藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

蒼鷺

のぞみに乗ってます。
先日来、青鷺の鳴き声について書きたくて過去のデータを探していたのですが、
なぜか和爾下神社がありません。
和爾下神社大和郡山市横田の「下治道宮」と天理市櫟本の「上治道宮」の2社あって、
青鷺に威嚇されたのは前者の社殿前で演奏修行した時でした。
青鷺は高木の上に営巣するらしく、声を出した途端、警戒されてしまったようです。
とはいえ、この時は一人だったし、まだ青鷺だという確信はありませんでした。
 
はっきりと、青鷺の姿と警戒声を認識できたのは
五個荘七里町の五箇(ごか)神社でした。
演奏し始めたら、どこからかパカパカ…という音が聞こえてきました。
生き物の鳴き声だろうと思ったものの、聞いたことのない音でした。
曲の途中で演奏を止めるわけにはいきませんので、同行のNちゃんに
右手の木の上を見て目くばせしたら、声の主を撮ってくれていました。
「青鷺じゃない?」
「そうですね…嘴が赤くなっているので繁殖期ではないかと」
「それで威嚇してたのか…聞いたことのない怪しい音だったから?!」
 
かなり印象深い出来事だったとはいえ、この時はまだ
伊福部昭先生が更科源蔵氏の詩に作曲した《蒼鷺》とは繋がりませんでした。
 
至近距離でハッキリ認識せざるを得ない状況下に置かれたのは淡路島の
淳仁天皇淡路陵」へ行った折でした。
淳仁天皇(733-765)
明治3年7月24日(1870年8月20日)諡号勅定までは「淡路廃帝(はいたい)」でした。
明治3年に、弘文天皇(大友皇子)仲恭天皇と共に追号されたことを考えると
淳仁天皇淡路陵」がいつ造られたかを知りたくなります。
淳仁天皇=大炊王は、明治6年(1873)に、同じく配流先で歿した(暗殺された?)
崇徳天皇を祀る白峯神宮(香川県坂出市)に合祀されています。
すると「淳仁天皇淡路陵」はそれ以降に制定されたのかも知れません。
 
そもそも、初めて民間から皇后になった藤原不比等の娘 光明皇太后の後ろ盾により
立太子した大炊王が、なぜ流罪の上、暗殺された可能性を疑われているのでしょうか。
天武天皇の第三皇子 舎人親王の子 大炊王に譲位したのは孝謙天皇でしたが、
天平宝字4年(760)7月16日に光明皇太后崩御すると
孝謙上皇淳仁天皇の関係がギクシャクしてきます。
ことに、天平宝字5年(761)保良宮で病を得た孝謙上皇が、看病に当たった弓削氏の僧
道鏡を寵愛するに至って関係が徹底的に悪化したそうです。
そして天平宝字8年(764)仲麻呂の乱によって淳仁天皇を廃位に追い込んだ
孝謙天皇は、事実上皇位に復し、重祚して称徳天皇となりました。
 
ちなみに、称徳天皇は有名な宇佐八幡宮神託事件で知られています。
神護景雲3年(769)大宰府の主神 中臣習宜阿曾麻呂が「道鏡皇位に就くべし」との
宇佐八幡宮の託宣を報じたことの真偽を確かめるべく勅使として宇佐八幡宮に派遣された
和気清麻呂がこれを虚偽であると復命すると、怒った称徳天皇(と天皇の地位を狙う道鏡)
清麻呂の名を「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名した上で大隅国へ配流したのです。
 
結局のところ、具体的な年代などはまだ分かっておらず、「淳仁天皇淡路陵」と
命名されたのは明治以降だと思われますが、それは伊福部作品とは関係ありません。
 
鬱蒼と茂る「淳仁天皇淡路陵」周辺の杜(?)で演奏修行していたら
青鷺が木の上の巣に戻って来て、パカパカ…と警戒声を上げ始めたのです。
時期的にヒナもかなり成長していたと思われ、
ビィビィ鳴き始めたら、私は自分の声も倭琴の音も聞こえなくなりました!?
 
その親の鳴き声は、五箇神社の時と同じでした。
それで、パカパカ…というのが警戒声だろうと思ったわけです。
 
すると、《蒼鷺》の初演以来ずっとレガートで吹かれてきたオーボエのソロは
青鷺の鳴き声になっていなかった?!
 
淳仁天皇淡路陵」で警戒声とヒナの鳴き声を聞きながら演奏した私は、
《蒼鷺》におけるオーボエのテーマは「パーパパーパパパパー、パカパカ」と
吹くべきではなかったのかと思えてきました。
 
伊福部先生は、たとえば《因幡万葉の歌 五首》で
「ウグイスの鳴き声のテーマが」などと指摘されることを不快に感じるタイプの作曲家ゆえ、
自作について質問されると「手品師が自分でタネ明かしをしますか?」と仰るので
《蒼鷺》のオーボエのテーマについては、終ぞお訊ねしませんでした。
しかしながら、平素の青鷺の鳴き声ではなく、育雛期の青鷺の鳴き方を模倣したに違いない
と確信した時、これぞ作曲家 伊福部昭! と叫びたくなりました。
やすやすとは見破られない趣向を凝らしつつ、孤高の境地を描いておられたのです。
 
1/26の録音では、オーボエの神農広樹さんに私の体験を伝え、
「パカパカ」のみ、レガートから外して吹いていただきました。
その《蒼鷺》の録音を、いま客観的に聴くと、
「あ、これこれ! こんな風に鳴いてた」と感じるのです。
 
宮内省の林務官として北海道の原野で生活された伊福部先生と違い、
あまり自然に触れる機会のない私が青鷺の警戒声を聞けたのは
倭琴の旅を続けてきたからに他なりません。
また旅に出してもらえるよう頑張ります!