藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

アマの鳥船

「天(あまあめ)」とくれば天孫族かと錯覚しそうになりますが、
古代は漢字の意味にとらわれず発音に当て字していったものなので
私などは「海人海士海女」を連想します。
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ほら、鳥船を海士が漕いでる!! 海人の鳥船
国指定史跡名勝天然記念物「屋形古墳群」の一つ
「珍敷塚(めづらしづか)古墳」の天の鳥船↑です。
同「鳥船塚古墳」の天の鳥船には2羽の鳥が描かれているそうです。
 
天の鳥船を祭神とする神社はそれほど多くないようです。
私が行ったのは常陸国石船神社」くらいでしょうか?
今日はその常陸国下総国の境にあった大沼浦二ツ塚から白鳳時代
遷座してきたという「神崎(こうざき)神社」へ行ってきました。
白鳳2年(673)って壬申の乱の翌年ですか…(神話が先か神社が先か?)
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ん? 「なんじゃもんじゃ」?
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水戸光圀公云々はともかく、牧野富太郎博士が
ヤブニッケイタブノキスダジイヤブツバキ、シダなどからなる貴重な
原生林神崎森を訪れ、大クスの樹齢を二千年以上と言われたそうです。
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玉置山なら樹齢三千年以上の木が何本もありますが、ここは利根川沿いですから。
私の撮影画像で樹齢二千年以上の大クスの威容を伝えられないのが残念です。
 
黒アゲハの群舞が見られましたが、なぜか一羽しか撮れていないし…。
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せっかくここまで来たので少し足をのばして「香取神宮」へ行くことに。
国譲りを迫った際、事代主神のもとへ遣わされた神とされています。
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うわッ、やっぱり標高の低い神社は苦手…
と思いつつ、バイクで行けるところまで行ったら社殿の横でした。
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もちろん素通りして(って、何しに来てるの?)禁足地の林に隣接した道へ。
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たぶん一番奥に近い場所にあった六所神社
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須佐之男命、大国主命、岐神、雷神二座+花薗神社(靇神)だそうです。
ここから引き返して駐車場へ戻り「要石」の道標通りに進むと…小動物が!?
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何だろ? うりんぼうとか? 子タヌキとか? (視力0.05なのでよく判りません)
「何かちょうだい」と催促するので「何も持ってなくてゴメン」と言うと
そそくさと右の柵の中へ入ってゆきました。
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声をかけてみたら振り向いてポーズをとってくれました。
あれま、画像を見たら、きれいなネコちゃん!! おなか空いてたのかなぁ…。
 
小雨の中、傘もささず(持ってなかった…!?)「奥宮」を探しました。
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「奥宮」なので奥にあると思って本殿の奥まで歩いて行ったのに、第二駐車場の
すぐ上にありました。バイクで通り過ぎていたのです。
香取神宮」の祭神・経津主神の荒御魂を祀っているとのことで、
社殿には昭和48年(1973)伊勢神宮遷宮の折の古材が使われていました。
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鹿島神宮(常陸国鹿島郡)香取神宮(下総国香取郡)は郡全体が神領とされていた。
両神宮の鎮座地は、現在の霞ヶ浦印旛沼手賀沼を含む一帯にあった内海「香取海(かとりのうみ)」の入口で、ヤマト王権による蝦夷進出の重要な拠点であった。
●その「香取海」を大国主命に国譲りをさせた武甕槌神経津主神天鳥船命で抑えるべく、利根川に突き出た岬の上に神崎神社を673年に鎮座させたのではないか?
 
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古代より利根川を航行する船人たちの目印だった神崎森(左端のこんもり)
江戸時代にはこんな唄が歌われていたそうです。
 
♪ここはこうざき(神崎)森の下、舵をよくとれ船頭どのよ、
主の心と神崎森は、なんじゃもんじゃで気が知れぬ♪