藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

王墓山古墳~讃留霊王古墳

約半世紀前、藝大受験の折に解剖学者 三木成夫先生と出会いました。
4次試験の日、楽典のテストが始まったとたん、ずっとホテル暮らしで
脂っぽいものばかり食べていたせいか、激しい腹痛に襲われたのです。
ただ幸いにも5分ほどで答えが埋まったので、保健室へ行きたいと
申し出て、試験場を後にしました。そのため入学後に何人もの同級生から
「あなた、5分で試験場を出て行った人でしょ? これで一人落ちたと
思ってたのに」と言われましたが、高校が音楽科だったので、むしろ
すごく簡単な内容に驚いていたのでした。
保健室では、問診して下さっていた三木先生に突然
「どこから来たのかな?」と訊かれ「香川県です」と答えたら
香川県のどこ?」と言われたので「宇多津です」と言うと
「ほうか、ワシは丸亀じゃ。下法軍寺を知っとるか?」「飯山ですね」
「これは間違いなく同郷じゃ。普通は『ほうくんじ』なんて知らんからの」
「友だちが居るので」と答えたものの、生まれてこの方
上法軍寺へも下法軍寺へも行ったことがありませんでした。
古くは寺の名前が「法勲寺」だったことは知っていたのですが。
 
今日出かけられることになって地図を見たら
古代寺院法勲寺(ほうくんじ)跡」の字に目が釘づけになりました!
善通寺の「王墓山(おうはかやま)古墳」へ行くことは決めていました。
ならば善通寺から真東の飯山町(はんざんちょう)へ行こう。
善通寺へ行くには丸亀を通るため、丸亀城を撮りました。
すごく久しぶりに見た気がします。
そして空海といえば「妙見」とか「荒魂」とかのイメージがあります。
善通寺へ向かう途中に荒魂神社がありました。
右前方に見えているのは奥に「こんぴら」の象頭山がある大麻山です。
その更に右手に善通寺五岳があります。

ここから以前登った香色山(こうしきざん・こうしきやま)山麓荒魂神社へ向かうので
位置を確かめておきます。当社は恐らく善通寺市稲木町の荒魂神社です。
もとは円墳だった説もありますが、五岳山を遥拝している訳ではないようです。
このまま善通寺五岳へ向かいます。
ここは香色山の登山口でもあります。6年前に登ってました!
この香色山山麓の道を進むと、また鳥居が。
こちらが荒魂神社のようですね。
しかし、この先にこのような鳥居が!?
佐伯八幡宮とありますが、この奥の社殿は荒魂神社のものです。
この道の向こうは先ほどの稲荷大明神へ続いているようです。
香色山は山麓から山頂まで佐伯氏の祭祀で埋め尽くされていたのでしょうか。
この位置から、善通寺五重塔が見えました。よく知られているように
弘仁4年(813)6月15日落慶の「善通寺」は、空海(佐伯眞魚)の父
「善通(よしみち)」の諱をとって号したと記録されています。
そして、この荒魂神社の真南に王墓山古墳があります。
以前、偶然通って、画像をupしましたが、なかなか足を運べませんでした。
今日はナビがクネクネと曲がるルートを教えてくれてます。
ナビはこの道を選びましたが、普通車で入れますか?
ここで車をUターンさせるのは難しそうですね。
バイクの後方に見えるのが先ほど走った香色山です。
バイクを降りてここから歩きです。右が前方後円墳の後円部、左が大麻山
え?!  早くも石室が露出してるんですか…。
弥生時代の集団墓」ですって。
でも、氏族は特定されていませんね。
グルッと歩いていたら、正面(?!)に来ました。以前見たアングルです。
本当は古墳に上がる趣味はないのですが、ナビに裏へ導かれて
最初から中間地点を歩いていたようです。
右手(東)を見ると讃岐富士たる飯野山。ここから、飯野山の真南
下法軍寺にある讃留霊王古墳へ行くので、思い切って登っちゃいましょう!?
17:27、夕陽が眩しい!
前方部は一部欠けてしまってますが、後円部はきれいに残ってますね。
頭頂部の上に僅かに飯野山が見えてます。
「王墓山」と書かれていますが、古代は発音が主で漢字は発音記号(当て字)
考えられているため、8月3日に行った「青ノ山」と同じく喪を表わす
「awo→wo」の発音に「青」が使われたり「王」が使われたりしただけで
これを「王」の意味に解釈すべきで無いことは明白です。
ちなみに、岐阜県大垣市の青墓(あおはか)は、古くは「おうばか」とも
発音され、「王墓」が変化したとの説が有力です。
ここまで撮影するのはどうかと思いましたが…。
来た道を引き返したら、我拝師山からの夕陽が石室を照らしていました。
 
30分後、飯野山の南に着きました。
讃留霊王古墳御神体とする讃留霊王神社近くまで来ているはず
なのですが、なかなか辿り着けません。
この道のようですね。
ありました!
しかしながら路駐するのも憚られますし、今日はここまでと決めて
帰ろうとした瞬間、散歩中のご婦人に声をかけられました。
「ここにバイクを停めて見て行って下さい」
あまりにも熱心にオススメくださるので、少し移動して
邪魔にならない位置に停めさせていただきました。
「古墳はこちらです」
今まで本殿と呼んでいた建物が、実は幣殿で、奥の古墳を本殿に見立てて
建てられていると文化庁が判断したとのことでした。
彫刻を施した4枚の扉を外して古墳を見るとのことで、
それが全国でもほとんど例のない最大の特徴だと言われたそうです。
飯野山との位置関係と言い、まだまだ研究が必要ということですね。
とりあえず、神社に隣接するこちらを「古代寺院法勲寺(ほうくんじ)跡」として
出土した礎石などを並べて整えられたそうです。
そして↓こちらが復興された現在の法勲寺だそうです。
宗派も違うし、古代氏族とも無関係だそうです。
瓦も非常に興味深く、当地で焼かれたとも伝わります。
数々の謎を抱えつつ、帰途に就きました。
飯山から北上していたら丸亀城が見えました!