ある意味、あなたは男性よりも胆力があるから、
《蒼鷺》の世界観に圧し潰されることなく、詩の世界を表現できるはず」
 
《蒼鷺》の楽器編成は、オーボエ&ピアノ&コントラバスに決まりました。
そして、2000年10月28日、東京文化会館にて初演。
その直前、2000年10月26日付の朝日新聞に伊福部先生のお言葉が出ました。
「蒼鷺は自分の信念を貫き、孤独に生きた更科自身の姿でもある。
歌曲には表現者人間性が赤裸々に表れるが、生の意味を問うこの曲では、
人生経験も豊かな藍川さんを得て、とても満足している」
 
伊福部先生にここまで仰っていただいたら、
いつか男声のピッチで歌える自分になろうと思いますよね。
それを実現できたのが今日でした。