藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

鈴鹿峠→安土

亀山のホテルに泊まったのは、鈴鹿峠を越えるためでした。
鈴鹿峠は古くから畿内~東国を結ぶ重要なルートで、
壬申の乱の際には大海人皇子側の伊勢国司の兵が鈴鹿山道を封鎖。
現在も、鈴鹿峠滋賀県側には田村神社三重県側には片山神社があります。
が、片山神社は1999年の放火で社殿が消失してしまったとか。
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焼け残った神楽殿も崩れ果てるのを待つのみといった状況でした…。
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早く社殿のあった場所を見たくて、先頭を切って階段を上る私。
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やはり、最高部にあったはずの社殿は無い…。
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さきほどの案内板にあった『室町殿伊勢参宮記』(1424)
鈴鹿姫と申す小社の前に」というのが、左手奥の祠でしょうか?
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わかっていたこととはいえ、現実を目の当たりにすると落胆しますね。
 
鈴鹿峠を越えて、真北に8kmほど走った土山町鮎河にある三上六所神社へ。
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もちろん野洲近江富士たる三上山の御上神社から勧請されたのではないか
と思ったので立ち寄りました。
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とても立派な造りです。しかも右手に犬が!?
猟犬ですって。空海みたいですね。
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「三上三郎」なる人物が実在したのか創作なのかは不明ですが、
御上神社とのつながりはわかりました。
 
大河原北土山線をさらに北上し、野洲川ダムから琵琶湖方面へ左折。
しばらく走ると蔵王ダム湖、その日野町大字蔵王金峯神社がありました。
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雰囲気が吉野の金峯神社に似てますね。
奥の階段を上ったら、さらなる階段の上に本殿が見えました。
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本殿前で演奏しているところを階段の下から撮ってくれましたが、
カメラの性能が良いせいか、カラフルな光が写り込んでしまっています。
いつもこんな画像ばかりなのでボツにするほかなく、そんな一例をup。
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実はここから西へ下って「日野」駅から近江鉄道に乗り
二手に分かれる予定だったのに、何とギリギリ遅れてしまい、
次の電車に乗れる場所までタクシーで行くほかなくなってしまいました!?
 
そもそも倭琴が二面入るケースを引っ張りながら電車に乗るなんて
無謀だったわけで、ずっとうら若きお嬢さんに持って頂いてました。
それゆえタクシーで移動することに決めたら気が楽になりました。
あとはiPadで地図を見ながら風まかせです。
 
長野へ帰るYちゃんには八日市から近江鉄道近江八幡へ出て
琵琶湖線米原へ行くことを提案しました。
しかしながら、昼間は1時間に1本の近江鉄道なので、
まずは桜川駅近くの勝手神社に立ち寄りました。
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うわぁ、きれいな藤です!!
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社名は地図とは違い、子守勝手神社でした。
 
次の駅「京セラ前」の近くには玉緒神社
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驚くほど立派な神社ですね…。
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あまりに立派なので祭神を調べたら素盞鳴尊
社伝によると、大宝年間の勧請? どこから?
中古は玉尾神社、明治初年頃より玉緒神社となる。ですって。
読んでも何もわからない社伝って、意味あります…?
 
ここから北上してゆく予定なので、次は東近江市五個荘伊野部町の建部神社
え?! 大津に建部大社があるのに?
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社殿に向かって左手に山があり、もし御神体山ならばなぜ
それを背後に社殿が建てられていないのか…不思議でした。
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静岡県神社庁のページに上の由緒が再録されていました。
人皇六代孝安天皇の御代に、近江国神崎郡千種嶽に大国主大神、事代主大神を祀り
日本武尊東征の帰路近江国造の租意布多牟和気の女、布多遅能伊理比売を娶り
稲依別王生まれ、景行天皇四十六年稲依別王御父日本武尊の神霊を大神と共に
千種嶽に合祀され近江一の宮建部大明神と称し建部の氏神と定められた。
白鳳四年天武天皇の御代に稲依別王の曽孫建部連安麿神勅により栗太郡勢多に移し
称徳天皇神護景雲2年に至り建部にある遠裔子孫その神徳を敬慕し箕作山の麓に
神殿を建立し建部新宮と号し建部の荘17ヶ村の氏神として(中略)建部祭礼を営む。
 
白鳳4年(675)栗太郡へ移したというのが瀬田の建部大社ですね?
ここが元宮だったということになっているのでしょう。
 
さらに北上し、同じく五個荘七里町の五箇(ごか)神社です。
参道の狭さからは想像もつかないほど立派な神楽殿があり驚きました。
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さっき行った玉緒神社に似てますね。
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演奏修行していたら、上からパッカパッカ…大音響が聞こえるではありませんか?!
Nちゃんも気になったらしく、子育て中の蒼鷺さまを撮ってくれてました。
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「静かに子育てしてるのに邪魔だわ!!」とお怒りのご様子。失礼しました。
 
ここ猪子山東麓から北麓に回り込むと、市立能登川病院の上に
「岩船」があるらしい…ということで坂を少し登ってみました。
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古墳よりは磐境祭祀の方が古いような気もしますが、
「岩船」は神亀5年(728)に対岸の高島比良の山から琵琶湖を渡ってきたそうですよ?!
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いやいや、この国には「ホント(正気)ですか?」と訊きたくなることばかり。
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よもや「岩船」が社殿を建てて祀ってくれと言ったとは思えないのですが?
信仰心のない私は「岩船」に乗って演奏したかった…!?
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人目もあって、返す返すも残念でした。
 
そろそろ明日の高松での奉納演奏の準備もあるので帰省の途についた方が
よさそうですね。東京へ戻るNちゃんともお別れです。
路線情報を見て「安土」から乗ることにし、駅近くの大己貴神へ。
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これは…広大な社地ですね。安土瓢箪山古墳に隣接し古社らしい雰囲気もあります。
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今は小ぢんまりとした社殿のみですが、奥行きもあって
かつては「安土」の一大勢力だったかも知れません。
 
ようやく、特急しおかぜに乗りました。
昨日の夕方から京都駅まで、自分では和琴ケースを持っていないのに
座ったとたん異常に腰が痛く、クビもまわりません!?
朝起きてリュックを背負った時も両肩がすごく痛かったし、今後は
倭琴二面を持参する仕事はお断りするしかないと痛感しています。
15kg超のリュックを背負い、15kg超の和琴ケースを運んで
演奏するのは負担が重すぎます。年寄りの冷や水!? というわけで
ヨーロッパ行きも(小麦アレルギーもあるので)当分のあいだ控えます。
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あ、もうすぐ宇多津です。明日の打ち合わせに行かなくては!