藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

呼子

帰京したら
電車が遅れていて、17時半に帰宅しました。
部屋に入った途端「数十年に一度の大災害が発生する危険性が高い」と
TVで繰り返し注意を呼びかける声が聞こえてきました‼
まさに私が行っていた福岡県や佐賀県、そして大分県にも警報が出ているようです。
九州滞在中は山陰の様子が心配でした。
水不足の場所もあるのに、なぜここまで集中的に降ってしまうのでしょうか…。
人間が自然をコントロールすることは出来ません。
ただただ祈るのみです。
 
イメージ 1
 
朝7時前に目が覚めたら雨は降っておらず安心していたのですけれど、
タクシーに乗った8:45にはザーザー音を立てて降っていて
運転手さんが「田島神社は参道がぬかるんでいるから大変だよ」と仰います。
「でも肥前国松浦郡名神大社へ行くのがメインですから」と申し上げ、
雨の中を唐津呼子と走って加部島へ渡るべく呼子大橋を渡ったら
雨がやみました。結局、全く傘を使わなかった旅でした。
 
呼子の海はお天気が良いと遠近の濃淡が本当にきれいなのだそうです。
もっと電車の便が良かったら何度でも行きたい場所です。
島や入り江が多いので、のんびり釣りをするのも良さそう…。
 
さて、田島神社です。
こうして対岸から見ると、対馬の多くの神社と同じく海から舟で参拝したいところですが。
イメージ 2
重厚に見える門や社殿に対し、松浦佐用姫が化身したという岩を祀った佐與姫神
カラフルなこと!? 岩のままじゃいけなかったんですか?
イメージ 3
当社の中で、ここだけが別世界!? 他の建造物とのミスマッチがスゴイ!!
イメージ 4
ところで、マツラサヨヒメって誰?
平成16年には鏡山の山頂展望台にも鎮座されていますが?
イメージ 5
この顔はちょっと失礼というか、皆さん結構この顔に言及しておられますよね。
 
「天候のせいか、鏡山って暗い感じですよね?」と運転手さんに話すと
「稲荷だからじゃないですか?」と言われ、
ヒンドゥー教の神ダーキニーで人の血肉を食べるカーリーの眷属だから
あんな恐い顔なのかもしれませんね…」との軽口が冗談にもならず凍る…。
 
巨大な赤い鳥居をもつ鏡山(稲荷)神社がいったいいつからあるのかが不思議で
ホテルや町で訊いたところ、「私が子供の頃はなかったね~」とのことでした。
 
では、近年になって神話に沿った名所づくりをしたわけですか?
その割には「先史時代以来、鏡山神社の磐座です」なんて書かれていますが…。
イメージ 11
仏壇やお墓みたいに色花が挿されていて非常に恐かった…。
イメージ 6
言われてみれば、岩の前に赤い鳥居があるし、稲荷っぽいですね。
ここは池から下ったところにあるのですけれど、前々から岩があったのかなぁ?
 
帰宅後、私は大きな間違いを犯していたことに気づきました。
今回私が行くべきだったのは、歴史の浅そうな鏡山(稲荷)神社ではなく、古来、
上松浦下松浦の総社として鏡宮・松浦宮・松浦明神・鏡明神・御香宮などと
称されてきた鏡山西麓に鎮座する鏡神社だったのです。ガ~~~ン!!
鏡神社には一ノ宮と二ノ宮があって、
一ノ宮の祭神は息長足姫命(=神功皇后)で創建は仲哀天皇9年(西暦200年頃?)
二ノ宮の祭神は藤原不比等の孫 廣嗣で、創建は天平17年(745)だそうです。
なお、鏡神社は『源氏物語』第22帖《玉鬘》にて物語の舞台となっており、
紫式部は次の和歌を詠み込んでいました。
「君にもし 心たがはば まつら(松浦)なる かかみ(鏡)の神を かけてちかはむ」
 
話を田島神社に戻しましょう。
祭神が宗像三女神で、社名が宗像大社 辺津宮の住所「田島」?!
当地は松浦郡なので、松浦党で知られる松浦氏の本拠地の一つですよね。
にも拘わらず宗像三女神が祭神だとしたら、シンプルに考えると
宗像氏の祖神を奉斎する人たちが、松浦氏に取って代わったということでは?
 
いずれにしても海人族らしい神社ですよね。
イメージ 7
 
次に向かったのは秀吉の朝鮮出兵の拠点 名護屋城(1591)があった鎮西市名護屋
家康や清正らの陣跡を見てもしようがないので、船出をする人々が船上から
伏し拝んだであろう古社へ行ってみることに。しかし車は入れません。
イメージ 8
路地を入って直角に曲がったら鳥居が見えました。
かなり階段を上ります。途中から見てもこんな感じ↓
イメージ 9
やっぱり船から見えますね!
 
唐津に戻って、日本最古の水田跡を見ました。
イメージ 10
未だに米は弥生時代の象徴と仰る方がおられますが、
昭和54年(1979)に発見された菜畑(なばたけ)遺跡はそれまでの常識を覆してくれました。
 
菜畑遺跡が発見される前、日本最古の水稲耕作遺跡は板付遺跡で、
遺物の土器は「夜臼式土器(柏崎式土器)」でしたが、
菜畑遺跡からはそれより古い「山の寺式土器」が出たばかりか
炭化米も約250粒出土し、そのうち100粒以上がジャポニカ種と判明!
(「山の寺式土器」は南島原市深江町山の寺梶木から籾痕を持つ大量の縄文土器が出土し
縄文晩期の稲作問題に一石を投じたことから名づけられました)
 
さすが米どころ佐賀ですね~。ご飯の美味しさにも感動した旅でした。