藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

伊豫國風土記

ゴミ出しのために帰省。。ではつまらないのでどこかへ行くことに。
どこかって…どこ? と考えて『釈日本紀』巻七所収の逸文に至りました。
釈日本紀』は鎌倉時代末期の『日本書紀』の注釈書(全28巻)
巻七の逸文に「伊豫國風土記」が翻刻されていました。
 
「伊予の国の風土記にいはく、
伊与の郡。郡家より東北のかたに天山(あまやま)あり。
天山と名づくる由は倭(やまと)(あめ)の加具山(かぐやま)あり。
天より天降りし時に、二つに分れて、片端は倭の国に天降り、
片端はこの土(くに)に天降りき。よりて天山といふ、本(ことのもと)なり」
 
これは、ちょっと…。
私は別の見方をしていますが、行ってみる価値はありそうです。
松山市天山2丁目は、単純に宇多津から往復して4時間。
途中、気になっている神社へ立ち寄って5時間。
各所での演奏時間をプラスして7時間。
というスケジュールを友人に伝えて車を出してもらうことに。
友人の自宅からは上記プラス2時間ですから感謝の一言です。
 
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天山の麓に着きました。この階段を登って頂上へ行ってみます。
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あれが天山神社ですね。天山の歴史よりかなり新しいという印象でした。
しかしながら山頂の円形台地は、これぞ古代の祭祀場というスタイルで
桜井市土舞台はもちろん、天香具山の山頂とも酷似していました。
もちろん古代祭祀のために造営されたと考えています。
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社殿は度外視して、円形の真ん中あたりで演奏修行しました。
下山の際には松山城が見えました。
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実は行った順ではなく、逆から書き始めています。
天山の前は伊豫豆比古命神社(通称=椿神社)でした。
立派な神門です。
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椿については諸説ありますが、海人族が揚子江流域から
持ち帰ったとも伝播したとも言われています。
「往古、伊豫豆比古命伊豫豆比売命の二柱の神が舟山に御舟を寄させ給ひ
潮鳴栲綱翁神(しほなるたくつなのおきなのかみ)が纜(ともづな)を繋いで迎へた」
との伝説が示唆するように当社周辺は一面の海原だったそうです。
(伊豫豆比古命伊豫豆比売命は渡来系海人族だったのでしょうか?)
「津の脇の神社=つわき神社が徐々に訛ってつばき神社になった」との説、
「境内一帯に藪椿ほか各種の椿が自生しているので椿神社と呼ばれた」説が
ありますが、私は海柘榴市の玉列神社との関連を疑いたく思います。
 
その前に立ち寄ったのは古墳を削って社殿を建てた波賀部神社
年代にズレのある由緒を実しやかに伝えていることに驚きました。
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         ①聖武天皇神亀5年(728)、伊予の豪族越智玉純が大三島より勧請し、
            石井郷一宮三島大明神と称す。
         ②貞観18年(876)、伊予の国司として赴任した嵯峨天皇の皇子寛王が
            当地で亡くなり、神社の傍らに遺骸を葬って神霊を合祀したことから
            社号を墓邊神社と改称。のちに墓の字を忌み波賀部神社に改めた。
 
一見してわかるように、古墳を背負うように社殿が建てられています。
しかも波賀部神社古墳は6世紀前半の築造と考えられているのです。
私なら「はかべ」と聞けば「ははかべ」「ほほかべ」といった
社名との関連を疑います。ここは物部の本拠地の一つでしたので。
三島大明神にせよ、嵯峨天皇の皇子にせよ、古墳の被葬者とは無関係なのでは?
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古墳の被葬者がわからないため、どの神楽歌を選ぶか迷いました。
 
この前が東温市河之内の惣河内神社でしたが、こちらも三島神社でした。
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この社殿の左隣が金刀比羅神社、右手の橋を渡ったら金毘羅寺という立地。
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桓武天皇延暦22年(803)、久米郡余部郷が野々口郷と河之内郷に分かれた時、
河之内の総鎮守として創立されたと伝わります。
正哉吾勝々速日天之忍穂耳命(まさやあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)
主祭神とありますが、すでに物部系ではなく三島神の配下?
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ここへ「総河内大明神」を分祀したのは、
約1,300年の歴史を持つという東温市滑川の惣河内神社ではなかったかと?
 
その滑川渓谷の手前の惣河内神社が世間に注目されたのは2012年のことでした。
7月に御神木が枯れているのが見つかったのです。
樹齢500年超、幹周り4m前後のヒノキの大木2本。
地元では老木なので枯れてしまったのではないかと考えられていたそうです。
約1ヶ月後、訪ねてきたとある木材業者が
「枯れた木は危ないから早く切ったほうがいい。伐採して買い取ろう」
と言われ、御神木2本を550万円で売買する契約を結んだといいます。
ところが、木の伐採直前、木の根元に直径5mmほどの穴が複数見つかり
不審に思った住民が警察に相談し、ドリルのようなものであけられたと判明。
警察のさらなる捜査で、穴の中から除草剤に含まれる成分の一種
「グリホサート」が検出されたというのです。
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2012年12月19日付の読売新聞に「ご神木立ち枯れ」の記事とともに
2005年以降に愛媛、徳島、高知、和歌山4県の神社7か所で
被害報告があった御神木の一覧が掲載されました。
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林野庁は御神木が人為的に枯死させられたケースの緊急調査を実施。
被害は愛知以西の5県にある過疎地の神社に集中していることがわかりました。
いずれも薬剤を注入するためとみられる穴が幹にあけられていたそうです。
現場で独自調査を行なった愛媛県林業研究センターの豊田信行さんは
穴の深さが4cmほどだったことから木材に詳しい人物が関わっていると推測。
なぜなら木は表面から4cmほどの部分に根が吸った水分を運ぶ管が通っており、
その管まで穴が掘られていたからだそうです。
そこへ除草剤を注入すると、葉や枝へ行き渡って枯れたとしても
幹の中心部に影響はなく、木材としての価値は下がらないとのこと。
豊田さん曰く「木を扱う人なら常識的に知っている話です」。
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かつて石段の上の両サイドにあったという御神木を見られず、残念でした。
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あっ!? 足の指が!! 素足に見えますよね?
友人から「素足に見える5本指のストッキング」を貰ったので履いてみました。
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川を挟んだ対岸に校舎跡がありました。
右手にきれいなトイレもあり助かりました。↓トイレからの景色。
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そんな一日を終え、これまで延べ5日間、段ボールの上に並べて
アルコール消毒した本を、本箱の中を消毒してから入れました。
『赤い鳥』の全集をわざわざここへ送ったのは大間違いでした…。
次回はカビ臭が消えていてくれることを願うばかりです。
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不要となった段ボールは、資源ゴミの日が明後日なので、出せませんでした。
次回は何とかせねば…と思っていますが、取り敢えず帰宅します。