いったい私はどこへ行ってたのでしょう?
山登りをすると張り切ってトレッキングポールまで買ったのに!?
友人の車で標高757mの登山口まで行き、残り500m=5kmを登る予定でした。
登りたいと思った山は四国中央市の豊受山(1247.4m)。
勇んで林道に入ったものの、酷い凸凹道でなかなか前に進めません。
最初は調子良く進んでたのに…。
こ、こ、これは…?! 周辺から大きめの石を持ってきて詰めながら進みます。
また…?
この先もずっとこんな感じで、石を入れながら進んでも引き返すことに
なりそうだったので、早々に登山を諦めました…。
林道入口に車を置いて徒歩で行くと、片道が3時間超かかるらしいので
下山が日没後になりかねません。登山口からは1時間半~2時間程度とか。
そもそも豊受山に登ろうと思ったのは、次の由緒を読んだためです。
豊受大神を奉斎したのが白鳳6年(677)9月13日と伝えられている。
元々石の社であったが、大同3年(808)9月より木の社となり、
外宮と同じ祭祀を執り行なってきたということでしょうか?
1200年以上も続けてきたというのでしょうか?
奈良の天香久山と松山の天山の伝承と同様に看過できない由緒でした。
やむなく、豊受山山頂直下の奥社ではなく、南東の豊受神社へ行ってみることに。
法皇トンネルを抜けて金砂町平野山へ出ると雨が降っていました。
神社があります。地図を見ると平野大宮四社神社でした。
ダム建設にあたり、水没した神社を合祀したものだそうです。
裏にまわるとダム湖が見えました。
昭和28年(1953)、柳瀬ダムの完工によって誕生した金砂湖(きんしゃこ)です。
ここから銅山川沿いに西へ進んでいると「神社がありますよ!」との声。
富郷町上長瀬の山城八幡神社のようですが、
社叢大好き人間の私は社殿よりも奥の巨木に惹かれます。
隣接しているのに、なぜか住所が富郷町寒川山のスダジイの巨木です。
この地に群生していたシイの巨木は明治時代に伐採されましたが、
この木は神社に近いたため伐採を免れ、
昭和28年(1953)12月25日に県指定天然記念物になっています。
手前にある3本の巨木の下は雨に濡れないため演奏修行してみました。
ここから豊受神社までは結構な登り道となります。
これは↓山岳信仰の名残りでしょうか?
周囲の山が見えないほどの靄の中を走っています。
モノクロの世界を見ているうちに
もっと上まで登ってみたくなり、豊受神社を過ぎてしまいました。
道がどこまで続いているのか確かめるために地図を拡大すると
近くに平野神社がありましたが、通り過ぎてしまったようです。
この先は行き止まりのようなのでインターネット検索すると
すでに御神体は下に遷しているけれど、道路から見えない鳥居は
残っていると思うとのこと。勘だけが頼りです。
「ここじゃないかな?」と入って行くと鳥居がありました!
下にも何層かの石積みの基礎が残っており、かつては修験場だったような…?
思いがけず、豊受神社奥社と同緯度まで車で登っていました。
当初の予定とはまるで違うルートをまわったものの
初めて見る風景に心躍らせつつ豊受神社の参道入り口まで戻りました。
うわぁ~きれいですね。参道用地は個人の寄贈だそうです!?
たしか平成13年と書いてあったような?
それ以前は、下まで見通せない階段のみ?
社殿を見て、外宮と同じ祭神だったことを思い出しました。
友人が方角を調べたら、社殿前に座ると豊受山山頂に向かうことになるらしく、
社殿前で演奏修行してみました。
後ろには紅葉…。
金砂湖畔を走っていたら「アジサイ」ロードのようなことが書いてありましたが、
豊受神社参道のアジサイは、もはやアートの域に入っていました!?
結局、豊受神社の由緒にあった「天武天皇奉斎説」のウラはとれませんでした。