まったくの期待はずれと言うべきか、ゆふ号はガラガラ…。
それにしても、もう幾度、日田へ足を運んだことでしょう?
4月に買った鮎魚醤が底をついたので、日田へ行ったら何としても
原次郎左衛門「味噌醤油蔵」へ立ち寄らなくては!
そして、大好きな大山町に気になっている神社があるんです。
以前タクシーで行ったものの到達できなかったため、
いつものバイクを借用させていただこうと決めました。
旗ヶ塚神社の鎮座地は地理院地図に444mとあって周辺では一番高いようです。
「旗の台」ではなく「塚」なので、墓所か古墳かもしれないと疑っています。
さて、どこまでバイクで登れることやら…。
以前、タクシーで行った際は、ここを左折しました。
(これは今日、↓下山しつつ撮った画像なので少し晴れ間が見えてます)
曲がった先が舗装されていなかったため引き返さざるを得ませんでしたが、
バイクなら進めるだろうとの軽い気持ちで、計画性も勝算もなくバイクを
拝借しに伺った私に、有難くも衝撃的な一言が投げかけられました!?
「森林組合に訊いたら、軽トラで行けるのでバイクでも大丈夫でしょう
とのことでしたが、登り口もわからないだろうし、何の目印も無いので
地元の人に先導してくれるよう頼んでおきました」
え…………? 有難すぎて言葉も出ません。
出発してから約8分、森林組合の前に着くと軽トラが停まっていたので
ご挨拶したら「先導しますから」と走り出して下さいました。
こちらも下山時に撮った画像で、ここが旗ヶ塚神社へ行くための分岐。
前回左折したポイントより1km近く南に位置していました!?
標高444mへの道はこれまで経験が無い急勾配で、
スポーツタイプの原付でも無理かな? という場所が何ヶ所かあり
肝を冷やしました。が、そこを気合いでカヴァーし、登り切りました!
先導して下さった方はお仕事がおありでしょうから、ここで下山して頂きました。
さて? 旗ヶ塚神社は?
↑ここですね。もちろんクロアゲハも軽トラの後ろを走って先導してきてくれました。
石段をのぼりますと、整然と石祠が並んでいました。
これなら台風でも飛ばされることはありません。
「晴れていたら、あの白っぽい建物・天瀬発電所の向こうに
「ここはまさしく国見の丘ではありませんか!?」
国見の起源は農耕儀礼であるとも言われ、古代の史料に現われる国見は
支配者によって行なわれたと考えるのが普通のようです。
それゆえ、国見が行なわれた丘は選ばれた神聖な場所であるとも。
祠への石段の横にシロバナサルスベリが咲いていました。
当地には金山があり、五馬媛が治めていたと考えられてきたことと、
ここに国見の丘があることとが無関係とは思えません。
大山町から阿蘇にかけて雷雨の予報だったにも拘らず
曇天の中にも晴れ間が垣間見られたのは聖地ゆえでしょうか。
下りで、何ヶ所か撮影できたので、行程をメモしておきます。
山頂からの急勾配はブレーキをかけて両足を地面につけて走っても
恐ろしいほどでしたが、約2分後に落ち葉でふかふかの道に入りました。
山頂から竹林の中を5分ほど下ると送電塔がありました。
この辺りから少し上ったり下ったり…。
鋭角のV字が何ヶ所かありましたが、先導して下さった軽トラはいとも易々と
走っていました。そして帰り際に一つだけ注意して下さいました。
「舗装してある道だけを走って下さい」
あ、ここですね。私は草むらでも平気で直進する性格なので。
ここまで進むとV字に曲がるかどうか迷いますが、
ご助言いただいてなければ間髪を入れず直進したに違いありません。
結局、こういうなだらかな箇所は少なく、分岐まで下りるのに10分かかったので
登りは10分以上かかったと思います。先導して頂いて助かりました。
かなり下ってきました。
上りがあまりにもキツくて1枚も画像を撮れず(そもそもカメラを持参しておらず)、
下りもバイクを停めることが難しく、クロアゲハが先になり後になりして
至近距離を飛んでいるのに撮影できなかったことが心残りです。
iPadで撮った画像しかないことも残念です(大山町以外はカメラで撮ってます)。
ただ、クロアゲハは撮れなかったものの、山を下りる途中、トンビを撮りました。
そして今日も木の花ガルテンでのブランチを楽しみに向かっています。
迷わず旗ヶ塚神社へ行けたお蔭で、11時半に到着し、座れましたが、
私の後にドドっと何組かの家族連れがいらして順番待ちになりました。
こちらは1回目の大皿とキノコの炊き込みご飯、その後、
キノコ汁やシメ鯖の酢の物などで2回目の大皿を堪能いたしました。
それからバイクをお返しに上がり、いつもの美味しいコーヒーと
お手製のヨーグルトを頂きました。例年通りに作った紫蘇ジュースを
ゼリーにしたら美味しかったと出して下さったのが物凄く美味でした!
非常に短い滞在となり、まさしく後ろ髪を引かれる思いでした。
次回はまた泊めて下さいねと図々しくお願いしました。
今回もう1泊できれば、バイクで阿蘇周辺を廻り、再び大山町に戻って
福岡空港から帰京というルートをとれたのですが。
主婦の一人旅は、全食事を用意して行っても歓迎されませんので。
13時以降は前回前々回とお世話になった運転手さんにお願いしました。
小国町で見たかったのは、昭和9年に国の天然記念物に指定された樹齢1000年以上の
「下城(しもじょう)の大イチョウ」でしたが、色づき始めないとよく分かりませんね。
小国両神社が祀られたそうで、この手法は、丹生氏の援助を求めて
幾度となく吉野に詣でた持統天皇とその祖母を思い起こさせます。
丹生氏の斎くニフツヒメはアマテラスの妹神になりました。
明治時代には「宮原両神社」だったようです。
ずいぶんと立派な楼門なのに文化財じゃないんだ…と驚きました。
現在の二段構えの威容は大正2年(1953)に宮山を切り開いてデザインされたものだとか!?
本殿は解体して移築され、拝殿と楼門が新築されたそうです。
すると、一際目を引く三又の杉は、もともと宮山にあったものを生かしたとか?
ふだん建造物に興味を持たない私が、珍しく四方八方から楼門を撮ってました。
次はちょっとハードルが高そうな「立岩水源」に向かいます。
mapで立岩水源公園を見つけたものの、その先には道路が無い!?
志賀瀬川の支流・立岩川沿いにあるから「立岩水源」なのだそうです。
地図上は川も道も入り組んでいるため要注意ですが、立岩水源公園の手前に
ある立岩天満宮から立岩川の清流が眼下に見えるとあるため行ってみます。
「あ、もしかしてあの鳥居が立岩天満宮でしょうか?」
昨日は避けた狭い石段ですが、石段を登る途中、立岩地区を一望できるというので。
石段は二段構えでした。
社殿へ向かう石段があちこちにありました。
が、視界はゼロ!
この時点でかなり凹んで、とても演奏する気にはなれませんでしたが、
修行なので、こういう時こそやらねば…と自らを奮い立たせています。
社殿の左手奥に石碑があり、もともとは猿田彦が祭神だったのかと思いました。
やれやれ…、とにもかくにも狭い石段で足を滑らせることなく降りられました。
道が狭いので、タクシーは画像左手を少し上った草むらに停まっています。
再び40号線(南小国波野線)に戻り、この辺りでは珍しくお茶を飲める
「焼きアーモンドカフェDABERIBA」さんにお弁当を頼んでおいたので休憩します。
旧産山村立北部保育園の建物をそのまま利用しているという店舗へ
行ってみると、臨時休業だそうで、お弁当だけ手渡されました!?
この周辺には喫茶店などないし、どこか食べる場所を見つけなくては…。
橋の手前にベンチがありました。
どんな橋なのか、歩いてみます。
あ、これはダム湖ですよね。
これが今日最後の食事で、こののち羽田空港まで戻ったものの帰宅できませんでした!?
ここから長いドライブをして、阿蘇郡高森町上色見鎮座の上色見熊野座神社へ
行ったら、よほど人気があるのか、人と車が溢れかえっていました。
そこで、地図を見て「この上に高森天空展望所があるので行ってみます」と
方針を変更しましたが、ナビ通りに走ったら施錠されていました。
そもそも車が通れるような道ではなく、バイクで行って転倒した方もおられたとか!?
タクシーのナビも、iPadのナビも、この道を推奨したのですけれど…。
そこで、今度は、上色見熊野座神社と対をなすかのような社名の
高森町色見(しきみ)鎮座の色見熊野座神社を目指すことにしました。
駐車スペースが見あたらず、もともと社殿があったと思われる
広い草むらの一角に停めさせて頂きました。
下からの参道は石段を相当のぼらなくてはならないようでした。
というわけで、裏から失礼します。
上色見と違い、誰もいなかったので演奏修行させて頂きました。
あれま、社殿を撮っていませんでした。運転手さんが撮って下さったのをupします。
さぁ、私の弾丸旅も終わりに近づいてきました。
最後は、南阿蘇村両併(りょうへい)の市下神社です。
ところが、鳥居の扁額が「八面社」?
何でしょう、「八面社」って。
八岐の大蛇を退治せし御神徳に依ると伝ふ」としています。
ギョギョギョギョ…!? 体現して頂かなくて結構なのですが?
周囲が水田なので、マムシやヤマカガシはどこにでも居る
と運転手さんが仰っていました。
当社の場合、地元では「八面社」で通っていることから、
恐らく明治以前は鳥居の扁額にあるように「八面社」と称していたけれど
明治の「一村一社」の令をうけて、日本各地の多くの神社と同じように
「両併神社」ではなく「市下神社」とは?
最近の私は、社名や祭神は長い歴史の中でコロコロ変えられてきたんだから
いま現在の情報に惑わされる必要はないんじゃないかと思ったりしてます。
う~~~む、末期的ですかね?
それでも当社へ来たのは、境内社の一つに「立石明神社」があって、
古来「いは(現代仮名遣い=いわ)」には「石・岩・磐」の字が当てられてきたため
両社が同じ東経に位置しているので。
という次第で、真北を教えてもらい、演奏修行しました!?
画像左手奥が境内社(石碑)です。
終日雨の予報だった阿蘇でも、お昼過ぎから雷雨の予報が出ていた
大山町や小国町でもお天気に恵まれたのですけれど、
こののち熊本空港に向かう途中、大雨に降られました。
もう運を使い果たした…ということで、羽田空港に着いて
路線情報を見たら停電で電車が止まっていました!?