藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

再び延岡へ

7/29に、これで来年2月まで泊まりがけの旅を封印…
とか言って、延岡から宮崎空港へ向かったはずでした。
しかし、7/28に佐伯駅から乗ったタクシーが、高速に乗ろうとしては引き返し、
降りるべきインターを無視して通り過ぎるなど、わざとかどうかは不明ながら
時間が押したため立ち寄れなかった場所が心残りで、1泊2日の弾丸旅を計画。
先日とは逆に、今日は宮崎空港→延岡→佐伯→大分と移動します。
 
羽田空港は、日曜だからか、台風の後だからか、異常に混雑し、
コトとヘルメットを従価で預ける時間がなくなりそうでした。
出発時刻の1時間以上前に並んだのに、とうとう
「宮崎行きの方はお知らせ下さい」と言われ、優先レーンへ。
1泊でも5泊でも同じ装備!?
今回は2時間しかバイクに乗れないけれど、ヘルメット⛑は不可欠!!
 
「領収書は時間がかかるので要りません」と言い、慌てて搭乗したのに
出発時刻を15分過ぎてもアナウンス無し!
この調子じゃ宮崎空港発のJR特急に乗れなくなってしまいます。
20分過ぎに「羽田空港は離着陸とも混雑していて、いつ離陸できるか
わかりません。次の情報が入り次第、お知らせします」と言われて以降
30分が経過したのに何ら情報(アナウンス)無し!
 
ようやく離陸したものの、到着は20分ほど遅れるそうで、しかも
コトを受け取る必要があるため予定していた特急には乗れないかもしれません。
時間の無駄遣いが嫌な私としては、この機会にどこかへ寄りたいところですが、
次の特急に高鍋駅から乗るとしてタクシーを飛ばしてもギリギリらしい……
などと考えていたら、荷物が出てきた段階で、発車時刻まで約3分。
予め係員さんに「JRの駅までは徒歩3分です」と聞いていたので走りました!
わたし結構足が疾いので、余裕で特急「ひゅうが」に乗れました~~~。
 
宮崎駅で10分も停まり、これで特急? と思いつつ乗っていると、小丸川から
九州に幾つかある鵜戸神社の一つ高鍋鵜戸神社の社叢が見えました。
すると、↑ここが「蚊口浦(かぐちうら)」でしょうか?
小丸川を渡っていますが、川幅がかなりありますね。
進行方向右手の外洋も撮りたかったのに、左側に座ってたので。
先々月、私が宮崎空港から入って大分空港から帰ると話した
瀬戸内文化圏の仲間が、「九州の東岸に沿って北上するルートが
日本で一番きれいだと思う」と言い、沿岸・突端フェチが居た!
ことを喜んだのに、なぜ右側に座らなかったんだろう…私。
 
延岡駅で予約しておいたタクシーに乗り、延岡市には非常に数が多い
「古墳+神社」のうちの一社、延岡市古墳22号の菅原神社(延岡市稲葉崎町)へ。
地図上はどう見ても前方後円墳ですね。
ただ、現在は民家に囲まれているため全容を見るのは無理かも?
いや、周囲をぐるりと周ったら、後円部が見える場所がありました!
この先を右折したら前方部に回り込めました。
驚くべきことに、タクシーを下りてカメラを出したらすぐに飛んできました!
鳥ではありません、肉眼ではクロアゲハです。
なぜか、ゆく先々でいつも先導してくれるのです。
古墳時代前期から中期にかけて築造された古墳に菅原神社とは、時代が合いませんね。
なぜ昭和60年に菅原神社を造営したのかを知りたい!
この後円部で演奏していたら、2羽の蝶が頭上で舞っているらしいとわかりました。
動く影が地面に映っていたため。
演奏後に仰ぎ見ると、1羽はクロアゲハ、もう1羽は先月と同じ
蛍光色のオオルリアゲハでした。
帰りにも撮ろうとしましたが、動きが速すぎて全く追いつけません…。
 
ここから7/29に立ち寄った可愛山陵(えのさんりょう)伝承地を通り過ぎ、
北川インターから高速に乗って、7/29の朝出発した北浦インターへ行く予定が
ナビを延岡市北浦町市振の直海神社にセットしたら、高速を使うと約41分、
古江丸市尾線をくねくねと走ってゆくと8分早く着くと出ました。
すると、川嶋神社の近くを通ることになります。
前回も今回もルートから外さざるを得なかった当地最古の熊野系神社です。
地図上はこの奥に那智の瀧があるのですが、そこまで歩く余裕はありません。
行基」から「藩主」に飛躍するところが胡散臭いのですけれど、
延岡の地に717年に熊野三山が勧請されたのが歴史的事実だとしたら、
古代人のダイナミックな民族移動に驚かざるを得ません。
川嶋神社の名称は明治以降のものとわかりました。
これでスッキリと北浦へ向かうことができます。
どこまで走っても山、山、山…(トンネルに次ぐトンネル)
 
直海神社は、地図を見ると現在の海岸線から少し離れていますが、
古代は、縄文海進まで遡らずとも、海岸沿いだったのかも?
との疑問が湧き、自分の目で確かめたくて足を運びました。
今は、2つの鳥居と社殿のあいだが公道で遮断されています。
画像左の上り坂が佐伯市へ抜けられる道のようです。
社殿の色に度肝を抜かれ、この1枚しか撮っていませんでした。
が、海からの参道というか、つながりが素晴らしい!
やはりここは船人たちが入江から直接あがってきた神社と言えそうです。
うわあ…このような絶景を見られるとは!?
さっき見えた古江丸市尾線を登ってゆく途中で撮りました。
こののちずっと山中を走っていたら突然視界が開け、
蒲江波当津インターへと向かう道に出ました。
この道へ出る直前に、山中で運転手さんが突然、声を上げました。
アナグマだ!!」
前方を見ると、小動物が道を横切って側溝(?!)に入ろうとし始めました。
どう見ても幅10cmほどなのに、数回トライしたのち、入ってしまいました!?
顔を突っ込む直前に、縦の縞模様を目撃!
間違いなく、この顔でした!
 
海岸線や突端を走ることが大好きな私ですが、次の富尾神社のように
近くに現在確認できるだけでも 23社もの富尾・冨尾神社があると知ると
なぜなぜモードが発動されて、興味を抑えられなくなります。
下総国大和国鳥見山の神霊が勧請されたように、
九州にも大和の鳥見大明神が勧請されたのでしょうか?
 
近隣23社の富尾神社の本宮は佐伯市青山の富尾神社で、
現在は「トビノオ」と現代かなづかいで表記されています。
ちなみに岡山県真庭市富尾の富尾神社は「トビノウ」と
ワ行音の「ヲ」が「ウ」に転訛したようです。
古代から「トビヲ・トミヲ」の発音の揺れがあって、
そこに「ノ」が挿入された形です。
青山富尾神社黒沢川沿いに鎮座。現在は黒沢ダムの2km下流となります。
参道の50段ほどの石段が長さ2m近い花崗岩の一本石で築かれているそうです。
案内板に「天文7年(1538)、多田弥四郎が富尾大権現として創建」とあるも、
地元では「大永7年(1527)、栂牟礼(とがむれ)城主佐伯惟治(これはる)が城を追われ、
日向へ退却する中、その生霊が若狭という名の当地の娘に憑依し、
黒沢にその霊魂を祀るように言ったとする伝説」が有力です。
そんな佐伯惟治の怨念が宿ったとも言われる富尾神社の大スギ。
佐伯市富尾神社と大和との関連について探ろうとしたら、
青山富尾神社の祭神が「大神惟治公」とあったため、
「大神惟治=佐伯惟治」とわかり、簡単に大和と繋がりました。
なにしろ豊後国の大神氏は、『三輪高宮家系図』で大和三輪氏に
数えられている大神比義が始祖ですので。
なお、ほかに鴟尾社鴟野尾社鳶野尾社などの表記もあるようです。
トビは、日向の高千穂を発って東征した神武天皇(カムヤマトイワレビコノミコト)
長髄彦(ナガスネヒコ)との戦いで苦戦を強いられていた時に現れたという
日本神話の中で最も有名な鳥で、金鵄(キンシ/金色の鳶)とも呼ばれるように
弓の上端にとまって金色の光を発し、敵兵の目をくらまして勝利に導いたことで
神武天皇が橿原で初代天皇として即位できたというシナリオです。
 
そんな日本神話にもとづく社名をもつ富尾鴟野尾神社佐伯市に少なくとも
23社以上点在し、33歳で自害した「大神惟治公」を祭神にした背景には、
讒言を信じて臼杵長景に惟治の討伐を命じた大友義鑑(宗麟の父)に対する
「大神惟治は大和朝廷の正統を受け継ぐ者で、決して裏切り者ではない」との
思いがあったのではないでしょうか。
「大神惟治公」が祭神なら、なぜ社名が大神氏が創祀した八幡社でも
大神神社でもないのだろうと不思議でしたが、私なりに納得できました。
当社の造りは、神社というより要塞に近いように感じます。
この位置から見た↓石段が花崗岩の一本石ということですね。
私は轍のある坂を登りましたが、石段と鳥居はこんな感じ。
社殿は新しいものでしょうけど、ちょっと変わっています。
それにしてもガラスがピカピカ!!
大神氏やその家臣の末裔によって守られてきたのでしょうか。
こういう所が自然の地形を利用した人工的な要塞のように見えます。
宇佐八幡の創祀者たる大神比義を追って、別府市内成の大神峯神社、国東半島
日出町大神の大神八幡神社、そして佐伯市青山の富尾神社まで来ようとは…!?
桜井の大神神社等彌神社の位置関係からも、豊後国における
大神氏とトビ・トミ神社の展開を非常に興味深く受け止めました。
 
最後に、佐伯駅の南に日岡神社というこれまた興味を惹かれる社名を
見つけたものの、石段が人間サイズには見えなかったため社頭で失礼しました。
「豊日岡」とは、「トヨウカヒメ」の「豊岡」にアマテル信仰の(?)
「日」が入った名称なので、今度一人じゃない時に上ってみたいと思います。
古い神社では大人の靴サイズに合わない、面の小さな石段をよく見かけます。
上りはまだしも下りが厄介なので、なかなか足が進みません。
修行が足りませんね…。
日岡神社番匠川に近く、ここを渡ればすぐに佐伯駅です。
番匠川を渡っていると画像右寄りの小高い丘陵が目に入ったので
「ああいう小山を城山って呼ぶんですよね」と嘯きつつ地図を見たら
まさしく「城山歴史公園」と書いてあって、佐伯城跡がありました。
 
佐伯駅からは特急「にちりんシーガイア」に乗って大分駅へ。
明朝の特急「ゆふ」は予約していないと悲惨な目に遭う可能性が
高いので、既に発券済みです。寝坊しないよう頑張ります!