藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

吉野川(四国三郎)と中央構造線

水不足の香川県に生まれ育った私は、子供時代から小学校の校庭で
給水車に並んでタンクに水を入れてもらうという体験をしています。
それゆえ「吉野川上水」という言葉に特別な思い入れがあるんです。
香川用水は、高知県にある早明浦ダム徳島県にある池田ダムに
貯水された吉野川の水を、国内最大級約8kmの阿讃導水トンネルで
香川県へ運び、農業・水道・工業用水として供給するシステムです。
香川県の水不足を解消するため、「吉野川総合開発計画」の一環として
昭和43年(1968)から工事が進められ、昭和50年(1975)に通水しました。
そのため、早明浦ダム貯水率が下がると取水制限が実施されるんです。
 
それが2019年だったか、YAHOO! ニュースに上がっていた巽好幸博士の記事に
吉野川は約300万年前には香川県を流れていたとあって、ビックリ仰天!!
坂東太郎=利根(刀禰)川、筑紫次郎筑後川四国三郎吉野川
日本三大暴れ川と呼びならわされてきました。
三男たる吉野川は、愛媛県高知県の境を源流とし、徳島県から紀伊水道へと注ぐ
四国一の大河(194km)です。四国山地から流れ出た吉野川は、徳島県三好市(旧池田町)
讃岐山脈に阻まれて直角に向きを変え、「中央構造線」に沿って東へ流れてゆきます。
ところが、この吉野川が、かつて北へ流れていたことを示す地層が
香川県で見つかったと巽博士は説明しておられます。
讃岐平野の南部、讃岐山脈の北麓には約300万年前に河川で堆積した地層(焼尾層:図1)
分布しています。そしてこの地層から、「中央構造線」の南側に聳える四国山地を形作る
特徴的な石の礫が見つかったのです。三波川変成岩と呼ばれる、地下数10kmから
持ち上げられたベラベラに剥がれやすい岩石です。一方でこれより新しい地層には
この類の岩石は全く含まれず、讃岐山脈を作る砂岩などの礫が堆積しています。
つまり、300万年前には讃岐山脈は存在せず、当時の「古吉野川」は四国山地から
讃岐平野へと、図1に示したような流路で流れ込んでいたことになります。
そしてその後讃岐山脈が隆起することで、「古吉野川」は流れの向きを
東へと変えざるを得なくなったのです。
300万年前に、一体何が起きたのでしょうか?
フィリピン海プレートの大方向転換です。
かつては北向きに沈み込んでいたフィリピン海プレートでしたが、
その東の端が地下で巨大な太平洋プレートにぶつかってしまい、押し負けた
フィリピン海プレートが「45度カックン」と、やや西向きに運動方向を変えたため
いわば地盤の古傷とも言える「中央構造線」が横ずれ断層として活動を始めました。
この断層が生じたことで、フィリピン海プレート南海トラフに直交する成分によって
讃岐山脈が隆起を始めたのでしょう。
もしそうならば、現在の吉野川が大きく方向転換する池田と、かつての北側への
流路の起点であった地点との約20kmの隔たりが、300万年間の
中央構造線」の断層運動でずれた距離を示すことになります。
割り算をすると年間 1cm弱の猛烈な変位量になりますが、この値は、
過去1〜2万年間に起きた地形の変化から求められた値とほぼ一致するのです。
中央構造線は、フィリピン海プレートの斜め沈み込みによって生じる西向き、
つまり南海トラフや構造線と平行な成分(図2のVP)によって、
どんどんと西へとずれているのです。
 
学者じゃないし、完全に理解できるはずなどありませんが、
「年間1cm弱」ものズレが断層運動によって生じているのだとしたら、
私の生存中だけでも 50cm以上ズレてしまったことになる? と嘆息しました。
南海トラフ地震は起こるべくして起こる…ということですね。
もし約100年周期なら、南海トラフ地震は20年後まで発生せず、
南海トラフ地震を経験せずに死ねることになるでしょうが、
1854年の次が1944年なら、90年しか経ってませんよね。
1946年に90年を足せば、次は2036年じゃありませんか!?
ま、そこまでに人生を終えていることを祈るばかりです…。
 
2019年の桜の季節に池田ダムを撮っていました。
2019年2月2日の誕生日着で愛車ZOOMERStudioAIKAWAへ送ったことで
香川県のみならず、徳島県愛媛県へも足を延ばすようになりました。
猪ノ鼻峠の南に位置する阿波池田香川県から四国の他県へ向かう際に通りますし、
阿波池田駅は高知方面・徳島方面への乗り換えで立ち寄る機会もあるため、
いつでも吉野川や池田の町並みを見られるだろうと素通りしていました。
 
ところが、コロナでの自粛を経て、久々に帰省したのは2025年4月でした。
その時、高松空港から阿波池田行きの空港リムジンの運行が始まったことを
知りましたが、本数が少なく、利用する機会はないだろうと踏んでいました。
それが、高知空港のレンタルバイクが休業中とわかり、全四国で
レンタルバイクを探したら、阿波池田でレンタルバイクの営業が
始まっていたこと、乗り捨てができることなどを知ったのです。
ただ今回のJALの場合、待ち時間が80分もあるためタクシーを利用します。
土曜日とあって、旅行サイトでは駅前のホテルが満室だったにも拘らず、
直接電話を掛けたら「一番広い部屋なら空いています」と言われたので
即決しました!! 運が良ければタクシーで琴平駅へ行き、特急に乗れます。
そして翌日は先月の続きで早明浦ダム周辺を走ろうと決めました。
それが、よもや急に気温が下がり、雨になろうとは…。
 
しかし、阿波池田行きだけは諦め切れず、仲の良い運転手さんにお願いして
高松空港でピックアップして貰い、阿波池田へ行ったのち丸亀・宇多津方面へ
戻るというルートに変更しました。往復とも猪ノ鼻峠を通ります。
 
我々の世代、池田高校野球部の"さわやかイレブン"は憧れの的でした。
その県立池田高校と三好市立池田中・池田小が並ぶ池田町ウヱノの台地の
すぐ北に池田ダムがあります。ウヱノ台地の南面は「中央構造線」池田断層です。
ウヱノ台地の東端にある諏訪神社(画像右端)からは、吉野川や、かつての川港
「千五百河原」が見えるそうで、なぜ阿波に諏訪神社が? と思ったら、
承久の乱(1221)で功績のあった小笠原氏が阿波国の守護となった際、
生まれ故郷の信濃から諏訪大社の分霊を勧請して池田大西城の守護とした
とのことで、祭神はもちろん建御名方神でした。
↑のトンネルの上が諏訪神社で、右端に暗く吉野川が見えています。
この河川敷は「千五百河原」と呼ばれ、ダムができるまでは川港として
使われていたそうですが、私的にはこの名称がひっかかります。
もしここが「千五百河原」なら、神社はかつて「千五百神社」だったのでは?
ちなみに香川県には、坂出市川津町に「千五百神社」が、三豊市高瀬町羽方の
大水上神の境内地に「千五百皇子社」が鎮座しています。
中央構造線」「池田断層」「千五百河原」…とても興味深い地域です。
高知に多い「イケ(伊氣・神母)神社」が「イケ(醫家)神社」として鎮座していることも!!
地図上では、「イケ(伊氣)神社」は高知市内を中心に15社以上、
「イケ(神母)神社」も範囲を同じくする地域に25社以上あります。
その高知県の「イケ神社」の北辺から約40kmも離れた池田町に
表記の異なる「醫家(イケ)神社」があると知っては行かずにおられません。
「イケ」の社名や、『記紀』に日本国の美称として登場する
「豊葦原千五百秋瑞穂国」の「千五百(チイホ)」の名をもつ河原に
薄っすらと伊福部氏との関連を感じているからです。
海人族を表わす「豊」+「葦原」+「千五百」+「秋」+「瑞穂」…
神楽歌となった古代歌謡の歌詞にも「葦原田」があります。
「豊葦原千五百秋瑞穂国」の初出は『日本書紀(720)神代下です。
葦原の千五百秋の瑞穂の国は是れ、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可き地(くに)なり
 
古代歌謡の歌詞の意味すら容易にはつかめませんけれど、
ここも一つの「磯良崎(いそらがさき)」かと思い、演奏修行をしに来ました。
実はここ、ネコちゃん神社だったんですよ!?
私が調絃をし始めたら、シロちゃんとシャムちゃんが擦り寄ってきて
「ねえ、パン持ってないの?」と脅しをかけてきたので、
「何も持ってないよ」と言ったら拍子抜けしたように去ってゆきました。
吉野川を渡って、普通に走ってきたと思っていたのですが、
境内から来た道を見たら、小高い場所にありました。
巨木がたくさんあるし、古代に「千五百河原」と関連づけて
当社を高知(河内)から勧請した可能性が疑われます。
では、今日のメイン、池田ダムへ行ってから帰りましょう。
さっき、南面を撮ったウヱノ台地の北側を下って吉野川沿いの道へ出ると
池田ダムが見えました! 運転手さんも初めてということで、
ダムを渡って対岸へ行けるかどうかわかりません。
「たぶん渡れると思いますよ」という何の根拠もない私の言葉通りに進むと
道がありました! ここを渡って右折したら、猪ノ鼻峠の手前に出られるため
市内の道を走って戻るよりもずっと時短になります。
そして、おそらく吉野川を挟んだこの位置からなら見えるだろうと思っていた
池田高校のあるウヱノ台地が見えました。
これで、私が阿波池田で見たかったものは全て見られました。
悪天候にも拘らず演奏修行もできて、感謝です。
明日の早明浦ダム行きを諦めて、ホテルをキャンセルしましたが、
いずれ再訪して四国山地をレンタルバイクで走ろうと思います。
明日はどんな風が吹くことやら…。