藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

飛騨高山

突然、乗鞍へ行きたくなり、
コースを考えたら飛騨高山経由になりました。
高山駅で「小野(この)」のバス停までの貸切を予約したタクシーに乗りました。
 
先ずは駅から近い櫻山八幡宮へ。
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見たいものがあってきましたが、どこにあるのやら…?
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これはこれは、立派な社殿ですね…。
広い境内をかなり歩いて見つけました↓
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その名も「狂人石」!?
ヒトはなぜこんな伝承をつくるのでしょうか?
社殿よりもずっとその精神構造に興味がわきます。
ともかく目的を達成したので次へ行くことにしましょう。
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そう、「狂人石」は社殿よりも高い位置にあったのです。
 
高山の地図を見ると、八幡神社が目につきましたが、
難読社名も結構ありました。
すべてはまわれませんが、「小野」への道すがら立ち寄ることに。
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ふうむ…「國都」は「くにつ」ですよね?
「本母」は?
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「ほのぶ」…ですか。しかも国府が置かれていた?!
けっこう狭い道を通ってきたのですけれど?
工事車両が境内地に突っ込んでるし…。
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何ですか、コレ…。
この社殿?の前面にコンクリートで基礎をつくっていました。
工事をしている方に訊いても「わからないよ、基礎工事してるだけだから」!?
「じゃあ、あの鳥居も移動させたってことですよね?」「そうだよ」
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こちら本母国都神社は、運転手さんも「ほのぶ」と発音されていました。
しかし、工事中では演奏修業もできませんし…(空振り)
 
これなら駅からバスでペンションに直行した方がよかったかも…?
と後悔し始めた時、目の前に絵に描いたような御神体山が出現しました!
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「この赤い橋を渡ってください」
「小野へ行くなら右折ですよ」
「わかっていますけど、ここを渡れば神社があるはずですから…」
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あ、劔緒神社です。
ここも難読社名なのでチェックしていました。
危うく通り過ぎるところでしたが、奥に古墳があるはずです。
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どう見ても、とってつけたような鳥居の位置ですよね?
立派な橋や舗装路がつく前は、川の手前に一ノ鳥居があって
橋を渡って直進すれば社殿という配置だったのではないでしょうか?
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この拝殿の前に立てば、後方の御神体山を仰ぐことになります。
賽銭箱がないのでスッキリしてますね…。
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鳥居から入ると、左が拝殿、正面が古墳になります。
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「剣緒」は地元でもさまざまに発音されているとのことですが、
私は「たちがを」派です。
 
思いがけず祖先の墳墓を守るという神社本来の姿を見られました。
大満足で小八賀川沿いに丹生川町に入ります。
丹生川町には幾つもの伊太祁曾神社が点在しています。
 
丹生川といえば紀州
紀ノ川の上流が吉野川、その支流が丹生川です。
その紀伊国の一ノ宮が伊太祁曾神社です。
木の神「五十猛(いたける)命」を祀る紀伊国の象徴のような神社で、
元々、和歌山駅に近い日前・国懸神宮の社地に鎮座していたそうです。
 
飛騨の伊太祁曾神社の祭神が紀州と同じ「五十猛命」になったのは、
明治以降、日抱尊という神が日本神話に登場しないとの理由で改称させられた
時のようで、古くはヒルメムチが日抱尊社の祭神だったと言われています。
 
往古より、当地では日抱尊乗鞍大神とされていました。
『飛州志』に
「所謂日抱尊ハ ヒダキソン・ヒダキソ・イタキソン・ダキソン以上四称あり、
所謂日抱尊ノ一字ヲ誤リ伝フルナルベシ」とあるほか、
同書「日輪神社」の由緒に
「按ズルニ曰祭神天照大神ノ荒魂ト云」との伝承があり、
日輪神すなわち伊太祁曽神日抱尊
天照大神ノ荒魂」と考えられていたことがわかります。
 
そして「飛騨」の地名も日抱尊からきた!? とのこと。
 
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小野でタクシーを下り、徒歩で小八賀川を渡ります。
縄文早期の遺跡があるという丹生川町に現存する伊太祁曾神社のうち、
小野のバス停に近い瓜田地区の伊太祁曾神社へ行くためです。
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↑瓜田公民館のあたりが伊太祁曾神社でした。
裏に小さな公園があったので、もしかすると神社=公民館だったかも?
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さらに進むと、Y字路の真ん中に神社がありました。
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夕陽を浴びる社殿の前に立つと、たしかに
見えない乗鞍岳を遥拝する形になりそうです。
 
小野(この)へ立ち寄ったのは、当然、籠(この)神社との関連を探るためです。
小野(この)の「ヒルメムチ=日抱尊」。籠(この)神社は「元伊勢」ですからね。
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ここから今日泊まるペンションまではバスで約20分。
今晩は平湯温泉で旅の疲れを癒したいと思います。