今日は朝8時台の電車で倉吉から岩美へ移動し、
予約していたタクシーで金峰山に登りました。
昨日一昨日の雨で足元はぬかるんでいましたが、天気予報がはずれて
晩夏のような陽気で、ずっとタクシーの窓を開けて走っていました。
金峰神社の一ノ鳥居でしょうか。
もちろん旧道ではなく右の舗装路を走ってます。
ナビが目的地に到着しましたと言ってますが?
この道を行くのは危険でしょう。
反対側に少し歩くと金峰神社らしき建物が見えました!
しかし、この荒れようは…!?
冬だから歩けますけど、夏だと草ボウボウで社殿に到達できないかも?
雨の翌日でもあり、社殿に近づくにつれてカビ臭が漂ってきます。
扁額が無く、鬼瓦の「金」の字で金峰神社だと伝えようとしてるのかも
知れませんが、讃岐人たる私にとって「金」マークは金毘羅さんです。
本殿もありますし、かつては一大修験場だったのではないかと想像されます。
金峯の修験の道に雨露の玉と結びて花のごと見ゆ
思わず、和歌を詠んでしまいました!?
気持ちよく走っていたら、右手にこんもりが見えました。
通り過ぎてから、運転手さんに「神社じゃないですか?」と訊ね
引き返してもらいました。
階段をのぼってゆくと「カラスウリ」が生っていました!!
カラスの好物という観察例がほとんどないのに「カラスウリ」…?!
社殿からの風景。のどかでいいですね。
さて、何という神社なのでしょう?
ダメだ…ちょっと読めませんが、地図で確認すると恩志呂神社?!
「天武天皇御宇白鳳4年(676)奉幣勅使有り」と記録されているものの、
元々この地に鎮座していたのか、遷座してきたのかはわからないそうです。
さあ、岩美郡岩美町岩井へやってきました。
ここは岩井小学校跡であり、向かって右手には岩井廃寺塔跡があります。
小学校跡に向かって左の山手に御湯神社が鎮座しています。
鳥居右の宮司さんのお宅で、神楽歌の演奏許可をいただきました。
御湯神社は延喜式神名帳に「巨濃郡大野郷」鎮座と記載された古社で
創建当時の弘仁2年(811)にはここより東の大野台地にあったそうです。
当地への遷座は江戸時代なので、徳川家の寺社改革の影響でしょうか?
さて、宮司さんにはどこで演奏してもよいと言われています。
あれ? 本殿への扉が開いてますね!?
はい、私も運転手さんもちゃっかり入らせて頂いてます。
頼まなくても撮影してくれる、とっても親切な運転手さんでした。
いよいよ午前中最後の坂谷神社へ行くために山を越えます。
細い林道を周囲の木々にバチンバチン当たりながら進むタクシー。
すみません、こんなことをお願いして…。
だいたい私の旅はこんな感じ…!? 運転手さんには申し訳ない限りです。
やっとこさ、入り口を見つけました。
社叢大好き人間の私ですが、階段は嫌いです。
「こんな歪な石段は登れません、168段もあるそうですし…」と弱音を吐くと、
「せっかく来たんだから登りましょう!」と励まして下さる運転手さん。
まさか一緒にのぼって下さるとは思っていませんでした。
ずっと石段だったわけではなく、平坦な場所もありましたが、
一人ならとうの昔に下りていたでしょう。
うわっ?! 最後の道なき道を登ったら巨大な磐座が‼
ビックリです。運転手さんも登ってきてよかったと仰って下さいました。
おかげで私も登り切れたので、磐の大きさがわかるよう演奏してみました。
ますますアヤシイですねぇ…私。
演奏後は、苔むした石段が滑るので手をついて下りました(トホホ…)!?
坂谷神社の参道はマムシ類が出る(?!)との情報を耳にし、12月を選びましたが、
無事に下りられたので、やはり冬に行って正解だったのでしょう。