藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

帰省~高野山

いつもながら、やっとこさで機内の人となりました。
今日は楽器を持参してないので、45分前に着いて即「どんぶり」屋さんへ。
楽器を従価で預ける際は、どうしても時間がかかるので、1時間以上前に並びます。
機内持ち込み荷物だけだと楽だなぁ…と思いつつ、南ウイングから北ウイングへ移動。
お腹いっぱいだったので並にしたら、量が多くてビックリ!? 値上げされてました!!
 
朝6時過ぎに就寝したので、3時間で目が覚め、あと1時間は余裕があったのですが、
いったん目覚めるとシャキッと起きてしまうので諦めました。
未明には疲労困憊していて、キュウリ🥒の塩麹漬けすら仕込めなかったため、
昨日「おばあちゃんの野菜コーナー」で買った3本のうち2本を漬けました。
残り1本は、昨夜食べ忘れたスペアリブを何とか形にしなくてはならなかったので
ジャージャー麺もどきをつくって、キュウリの千切りとしてあしらいました。
それを朝10時過ぎに朝ご飯として食べたため、お腹いっぱいだったのです。
でも、トロたく大好き人間なので、ペロリと平らげました!
 
高松空港では待ち合わせていた友人と会って喋ること喋ること!
ジンジャーエール1杯で、1時間も話しました!? こののち凄い夕立に…。
空港から予約したウナギ屋さんまでは約1時間の道のりです。
以前ご馳走になったので、今日は私に任せてとお願いしました。
小麦アレルギーの私は蒲焼きが食べられないためセットメニューにできません。
カリッカリの食感が素晴らしい白焼きです♪
そして、こちらが蒲焼き↓
丸亀で清流四万十川の薬を使わないで育てたウナギを食べられるだけで感動!!
茶碗蒸しも見た目よりずっと美味しかったですよ。
 
大満足の夕食のあとは、初コメダ珈琲。興味深いメニューが沢山ありました。
が、パン類が食べられないため実物を見られず残念でした。
オーダーストップの10時半まで喋り続け、どんだけストレス溜めてんねん…と
我ながら可笑しくなりました。昔から話の合う相手だったからでしょうね。
月末の帰省時にもどこかで食事しようと約束しました。
その際は、高知県から土讃線で戻る予定。アンパンマン列車に乗れたらいいなぁ…。
 
9/22
おはようございます!
今年5月、お向かいにオーガニックマルシェが開店したことで便利になりました。
なにしろ23時に着いて、11時に発つという強行軍の中で、掃除・洗濯を
こなさなくてはならないのですから料理などしていられません。
これが私イチオシのオーガニックの温野菜で、大でも430円、小は280円 ↑
胡麻ドレッシングも入ってます!
お弁当も食材のレベルが高く、10時の開店後、お昼にはほぼ売り切れてます。
こちらは揚げ物なので私は食べられませんが、家人なら絶対にこの一群ですね。
そして今日は先が長いので、おむすびも買っておきましょう。
という次第で、10時半に温野菜と塩麹漬け鮭弁当を頂きました。
 
11時半の特急「しおかぜ」に乗るため、宇多津駅へ。
アンパンマン列車は昔からありますが、高知方面からの特急「南風」のみです。
宇多津駅は8/3に行った青ノ山の真北。駅前にホテルが建ったため山頂は見えません。
束の間の瀬戸大橋です。
夜に通ることが多いので、久々に晴れた瀬戸内海を見られて幸せでした。
「晴れ」というのは岡山のキーワードの一つで、ブドウもこの通り↓
箱入りのブドウを包装して貰っている間に、おそらく前日の在庫と思われる
「晴王」が安くなっていたのでゲット!
新幹線の車内でデザート代わりに頂いたところ、粒が大きくて甘く、思わず
ホルモン剤つかってる? と不安が過ぎりましたが、駅ビル内の果物屋さんで
無農薬とか減農薬とか望んでもはじまらないため、ペロッと平らげて
お腹いっぱいになりました。
 
高野山は新大阪からでも遠い上、特急券を予約してませんが大丈夫でしょうか?
コロナでの自粛もあったし、先祖供養もすごく久しぶりな気がします。
 
新今宮では乗り換え時間が10分あったので特急券を購入しようと思ってましたが、
乗り換え口の改札までが階段のみで、(荷物が重くて)泣きながら昇りました!?
昇り切ってから、昔からこうだったよね…と気づいたため、帰途は別ルートにします!
(ところが9/23は連休最終日で難波も新大阪も歩けないほどの混雑でした!? 失敗!!)
 
特急「こうや」の乗客は、日本人より外国人が多いように見えました。
宿坊も、母方の先祖の位牌がある寺院で予約しようとしたら、
9月は2日間(それも1室ずつ)しか空きがありませんでした。
 
母方の先祖は、足利幕府の命で約20ヶ寺とともに宇多津へ派遣される以前の
京都時代から御室仁和寺派の寺院にお世話になっていたそうです。
京都時代から現在まで600年以上お世話になってきたお寺とともに
14世紀末に宇多津へ派遣されたことを御住職からお聞きました。
「貴家の先祖代々についてはすべて当寺が管理してきましたが、
江戸時代に京極家が丸亀藩主に着任すると、藩関係者も高野山派に
なったため、貴家は宇多津に来てからの御位牌を高野山に納めました。
しかし高野山は遠いので、葬儀や法事はずっと当寺が担当しています」
と教えて頂いたのが、私が高野山へお詣りするようになったきっかけです。
 
さて、岡山を出てすぐ「晴王」を食べ、お腹いっぱいになったはずの私。
消化がはやいのか、常日頃から直ぐお腹が空いてしまいます。
特急「こうや」の車内で、酵素玄米のおむすびを食べてしまいました!?
たぶん宿坊の精進料理だけではお腹が空いてしまうため、もう1パック持ってます。
太っているには理由があって、ともかく食べ過ぎなんです。
昔、山折哲雄先生に言われました。
「ダイエットなんて洒落た言葉を使わなくても、食べなきゃ痩せる。それだけだよ」
それはそうなんですが、食べるのが趣味みたいなものなので………。
 
極楽橋に着きました。水量が少ないですね。
ケーブルカーがすれ違うのを見て、祖母から聞いた話を思い出しました。
昭和の初め、母屋の建て替えが決まった時、宇多津へ派遣されて以降の位牌が
約400年分あって家を解体できなかったため、曾祖母が(曾祖父は既に他界していたため)
位牌を何回かに分けて高野山へ運んで納めたのだそうです。ところが、すべてを
運び了えて安心したのか、昭和9年3月5日に突然亡くなったと聞かされました。
そこで私は、伝燈大阿闍梨の位をもつ讃岐の高僧に、曾祖母の記録を高野山
見られるかどうかを相談し、当時の記録の有無を調べて頂きました。
その記録によれば、曾祖母の一連の記録の最後は昭和9年1月19日でした。
資料を見せて頂いても曾祖母の筆跡かどうか私にはわかりませんでしたが、
施主の住所氏名は本人が自分で書くことになっていると教わりました。
実際、同年4月18日には私の祖父が母親(曾祖母)の菩提を弔うために高野山
訪れた記録も残っていて、懐かしい祖父の達筆を自分の目で確認できました。
それ以降、何度も高野山を訪れています。
それにしても今回、ケーブルカーの駅から大門まで15分もかかったのには驚きました。
以前とルートが変わっていたようで、バスしか選択肢がないと言われましたが、
時速10km? と感じるほど遅いんです。安全運転ということなのでしょうけど…。
30分以上かけて宿坊近くのバス停に到着。
少し坂を上ると門があり、これまで目をとめたことがなかった彫刻が気になりました。
向かって右が大好きなフクロウ(不苦労)だったのです。いや、これはミミヅクかな?
門を入ると、すぐスリッパが用意され、重いキャリーバッグを持って下さいました。
宿泊手続きをしたら、胡麻豆腐の買い出しです。
通りが…というか、店構えがずいぶん近代的になっていました。
でも宿坊の庭は変わっていません。
今日は一階のお部屋でした。食事を楽しみにしてきましたが、天ぷらや麩が中心で
小麦アレルギーの私が食べられたのは野菜の炊き合わせだけでした。
 
重要文化財浅井長政夫人像」(桃山時代)はレプリカを飾っているため撮影OKです。
しばらく来ていなかったので、お市さまの絵ハガキをまとめて購入しました!
 
明朝6時半から法要なのですが、お隣のイビキがうるさくて眠れそうにありません…。
3時過ぎにコットンを耳に詰めたらイビキが遠ざかったので、時計を6時にセットし、
珍しく目覚まし時計の音で起きたので、2時間は寝られたと思います!?
3時間だと目覚まし時計がなくてもピッタリ起きられるのですが…。
 
9/23
朝のお勤めに行くと、八割がたが外国人でした。世界遺産でもありますし…。
あと先祖供養にいらした方が4組。皆さんが退席されてからが私共の法要でした。
部屋へ戻る途中、高野山内でしばしば出会える天然記念物のカモシカの子供がいました!
本人としては、うまく隠れているつもりなのかも…?
窓を開けて「もしもし…」と声をかけたら、振り向いてくれました。
 
食後にタクシーを頼むと運良く空車があり、30分かかるバスと違って10分で高野山駅に
着きました。タクシー会社からは「せめて時速20kmで走行して欲しい」との要望を
バス会社に出しているそうなのですが、依然として10km/hで走る方が多いのだとか!?
ともあれ個人的にはとても良い旅でした。
お付き合いくださり、ありがとうございました♪