サヌカイト(讃岐石)は、香川県金山・五色台ほか、
二上山は歴史的に重要な場所かと思われますが、なぜか
一度も訪れたことがありませんでした。
二上山雄岳のサヌカイトを確保すべく、
當麻物部が居住していたとの説もあるようです。
そこで、六御縣の最後となる葛木御縣神社へ行くにあたり
二上神社口駅で降りてタクシーで南下することに。
駅の真西にある葛木倭文座天羽雷命神社ですが、住所が葛城市加守なので
「加守神社」とも呼ばれていると書かれたものを読みました。
が、やはり足を運ぶものですね…。
由緒書がありました。
こうして見ると、別々の神社を勝手にまとめたようにしか思えませんが?
最初の石段を登ったら、踏歌神事でも行なえそうな広場がありました。
さらに登ると、三社を並記した扁額が拝殿に掛かっていました。
もう呉越同舟の祭神のことなんてどうでもよくなりますね。
地図に「四天王堂」があったので、裏道に回り込んでみました。
何だか山の分校といった風情です。左奥に案内板が。
ここに「加守寺」があったのだとしたら、隣が「加守神社」というのは自然です。
しかしながら「加守神社(掃守神社)」は倭文神社の摂社として
しかも倭文神社は
国々に祭られているが、その根本の神と言はれて来た」
とあるのですが、いかがなものでしょう。
ちょっと眉に唾をつけつつ、次の當麻山口神社へ。
男女二神(麻呂子皇子・當麻津姫)を祀ったと言われています。
現在は當麻山口神社摂社の當麻津比古神社の祭神 麻呂子皇子は
ここでも眉に唾…?
拝殿から階段下を撮ると、さっきの倭文神社とそっくりでした!?
鳥居は、なぜか真っ赤!!
鳥居の手前、左手にあった案内板も撮ってきました。
「いつのほどにか」合祀した祭神に
「軒を貸して母屋を乗っ取られた」ってことでしょうか?
この国では非常に多いケースですよね。
さあ、いよいよ葛木御縣神社です!
道路から見えているのに入り口がわからず、周囲をグルグル歩きまわりました。
六御縣はわかりづらく車で行けないとの法則は不変?!
漢字は「葛木」ですね。「坐」はありません…。
天候のせいだけでなく、葛城方面の神社はどんより暗く見えませんか?
道路から見えているのは、この裏側です。
六御縣はヤマト王権が最初に支配した宮廷直轄領なのに
こんな状態でいいんでしょうか?
大和国六所山口神社と十四所山口神社も足の踏み場もないような神社があって
何だかゾッとしてきますね…。
ただ、今後はともかく、今日だけは乗りかかった船なので
「延喜式神名帳」で十四所山口神社の本社とされた鴨山口神社に立ち寄ります。
実はかなり前に来ているのに、当時は10社まわっても2社程度しか
演奏修行していなかったので「追試」のようなものです。
おっと、前回は鳥居の右手から来ました!?
今回は運転手さんが素通りしてしまったので、一つ先の道から歩きました。
どういう方角を向いているのでしょう?
「太神宮」とは? 「お伊勢さん」ですかね?
結局わからないことだらけでした。
私の大好きな社叢もないし、時間のムダ遣いとしか言いようがありませんね…。
最後がまた、上書きに次ぐ上書き…って感じで
よくわからないので足を運びましたが、やっぱりわからなかったのでした。
元は九頭神社とあったので来てみたのに。
社殿がないと書かれていますが、ありますよね?
そして問題は社殿背後の囲い。
「御神体は榊」なんて書いてありますが、何も見えません。
仕方がないので演奏のみ行ないました。
ここだけは鳥居の前にタクシーをつけられたので
運転手さんに1枚撮ってもらいました。
あまりに収穫が少なかったため、橿原神宮前駅に30分前に着きました。
それで一本早い特急に乗ったものの、接続を確認すると
すでに持っている東京からの特急が便利でした。
ならば…と、京都駅へ行くと必ず食べたい濃厚抹茶ソフトを購入。
新幹線「八条口」近くの京町家茶屋"抹茶亭"です。
最後に抹茶が振りかけられていますが、それ以前に抹茶の濃度が違うのです。
小麦アレルギーの私はコーンが食べられないのでカップで頂きます。
500円で疲れが吹っ飛び、生きかえった思いでした!
しかし、東京駅に着くと特急のダイヤが乱れていて、結局
鈍行で帰ったので、一本でも早い新幹線に乗るべきだったと後悔しきり。
そういう日もありますよね…。