皆様から御心配をいただいています。
少しは宣伝をすれば? とのことですが、その必要を感じません。
このブログにしても「タグをつけなさい」とのコメントが自動的に
出てくるのですが、致しません。
「自分を売ろうとすることほど恥ずかしいものはない」
と、二十代半ばからずっと言われ続けてきましたので。
初めて伊福部家へ伺わせて頂いた折、
音楽家としての基本姿勢をチェックされました。
「ノルマのあるコンサートには出ない」
「1円でも負担金があればCDを出さない」
たとえ大学院生でもプロフェッショナルとして振る舞うという
姿勢は、私自身の考えと完全に合致していました。
そのほかの質問への答えも及第点を頂けたようで
その後、永くご指導を賜る光栄に浴しました。
『ギリヤーク族~』や『サハリン島~』にしても、
演奏されるなどという考えは微塵も無いまま書きました。
自分が書きたいと思ったから書いたのであり、
人のためでもお金のためでもありません。
締め切りも制限もなく書いた純粋な音楽作品です」
「それこそが作曲家本来の理想的な姿だと思います。
そうした作品を演奏できるのは演奏家冥利に尽きます」
「ところが、少しも演奏されないんですね…これが (笑)。
延べ演奏回数を考えると、数年に一度のペースでしか演奏されていない」
「ポピュラーソングではないので、人口に膾炙することよりも
どう演奏されるかが重要だと思います。民族や音楽の特長を教えて下さい」
そうして、一つ一つ、発音や節まわしなどを伝授して下さいました。
が、わかったつもりでも、ピタッと填まりません。
「曲ごとの違いや特長は感じるものの、ギリヤーク族の音楽として
捉えようとすると、『サハリン島~』の2曲目がギリヤーク族と
なっているのに、『ギリヤーク族~』との共通項というか、
繋がりのようなものが見えてこないのですけれど…」
「それは当然です。彼らの歌は、アイヌ音楽と同様、2音または3音で
構成されることが多いので、歌のメロディーをすべて2音か3音で
書いたら、みな似たような曲になってしまいます。
『ギリヤーク族~』の3曲目「彼方の河び」だけは
歌のパートを3音だけで書いていますが、彼ら自身のオリジナルは
合いの手みたいに短いセンテンスで使い、彼らの生活や美意識を
伝えるための土台となる歌詞は、私が新たに創作しました。
したがって『ギリヤーク族~』は、ほぼ私の作詞作曲となります。
歌のメロディーがシンプルなだけに、大自然のスケール感や
季節感といったものはピアノや打楽器に委ねるしかありません。
そこで『ギリヤーク族~』では、ピアノを伴奏として扱わず、
“ピアノと女声のための”と、ピアノを主役にしています」
森田樂譜出版社 昭和22年6月26日發行
タイトルから、短絡的に少数民族特有のフシやリズムを土台に作曲されたと
思い込み、各民族の音楽的特長を探ろうとしたのはお門違いでした。
その存在感と音楽的伝承の断片に触発されて作曲しておられたのです。
「inégales」(「不均等な」という形容詞)があります。
記譜上では均等な2つの音の、一方を長く、一方を短く演奏する奏法で
17~18世紀にかけてフランスで確立し、ヨーロッパの国々に浸透しました。
『ギリヤーク族~』の1曲目「アイ アイ ゴムテイラ」の囃子言葉です。
これを「アイアイ」と均等に歌ってしまう日本の音楽教育に作曲者は疑問を呈しました。
「parlando(話すように)」と付記していても囃すように歌えませんか?
歌詞を「a-i a-i」と音引きして書いても「アーイ アーイ」となりませんか?
楽譜通りに演奏していないことを聴き手から批判されたくない私は、幾度も
「絶対にそのようにしか演奏できないように記譜すべきかと思います」
「例えば♩♪の三連符で書かれるとか」と申し上げ、その都度、
「譜づらが煩雑になると見ただけで演奏する気が殺がれるでしょう」
と返されました。私がやっと記譜を離れて演奏できたのが
2023年5月31日発売のCD『古代からの声』でした。
なかなか作曲家の思い通りに演奏しようとしない、出来の悪い歌い手でした。
もう一つ、揉めに揉めたのが『ギリヤーク族~』の3曲目です。
「ド・ミ♭・ファ」の3音だけでメロディーラインが書かれています。
詠歎の言葉の語尾に、いわゆる「ユリ」が入るスタイルなのですが、
音符が多いため、大慌てで揺らさないと1拍に入り切りません。
「音符を沢山詰め込んだ箇所は、むりやり1拍に押し込めて歌うのではなく、
4分の4拍子なら、結果的に4分の4.5拍子になっても構いませんし、
8分の12拍子なら、8分の13か14拍子になってもよいつもりで
たっぷりと丁寧に歌われることを期待して書きました」
「それなら、小節ごとに『8分の12拍子』や『8分の14拍子』というふうに
書き分けられれば、正確に演奏されるのではありませんか?」
「それも、やはり、譜づらが煩雑になるので避けたい。
すぐれた演奏家ならコブシがピタッと填まるはず」
ギャフン…
いつもこのような結果になると決まっているのに、
よくもまあ言いたい放題で食らいついていったものです。
こうした演奏上の問題について、作曲者は私が楽譜を校訂する際、
「変拍子で書くもよし、テヌートなどを駆使して意図を伝えるも良し、
出版するかどうかは一任しますが、出版する場合はテンポ表示と
強弱記号を私が指示した通りに書き換えて下さい」と仰せでした。
なのに私は、あまりの責任の重さに、出版しない道を選んで引退したのです。
ところが、著作権侵害事件が勃発し、引退を撤回する羽目に陥りました。
こんな事件さえ起こらなければ、悠々自適の老後を送れていたはずです。
ただ、今年(2024年5月31日)、伊福部先生と奥様の生き方に光をあてた
DVDを出せたことを考えると、引退を撤回した甲斐はあったようです。
かくなる上は、残すところ楽譜出版のみとなりました。
もはや作曲家本人に質問できない以上、直接ご指導いただいた我々が
細部にわたって注意された言葉を思い出して演奏し、
楽譜校訂に生かすべきではないか?
そう考えた時、私も諸先輩方も晩年にさしかかっていました。
先輩方の素晴らしい演奏も残したいし、もちろん共演させて頂きたい。
それで YouTube チャンネルを開設し、今年11月、来年2月…と
収録スケジュールを入れた次第です。
いま注目されるとは思っていませんし、
まだ5曲しか上げていないのですから注目には値しません。
1982年、最初にお目にかからせて頂いた折、先生から
「日本の作曲界も短期間にいろいろありましたねぇ。
戦時中から十二音技法を採り入れる作曲家が現われたり、
いわゆる前衛音楽がもてはやされた時期もあったりして。
その都度、あっちへ行ったりこっちへ行ったり右往左往すれば
一生のうち一度も正時を打たないまま死ぬ可能性すら生じます。
しかし、動かない時計は、一日に二度、必ず正時を打ちます。
下手に動かず、じっと自分自身の音楽に向き合えばいいんです」
と言われ、「私も動かない時計になる!」と決めました。
伊福部作品において、室内楽作品や歌曲は
光が当たるどころか、その存在すらほとんど知られていません。
それを承知で作曲され、演奏されることを期待していなかった
先生のお気持ちに触れた私は人知れず演奏してきました。
ただ、託された作品を「動かない時計」として残しておきたく
校訂した楽譜での演奏と楽譜出版を考えた次第です。
幸い、演奏を共にしてきた皆様が賛同して下さり、
この作品群に光が当たる日が来るかどうかわかりませんが、
伊福部昭という作曲家が創作し、我々が演奏させて頂いた
作品をいつでも聴ける形で残し、誰もが演奏できる楽譜を
残せれば…との思いで、もう少し現役を続けます。
曲目解説も少しずつ書いてゆきます。