藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

上高津貝塚

今日はちょっとだけ遠出。
6号線を走るのが嫌でなかなか行けなかった土浦市上高津貝塚へ。
6号線は一車線なのでバイクでは走りづらい上、
牛久駅の周辺がいつも異常に混んでいるのです。
しかしながら今日は渋滞で動けないパトカーをも出し抜いて
40分ほどで上高津貝塚ふるさと歴史の広場へ行きました。
間宮林蔵記念館の館長さんにチラシを頂いたので
テーマ展『土浦の3万年』を見るために。
 
さすが国指定史跡上高津貝塚を擁するだけあって土浦市はきちんとしてますね。
つくばみらい市も是非あとに続いて遺跡を整理して貰いたいものです。
 
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画像右寄りのレンガ色の建物が考古資料館。
先ずは入り口で『常設展示図録』と、開館20周年記念特別展として
平成27年10月17日~12月6日まで開催された
『上高津貝塚のころ―縄文後晩期 円熟の技と美』の図録を購入。
後者は、霞ヶ浦の南側にある陸平(おかだいら)貝塚
 
中妻貝塚ほか同時代の遺跡のデータも充実していました。
 
とてもわかりやすい展示を見てから、上高津貝塚へ。
広いですね~
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平らな部分だけでなく、周辺の凹地へも自由に入れるため
日向と日蔭の植生について知ることができます。
↑この森を見ていて振り向くと貝塚があります↓
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ビッシリ貝殻が埋まっています。貝殻の地層を展示したスペースもありました。
復元住居もあって、その上に飛行機がさしかかった瞬間を撮れました!!
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復元住居の左右が貝塚になっています。私は時計回りに歩いてきました。
最初に桜を見つけて、たぶんそこで演奏するだろうと思ったので。
↓こちらが反対側の斜面にある貝塚です。
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この下の道を歩いてきました。
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目指すは谷の手前の一番低い場所にある桜です。
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ほら、こんなふうに上にある桜の花びらが散る様子が見えます。
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やはり直感した通り、この木の横に陣取りました。
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足元には元気なタンポポが咲いています。
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座って前を見ると↑こんな感じ。空は↓こんな感じ。
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もうかなり散ってしまったので、本当に今日がラストチャンスかも?
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演奏修業を了えて駐車場へ戻ると、1時間前には宴たけなわだった
お花見の御一行様が片付けをしておられました。
(私と同じく地べたに座っておられたわけですね!?)
 
さてと、せっかくここまで来たんだから、もう一ヶ所足をのばしてみます。
上高津貝塚の北北西にある瀧の台古墳群と隣接する體見神社です。
現住所はつくば市上境になりますが、體見神社の読みがわかりません。
20分ほどで着きましたよ。
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ううむ、やっぱり読み方がわかりません。
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取り敢えず、階段をのぼってみましょう。
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何と愛嬌のある(土偶っぽい?)狛犬でしょう。
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おお~、薄くルビが振ってあります。「すがたみ」らしいです。
河内郡とは『常陸国風土記』に残っていない(白壁郡とともに隠された?)郡名です。
菅田の首(おびと)菅田神とは?
 
菅田神社なら、奈良県大和郡山市八条町に鎮座しています。
延喜式神名帳大和国添下郡に記載された古社で、
菅田首という古代氏族が祖神の天目一箇命を祀ったと言われています。
 
案内板にある「天久斯麻比士都命」が天目一箇命なのでしょうか?
ともかく菅田首の遠祖三神を「菅田神」として祀ったと書いてあります。
 
左を見ると古墳らしきものが。
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こちらの狛犬さんはちょっと怖い顔をしています。
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瀧の台古墳群です。年代からいって菅田首の古墳ではないと思いますが?
「猪」と「鹿」の埴輪がヒントになりそうです。
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登って行けそうでしたが、そういう趣味はないので
斜面や下の台地にある夥しい数の祠を見ただけ。
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社殿の扁額は「正一位體見大明神」とありますが、
正一位」といえば言わずと知れた「稲荷」ですよね。
日本三代実録』に「菅田神」とあるなら
菅田明神菅田神社でよかったのでは?と思いますが、
體見大明神とは、何か大それた野心でもあったのでしょうか。
 
訳のわからない日本の神社の見本のようだな…と思いつつ帰途につきました。
北上しちゃったので、帰りは1時間近くかかりそうです。
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振り返ると筑波山が見えていました。不思議な雲です。
17時を過ぎてしまったので、つくば市の中心部は渋滞していました。
よって牛久市を避けて、三日連続で伊奈町を通って帰りました。
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18時ジャストに足高城址の手前、浅間大神が鎮座する近の島に目をやると、
こちらは竜巻のような不思議な雲が撮れました。