GoogleMapsに書き入れたので、今日は遺跡めぐりです。
その前に、先ずは縄文時代の丸木舟を見に結城三百石記念館へ。
今年に入って同じ道を何度も走っていますね…。
帰りには真下を通るはずの足高(あだか)城址が見えます。
「台地に住む」の言葉通り、縄文時代には私が走っている道は海ですから
あの台地に貝塚や縄文の集落があり、のちには古墳が造られ、
武家社会になってからは城が築かれたわけです。
最初に行く結城家は、天文15年(1546)に小田氏との戦いに敗れ
板橋城主 月岡播磨守に匿われた結城氏が、板橋城が多賀谷氏に攻められて
落城したことから、約3km南下して帰農した場所と言われています。
もちろん戦国時代に今の結城市に本拠を構えた結城氏と同族です。
長屋門の前にキャノピーを停め、仰ぎみたら「結城」の文字が!?
長屋門の大きさに驚きますが、左手の引き戸の中には織機が4台置かれていました。
毎月、機織りの勉強会が開催されているそうです。
最初に順路に沿ってお庭を見せて頂いたのですが、すべて結城家が代々
植え育ててきたもので、竹は防風・用材およびタケノコを食するために、
梅の木は梅干し作りのために、生活に欠かせなかったそうです。
木々の間に身を置くだけで幸せな気持ちになれます。
が、今日は丸木舟を見なくてはなりません。
一周しても見つからなかったのでお訊ねすると、厠↓の前にありました。
約5mの丸木舟が入るコンクリートの箱のようなものを作って水を張って
あるのですが、上に網を二重に被せてあるため全容が見えません。
結城三百石記念館は、教育委員会に頼まれて置いているだけ…とのことでした。
網が一重の端っこからチラッと見えただけで拍子抜けしましたが、
古代の丸木舟とコトの形状が合致することだけは確認できました。
さぁて、次は足高城址の北から北西に広がる台地に上がり、
西端から東端へ横切って西谷田川に近い野堀の縄文遺跡へ行きます。
台地のどこへ上がろうしているのか、どこも同じにしか見えないので困ります。
ナビを頼りにひたすら走っていますと、鳥居が見えてきました。
しかし、この手前にあった野堀古墳は道路からは見えませんでした。
現況=山林ということで、うっかり通り過ぎてしまったようです。
鳥居の前から見ると、下り坂の先に西谷田川が流れていることがわかります。
階段の横に舗装路があったので、そのまま上がりました。
バイクが停まっているので先客がいるようです。
畑仕事にいらしていた私よりも若い女性はご存知ありませんでした。
社殿左手から奥へ廻ってみました。ここも発掘されたような感じですね。
裏へまわると、ここで古代祭祀が行なわれていたとしても不思議じゃない感じ。
表と裏の表情がまるで違いました。
鹿島神社を出たら坂を下って右折し、以前走った西谷田川沿いの道へ。
左に見えるのが泊崎へと続く岬、右側が足高城址のある台地、
真ん中から左にかけて牛久沼が広がっているということになります。
2/28に行った神生(かんの)貝塚の場所が微妙に違っていたので再訪してみます。
断層が見えるほどに竹が引っ剥がされていますが?
右手の坂を上ると、道の左側が↑縄文時代の天神山遺跡。
反対側が神生貝塚なので、ここから右折します。
さっき見た竹林の真上に来ました。畑仕事をしている方がおられます。
「すみません、あそこに白く見えているのは貝でしょうか?」
「そうだよ、手前はもう何度もひっかきまわしたから表面には出てないけどね」
「あそこは墓だよ。人骨がたくさん出た」
「これは最近のイノシシの牙だけどね。この貝塚からは魚の骨もいっぱい出たよ」
「うわぁ、近づくと貝がビッシリ埋まってますね」
「向こうの竹林も以前は畑だったから出るよ。それで今、少しずつ整地してる」
「この真下の地層というか、断層が見えてましたね」
「そう、下の畑もうちの土地だから自分で竹を伐採してるところだ」
「こんな土器の破片はどこからでも出てくるけど、竹林の下からは
大きな、人間が入るような甕が出てきたんだよ」
「それは海人族の甕棺墓じゃないですか?」
「わからないけど、ショベルカーで粉々だよ」
「………!?」
先日行った香取神社への道を教えて頂いたので、この道を行ってみます。
お!? あれはふきのとうでは?
ここもさきほどの地主さんの畑です。突当たりを右折します。
あ!? 香取神社の裏手に出ました!
このあいだ入って来た向こう側の道から出て、足高貝塚を探します。
振り返ると、さきほどの地主さんのお宅が見えます。
あのお宅の向こうが神生貝塚です。
地主さんと仲良くなり、縄文土器と思しき欠片を幾つか頂戴しました!!
人骨がたくさん出たこの畑の持ち主は御高齢のため農業をやめられたそうです。
神生から足高へ向かっていると、先日行った足高稲荷神社手前の家が見えました。
すると、反対側の画像左に足高貝塚があるはずですが、道がありません。
この坂を下ると、すぐに上り坂になるので、そこから左折してみます。
地図ではここを直進するようになっていますが、先に右折してみます。
この道の奥にあったのは…
茂みの中の「馬頭観世音菩薩」。まだ現役のようです。
では、さっきの道まで引き返して先へ進みます。
上下二股ですが、右の下りは違うでしょう。このまま直進してみます。
しかし、これは?! いくら私が冒険野郎でもこんなケモノミチへは入れません。
手前の畑で貝を見つけたので、この辺りが足高貝塚と納得して
今日の遺跡めぐりを終えることにしました。
作っておいてくれた旧伊奈町に感謝です。