藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

伊豆国田方郡

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おはようございます! 函南あたりの車窓から。
今日は近場でもあり、遅い出発です。富士山は雲に覆われて見えません。
「こだま」→「踊り子」で修善寺へ行くという、何度も辿ったコース。
一度では終わらない、何の閃きもない私…。
 
イセ・イソ・イシを追い、長氏(族)を追って気づいた田方郡の真珠養殖でした。
旅の最初にシキ・シカ・シコを追って行った対馬もやはり真珠養殖でした。
こうなると、海人族と真珠養殖、五絃のコトは分けては考えられません。
思えば、社殿前にヴィーナスでも出てきそうな、大きい貝が奉納されているのを
何度も見かけました。情け無いことに、その時は意味がわからず素通りしました。
(これこそが今日訪ねる予定の鮑玉白珠比咩命の象徴でしょう)
まぁ万事こんな調子ですから遅々として研究が進みません…。
 
古い文献に「田方郡」は「田賀田」の神名からとられたとあり、
「田賀田」は阿田賀多須命のことと書かれていました。
(阿田なら百済神を奉斎する三島神=大山積神の後裔とされていますが?)
その阿田賀多須大麻比古阿佐多知比古が同列で
「田賀田=田方」に象徴されているらしいのです。
 
阿波国の前身「粟国」と「長国」の支配者が同族だったとわかり、
そこに大麻比古神社阿佐多知比古神社がありました。
その長族が治めていた国がナカ・ナガです。
今日行く田方郡の南に那賀郡があります。
やっと地名と氏族の繋がりが見えてきました。
これまで二度ゆきましたが、肝腎の場所に気づかず、三度目を画策中…。
 
さて、田方では大朝神社大麻比古神社阿佐多知比古神社と同列なのだそうです。
そこで「式内社 伊豆国田方郡 大朝神社」の論社のうち、
先ずは上から4社目まで行ってみました。
      大宮神社 (静岡県伊豆市上白岩422)
      ●神益麻志神社(静岡県伊豆の国市神島字神益1307)
      ●駒形神社 (静岡県伊豆の国市神島字神益)
      ●大朝神社(静岡県沼津市下香貫字山宮前3056)
      ●赤王神社(静岡県三島市中郷大場883)
      ●鷲頭神社(静岡県沼津市大平1824)
      ●鷲頭神社古社地(奥宮) 鷲頭山頂
 
1社目は繩文時代中期後半から後期初頭の上白岩遺跡(国指定史跡)のすぐ北にある
式内社白岩大朝神社こと現大宮神社です。
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修善寺駅に着いた時には屋根のあるホームを歩いただけで濡れてしまいそうな
スコールが降っていましたが、数分走ると雨は一滴も落ちていませんでした。
大宮神社は小高い丘の上にあって社殿の奥に清流がある典型的な古社でした。
 
次に向かった神益麻志(かんますまし)神社駒形神社葛城山山麓に位置し、
葛城山御神体とする神社のように見えました。
 
沼津の牛臥山の麓にある大朝神社もやはり牛臥山が御神体のようでした。
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南に牛臥山があり、社殿は北面しています。
 
いずれも、大麻比古神社阿佐多知比古神社とはずいぶん印象が違います。
葛城山東麓の神益麻志神社、北麓の駒形神社とまわって西麓へ向かうと
式内社 伊豆国田方郡 長濱神社」の論社長濱神社(神津島阿波命神社から分祀とも)
ありました。この鎮座地はかつて海岸線の崖のすぐ上だったと思われます。
ここ内浦長浜から西浦木負(きしょう)へと入江のクネクネ道を進みます。
 
平城宮出土の木簡に「棄妾郷」、のち「吉妾郷」とあるのは、祭神の
鮑玉白珠比咩命が三島神の本妻たる阿波命神社(神津島村長浜1鎮座)の祭神
阿波比咩命の妹神とされる伝承によるものらしい…。
 
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鮑玉白珠比咩命神社(画像に運転手さんの御苦労のあとが…!!)
こちらも港の見える高台にあり、木負からの風景は英虞湾を髣髴とさせます。
 
そこから更に海岸沿いの道をクネクネと西浦江梨の大瀬(おせ)神社へ。
(途中ドシャ降りで車から出られず素通りした神社もありました)
車が入れるのは大瀬海水浴場の駐車場までです。
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あれま!? ずいぶんと場違いなところへ来てしまいました。
ここはスキューバダイビングのメッカなのだそうです。
狭い歩道を遠慮がちに歩いて鳥居を目指したものの神社へは行きませんでした。
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大瀬神社は「式内社 伊豆国田方郡 引手力命神社」を名乗っていますが、
伊東市手力男神も「式内社 伊豆国田方郡 引手力命神社」の論社です。
 
ここ駿河湾に約1km突き出した半島(大瀬崎)は今は砂洲により陸続きですが、
もとは「琵琶島」と呼ばれていたそうです。
社伝によれば、白鳳13年(684)に起きた南海トラフ巨大地震と推定される
白鳳地震土佐国の多くの土地が海中に没した時、伊豆では海底が突然隆起し
島が出現したことから、神が海に沈んだ土佐国から土地を引いてきて
伊豆に島を造ったという伝説が生まれたようです。
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「岬一周約1km」とありますが、グルグルと隈なく40分ほど歩きました。
地図にある鳥居をくぐらず、少し手前で北上して外側の遊歩道へ出たため、
ビャクシン樹林を目指して歩いていたら社殿が右手に見えてきました。
(雲が無ければ↓この真正面に富士山が見えるはずだったのですが?)
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社殿の向こう側をまわって神池へ。
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うわぁ~凄く静かな感じ…と思いきや、若い男性2人がエサを撒き始めると!?
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この小さな池に30,000匹は多過ぎる!! 淡水魚が争う様子がコワ過ぎる!!
やっぱりここが北限と言われるビャクシン樹林を歩く方がいいですね~。
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こちらが樹齢千年を超える御神木ですが、もっと大きい木もたくさんありました。
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すべての道を歩き、16:22にはまだ大瀬港(看板の右向こう↓)の対岸に居ました。
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歩いていたら最終の16:40発 沼津港ゆきに間に合わない?! と思い、走りました。
16:30には着いて切符を購入したのですけれど、船が来たのは出航時刻でした!?
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結果的に急ぐ必要はなかったものの、走れるほど膝が回復していたということで…。
上の画像、船の左側に富士山の裾野が見えていますが、
富士山の全景は、夏は早朝でもない限り、滅多に見えないそうです。
いや、しかし、大瀬崎↔沼津港の船便は夏だけなんですよね…(期待し過ぎました)
 
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船から白鳳地震(684年)で隆起したと言われる琵琶島を撮りました。
 
この青空からは嘘のようなスコールに二度も見舞われた難儀な道程でしたが、
沼津駅へ向かうタクシーの窓からは富士山が見えました。
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18:16、手前の濃い影は愛鷹(あしたか)(1504.2m)