藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

鬼怒川&利根川と小貝川の"をか"

突端フェチの私!? 今日はどこの突端へ?
と考え、前回行った鬼怒川・小貝川分離(1629)下流および
鬼怒川と利根川の合流地点あたりへ行ってみることに。

真夏日が続いていましたが、今日は曇り。最高気温は 23℃らしい。
久々に遠出して"香取海"の走りを楽しみたいと思います。
予報通りの曇天。ナビは6号線を推奨しますが、私は小貝川の土手を走ります。
平将門様ゆかりの地を訪ねて、幾度となく走った道です。
信号がなく、対向車を見かけることはほとんどありません。
"香取海"を彷彿とさせる田植え風景。白鷺が飛んでます。
ずうっと倭琴の旅で季節の移ろいを感じてきたのに
一時的に声楽家に戻ったことで、ささやかな楽しみを封印。
何のための人生でしょうか…。
 
以前にも《平安朝の秋に寄する三つの詩》についてブログに書きましたが、
著作権継承者から作曲者が自筆譜に必ず書いた完成年月日の記載がないこと、
赤字で音符を訂正したり注意を書き込んだりしていること等から
推敲し清書した最終稿とは認められないことを皆様に知っていただきたいとの
お話がありましたので、スキャンした楽譜を1ページのみupしました。
 
作曲者自身が破棄し、自作と認めなかった作品ですが、あるとき私に
「私は譜面を持っていませんが、万が一、死んだあと楽譜が見つかった場合、
演奏に値するかどうか、あなたが判断して下さい」と言われたと以前
どこかに書きました。が、それでも、謦咳に接してきた者としては
見ないのが礼儀と心得、2021年夏にCD発売のニュースを聞くまで
《平安朝の秋に寄する三つの詩》の譜面を見ようとは思いませんでした。
 
2021年11月、完成年月日の無い《平安朝の秋に寄する三つの詩》が
《平安朝の秋に寄る三つの》のタイトルでCD発売されました。
 
直接ご指導いただいた者として伊福部作品への著作権侵害を放置できるでしょうか。
先ずは《平安朝の秋に寄する三つの詩》を楽譜校訂して録音。
その音源を著作権継承者に聴いて頂いた上で、CD発売を決めました。
そして、2023年5月31日のCD発売をもってJASRACへの作品登録が完了したのです。
 
これで、どなたでもJASRACに申請すれば《平安朝の秋に寄する三つの詩》を
演奏したり、CD発売したりできるようになりました。
件のCDも再度発売することが可能となりましたが、タイトルが
《平安朝の秋に寄る三つの》のままだと許可されませんね…。
 
そんなことを考えつつ走っていたら、目的地の山の神神社に近づいてきたようです。
地図には道が書かれてないので、辿り着くためには勘が頼り。
あ、きっとここから入るんだ!!
しかし、この先はキャノピーでは走れません。
ヘルメットなどをボックスに入れて歩くことに。
ほどなく鳥居が見えました。ワクワクしますね~。
あれ?! 想像以上に小ぢんまりしてますが?
誰が神社なんて名称をつけたんですか。山の神で十分でしょ?
ほら、山の神って書いてあるじゃないですか!?
何とかの一つ覚えで、何にでも神社をつけたらいいってもんじゃありませんよね。
振り向くと、この小さな空間が独立した部屋のようで
古代祭祀の場を探して古代歌謡を演奏したい私にはピッタリ!!
お約束通り、鳥居をくぐると竹に囲まれた台地は円形にしつらえてありました。
今日は1年以上も歌っていない《神上》を演奏修行することに。
神楽歌に呼応して何種類もの鳥が一斉に鳴き始めたかと思うと
竹が時々パッコン…と音を立てたりして、これだから
演奏修行はやめられないと痛感させられたことです。
演奏が終わった瞬間、真打登場とばかりウグイスの頭領(!?)
"ケキョケキョケキョケキョ…"と鳴き始め、どこまで息が続くんだ?
と驚きつつ、神楽歌のメリスマの一つがウグイスのこの鳴き方を模している
との説を思い出しました。だから自然の中での演奏がベストなんですよね。
 
小宇宙を出て、再びバイクで走ります。
ここからは見えませんが、真西に香取神社があるようです。
野田牛久線を走り始めたら鳥居が見えました。
さらに南下してゆくと、階段をのぼる参道がありました。
世界人類が平和でありますように」というポールが建っていて
意味がわからないので単に通過しただけですが。
そもそもここを目指してきたのは、かつて利根川を臨む岬の突端で
交通の要衝であったこと、渡しがあったこと等を知ったためです。
↓このmapの下方、2つ並んでいるハートマークの左側が香取神社です。
下方、右寄りのハートは高野の浅間神社
 
香取神社から南下したのは利根川を見るためでした。
土手に上がってみます。
地図によると、利根川に架かっているのは常磐自動車道のようですね。
反対側には利根川と鬼怒川の合流点が…
見えるわけ、ないですよね…。河川敷が広く、とんだ空振りでした。
来た道を再びキャノピーで戻ります。
この野田牛久線によって、正面のこんもりが香取神社側と山の神側に
二分されたのかどうかはわかりません(たぶん道路建設によって分断された?)
ともかく、かつては正面のこんもりまでが利根川だったということです。
そして、人は"をか(丘・岡・陸・遠賀…)"に住む。
 
さて、今日は守谷駅付近で待ち合わせをしていました。それでここから
約2時間後にmapの右端中央の「平将門土偶之墓」を目指しました。
何度も通った道なのに、気づかなかったはずですよね。
こんなに小さな石とは思いませんでした。
小貝川にかかる稲豊橋を渡っていたら、太陽が顔を出してました。
黄昏時は大好きです。
このまま帰宅するのも惜しいので、1629年の鬼怒川・小貝川分離位置より少し南の
羽黒山神社(map上方のハートマーク)へ行ってみようと小貝川を遡上していたら水路橋が!?
この先の常総橋を渡ったら右折、直進のはずが、ナビが直進ポイントで
「右折」と言うので従うと、小貝川の土手にのぼってしまいました。
サービス精神旺盛なナビですね。おかげで小貝川を見られました。
その先にはキジもいましたし!!
あの白いガードレールのある本来の直進ルートへ戻ります。
その道から小貝川の土手を見ると、かなり距離がありますが、
往古はここまでが小貝川だったということなのでしょう。
左手に曲がり、くねくね登ると高台に神社らしきものが見えました。
羽黒山神社と言いますが、社殿の前に立つと羽黒山を遥拝することになりますか?
ちょっと角度が違うような気がするのですが。むしろ筑波山
やはり人は"をか"に住むんですね。このこんもりが蜘蛛窟に見えたりもしますが。
こんもりの横を下りつつ、かつてここに船着場があったのかな…
と想像するだけでワクワクする私です!?
では帰途に就くとしましょう。
どこまでも水田が続きますね…。さすが"香取海"です。
しばらく走ると、ナビが6号線へ誘導しましたが、私は↓こちら。
往路と同じ小貝川の土手を走ります。
そして、6号線が見える場所まで川と緑を満喫しました。
もうガソリンは満タンです!