藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

高千穂から阿蘇へ

昨夕 二上神社を訪れたのち「国見ヶ丘」へ行ったので、今朝は迷わず黒口神社へ。
昨日とは打って変わって素晴らしい青空!
325号線を北上していた私が、上と同じ位置から左方向を撮った画像↓です。
↓この橋は「神話アグリロード」たる204号線で、次の交差点を左折します。
アグリロード…すなわち広域農道は関東でもたくさん走りましたが、
「神話アグリロード」と名づけたところが高千穂の高千穂たる所以でしょう。
 
2013年12月8日の夜、初めて高千穂に泊まりました。
翌日は神話にまつわる有名な神社を10社ほどまわったでしょうか。
高千穂は「神話の里」というより「神話をもとに作られた里」のようで
私にとっては原作のある芝居やオペラを鑑賞するのに近い印象でした。
ただ、いかようにも作れるストーリーと違い、手つかずの自然は作れないため
二上神社へ行けなかったことだけが心残りでした。
 
よって今回の旅の目的は、言うまでもなく二上神社へ行くこと。
収録と収録の間の息抜きとして家人の在宅日を選んで決めた2泊3日でしたが、
2ヶ月前に自分で選んだ訪問先を見てガッカリしました。
どこかに、昔ながらの姿をとどめている神社があるはず。
無ければ、わざわざ足を運ぶ意味はないと思い至りました。
 
その日から目が痛くなるほど地図を眺め続け、やっと
ここだ! と思ったのが黒口(くろくち)神社でした。
「黒口」というのは集落の名前で、現住所は
宮崎県西臼杵郡高千穂町上野です。
神社合祀令によって近隣の小社をまとめたことで
明治4年黒口神社と改称されたそうですが、当社は
それ以前、大空天神と称していたとの説があって
斬新かも?と思いつつも鵜呑みにはできかねます。
 
黒口神社の場合、高千穂町のホームページに「創建は不詳ですが、
天暦8年(955)、慶安2年(1649)、元禄元年(1688)、寛政5年(1793)
それぞれ社殿が再建された記録が残っています」とあるため、
社伝は立派でも物証が無い神社よりマシかも? と感じました。
 
黒口神社について調べ始めると、「ナビに騙された」「入り口がわからない」
「遭難しかかった」「山全体が神社のようなもの」など、簡単に行けそうにないと
思わせられる書き込みが多く見られましたので覚悟してまいります。
「神話アグリロード」に入って程なく「黒口」と書かれた小さな道標がありました。
右折して登りつつ、さっき通った橋を見ようとしたら飛行機雲が!? 一瞬の出来事でした。
さらに登って撮影していたら、「モォォ~」と呼びかけられました。
え? いったい誰が?
かなり大きな牛舎の端っこから声をかけて貰いました。
ここが一つ目の集落で、次を右折したら二つ目の集落が見えました。
あれだ!! 画像中央に聳り立つ濃い緑色の樹。あそこに違いない! と珍しく直感しました。
ナビの言う通りに右折して走っていたら、「ここを左折」と言われました。
が、この先はV字の二叉で、右は草ボウボウのケモノ道です。
左は人様のお宅で、たまたま年配の男性が外に出ておられました。
「すみません、黒口神社へ行きたいのですけれど、右の道から行けますか?」
「歩いてなら行けるけど、バイクは無理だねぇ。向こうの道なら上まで行けるよ」
と仰るではありませんか!?
「え?! あの、細い上り坂を左折ですか?」
「そうそう、神社までバイクで上がれるから」
教えて下さったお宅が画像右端。左折後、少し登ってから撮りました。
(何と、わざわざ門から坂を下りて見守ってくださっています!!)
同じ場所から見た進行方向も撮ってみました。
こうして無事、楽々と目的地(標高 485m)まで辿り着けたのです。
歩いて登った方々は皆さん「大空天神という名称が納得できた」と
書いておられたので、私も石段の参道を見ておきます。
実際に石段を歩いたわけではないので、天空感とかはわかりませんでしたが。
とても浮世ばなれした清々しい空間です!
私が苦手とする社殿までもが空間に溶け込んでいるように見えます。
ここから戻ると、乗って来たバイクが消えてるんじゃないかと妄想してましたが…
ちゃんとありました。現世?現実のようです。
榊というのでしょうか、どこへ行っても枯れ果ててカサカサになっているのしか
見たことがないのに、きれいなグリーンで、境内もきちんと整美されていました。
ここが今日の私の舞台です。あまりに気持ち良くて3曲も演奏しました。
作り込まれた神話の里を見たくない一心でここまで来て本当によかった!
境内の後方の山には原木椎茸栽培用と思われる木が広範囲に並べられていました。
この地区の特産品なのか、来た道を引き返している時にも目にとまりました。
不思議なことに、普段はサッサと移動する私が、1時間以上滞在していました。
ずっと居たいというか、毎日でも行きたい場所でした。
そこで帰宅後、理由を考えてみたら、私なりに納得できました。
 
当社は『高千穂十八村神明帳』田尻正本延宝弐年(1674)に「三郎天神宮」、
『高千穂八十八社』浅ヶ部樋口本に「大空三郎天神」と記録されており、
 鎮座地の表記には、二龍野(にりうの)・二重野・二留野村などがありました。
 
「神社」は「◯◯+神社」ではなく、「◯◯神+社」との説があるものの、
明治以前、神仏習合の時代には「明神」や「権現」が神の尊称でした。
金毘羅大権現とか熊野権現とか、今でも神田明神と称する神社があります。
すると当社の「三郎天神」「大空三郎天神」説もアリなんでしょうね。
 
祭神➀ 天村雲命(あめのむらくものみこと)
高倉下命の子で、尾張連や津守連の祖とされる。
祭神➁ 天三降命(あめのみくだりのみこと)
高皇産霊尊の子の天活玉命の子。豊前宇佐国造等の祖とも言われ、
御許山(大元神社)に天降った三女神との関連が疑われる。
 
当社の祭神を知った私は
「たとえば二上山(1,082m)ニニギノミコト天孫降臨の地と言うのなら、
ニニギより先に天降ったニギハヤヒの子孫は黒口神社のある四恩岳(675.9m)
拠点に先住してますよ」との切り返しを用意したように思えてなりません。
そう、私が黒口神社にシンパシーを感じたのは、
伊福部氏の系図上、第八代にあたるニギハヤヒ系列だったから。
 
こんなことを考え始めたら、行き先を決めるのも大変ですね…。
取り敢えず阿蘇高森へ向かうつもりで、おむすびを買いました。
今回の旅では橋の重要性を痛感させられています。
住民の皆さんの生活を利するのは勿論のこと、旅行者たる私も助かってます。
あ、橋の上を走りながら橋を撮ってるなんて滅多にない状況ですね。
そう思いつつナビの指示通りに走っていたら、同じ場所をグルっと回らされた感じ!?
混乱しつつ、ベンチのある場所へ行くと、観光案内図がありました。
現在位置は「寧静(ねいせい)ループ橋」でしたぁ。
疑問が解決したところで、さっき買った高千穂の釜炒り茶とおむすびを頂きます。
たしか前回はダム湖の橋のたもとでお弁当を食べましたよね?
橋にはベンチがつきものなのでしょうか?
 
ふと、以前からずっと行きたかったのに行けてない神社を思い出しました。
阿蘇高森からでも遠いし、周辺に興味をひかれるものもないため諦めていました。
でも今日は時間があります。Google先生はまた、信号も高低差のあるクネクネ道も
お構いなしに、移動距離を時速60kmで走るものと計算して所要時間を出してきます。
私は原付なので、それを単純に2倍にすればよかったんですね。
今日は気温が下がると聞いたので、一枚多く重ね着しました。
そして早めに手袋を使います。大好きな秋のイチョウ色です。
私の場合、バイク用手袋は、羊革でも牛革でもなく、鹿革(ディアスキン)です。
耐久性にすぐれ、汚れたら洗えるため。
滑らない手袋で快調に、橋、また橋を駆け抜けてゆきます。
小一時間で大きなイチョウのある社まで来ました。
入口がわからず迷いましたが、ここから入りました。
イチョウの絨毯をバイクで走るなんて…ちょっと考えられませんね(顰蹙!!)
野尻川上神社は、地名の「野尻」と、佐賀県から勧請した肥前国一宮
與止日女神社の祭神が川上川の守護神であったことを合体させた社名です。
この由緒を知って、一度は訪れたいと思っていました。
社殿の特徴などはわかりませんが、ともかくイチョウが印象的でした。
取り敢えず、41号(高森波野線)に上って川上神社を見ました。
イチョウの巨木があるから、すぐわかりますね。
 
阿蘇高森の祖母神社までどのルートで走るのかについては悩みましたが、
結果的に野尻川上神社に寄り道したため、41号から265号線へ出て南下することに。
まだまだ橋が続きます。
視界が開けた…と思ったら、阿蘇山は遥か彼方でした。
途中、食事中のウシさんから声をかけられました。
 
今年8/19に人の多さに驚いて退散した高森町上色見の熊野座神社まで
来ましたが、今回もまた人と車が多すぎたのでパスしました。
前日、曇天の中、細くて重い雨に濡れながら走ったことが嘘のようです。
ネガティブな記憶はどんどん良いものに上書きしてしまいましょう!
 
上色見熊野座神社から祖母神社に向かうために265号線を走っていると
右側に四季見豆腐店の「四季見茶屋」がありました。朝からおむすび1個しか
食べてないのですが、小麦アレルギーゆえ食べられるものが限られています。
豆腐料理ならOKと思って入店したら、定食は揚げ出し豆腐がメインなので無理。
阿蘇だし、高菜ピラフを選んだら大豆の呉汁もついていて美味しく頂きました。
 
さて、ようやく祖母神社です。
祖母山信仰は山頂の健男霜凝日子(たけをしもこりひこ)神社(上宮)に始まり、
下宮が建立された651年には浸透していたと考えられており、高森の祖母神社
祖母山と同じ北緯32.82、山頂から真西に直線で19.6kmの距離に鎮座しています。
よって鳥居や社殿の前に立つと祖母山を遥拝できます、なお、中宮穴森神社です。
コトバンクに、高森の祖母神社の祭神は阿蘇比咩大明神・国龍大明神・比咩御子大明神・
名比咩大明神・彦御子大明神・新産大明神・新比咩大明神・弥比咩大明神・国造大明神の
九座とありますが、↓下の画像には菅原道真天神信仰まで写っていますね。
何でもアリな雰囲気に退き気味な私ですが、演奏修行だけはしました。
それでやっと今日ずっとついて来ていた(?)枯れ葉クンを撮れたんです。
九州北部以北には土着しない暖地性のクロコノマチョウ(黒木間蝶)、これまで幾度も見ましたが
なかなかシャッターチャンスに恵まれず、今日は近くを飛んだ後、ここに鎮座しました。
落ち葉に擬態してる自信があったのでしょうか?
再びバイクに乗り、まばゆい光に向かって社殿を後にしました。
 
今日は空港近くに泊まるため、時間を気にせずゆるゆると走れます。
そこで最後に、阿蘇郡阿蘇村長野の長野阿蘇神社に立ち寄ることに。
阿蘇五岳を中心に見ると、祖母神社は南、長野阿蘇神社は西になります。
この方角から見る機会が少なかったので、あれが阿蘇? と拍子抜けしました。
長野集落では、先ずこの大看板が目に飛び込んできました!
勝手に鄙びたイメージを抱いていたためビックリ!?
真新しい鳥居は平成28年(2016)熊本地震で倒壊した鳥居の代わりに建てられたもので、
以前の扁額は「長野神社」、現在の扁額は「長野阿蘇神社」と彫られているそうです。
ただし鳥居から見ると社殿がそっぽを向いているのが気になります。
こちらの、社殿の正面には元々鳥居が無かったのでしょうか?
阿蘇の名を負う神社なら、ふつう阿蘇山を遥拝する形で建てると思いますが、
阿蘇五岳はこの画像を撮った私の正面に位置し、新しい鳥居から臨める形です。
社殿とは比較にならないほど立派な神楽殿もあるし、元々信仰の場ではなかったのか?
と思って調べたら、その通りでした。もとは長野城だったそうです。
長野城は、阿蘇家の家臣だった長野氏が城主をつとめていましたが、
1585年の島津氏侵攻により長野惟久が南郷城で討死したために廃れ、
現在は長野阿蘇神社の鎮座地としてのみ形を残しているのだとか。
個人的には、阿蘇五岳をさまざまな方向から見られてよかった。
 
晩ご飯は、高千穂では牛ステーキ、阿蘇では馬刺しを楽しみにしてきました。
ここでしか食べたことのない馬のレバーは絶品でした!
(家人へのお土産を何点か購入しましたが、100g=2,500円のレバーは一注文につき一点のみ!?)
次に、にんじんドレッシングのグリーンサラダを頂きました。
メインは馬肉ユッケ丼。馬肉のお味噌汁も美味でした!
レストランはこちら↓(翌朝、空港への道すがら撮りました)
斜向かいに経営を同じくするお店があり、こちらから地方発送をしてもらえます。
「はしもと」さんへはまた来たいですね!!