藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

鳥見の丘

常陸国風土記』にある鳥見の丘(鳥見ヶ丘)
その場所を特定しようとする方々のページを拝読していました。
すると、矢口(やこう)一宮神社鳥見神社であったことを裏づける古文書が
成田市豊住地区の総鎮守熊野神社で見つかったとの記述があったのです!?
 
一宮神社の祭神は最初「饒速日命」で、
熊野神社創建後に「香島(鹿島)大神」を合祀して下総国埴生郡の一宮となり、
熊野神社香取神宮の影響下に入ると「経津主命」を祭神としたとのこと。
 
矢口一宮神社の場所を調べると、1/19に安食卜杭から長豊橋まで走っていて
気になった台地の上にありました。そこで1/20に行ってみることに。
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前日の帰途通った長豊橋までやってきました。
拙宅から成田空港までは空いている時間帯で40分強。
途中、この橋を渡ります。ここまで時速30kmで25分と出ました。
橋を渡った交差点で、右手に見えるのが一宮神社のある印旛郡栄町矢口の台地。
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そして左手の台地が六所神社大師堂のある成田市竜台です。
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件の熊野神社は竜台に向かって左奥の成田市南羽鳥にあります。
 
先ずは矢口一宮神社へ向かいます。
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おおお…これはまさに崖地の神社ですね。対馬を思い出します。
船を岸に着けて階段を登るタイプの神社がたくさんありました。
けれど、今日は荷物もあるのでバイクで登ってみます。
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ちゃんとした舗装路です。坂を登った左手に駐車場がありました。
が、満車状態です!? いったいどうなっているのでしょうか?
「すみません、ここにバイクを停めさせて頂いてよろしいですか?」
「ええ、どうぞどうぞ」
「今日は何か催しでも?」
「年に一度の例大祭で、お札をもらうために集まってるんです」
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変ですね…、私が見たページには例大祭は2/20と書いてありました。
でも1/19に偶然立ち寄った安食の駒形神社のHPには1/20とありますね。
おびしゃ祭(奉謝祭または歩謝祭)だそうです。
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ん? 祭神が違いますね。
駒形神社HPには「不詳」としつつ列挙されてますが、由緒の欄にこうあります。
埴生郡の一之宮であり、印旛郡誌によれば
「麻生、須賀、興津、安食、佐野、北辺田、矢口、七ヶ村の氏神であるが、
七ヶ村は共に旧麻生の内にある。
又、矢口一之宮は熱田をまつる」とも言われています。
 
「熱田」ですって?!
また看板に「4月の祭礼(おこと)」とありますが、
物部小事(おごと)と関係があったりするのでしょうか?
物部小事なる人物が勅命をうけて坂東を征し、その功によって
下総国匝瑳郡を建てることを認められた(6世紀初頭?)とあります。
その一族が印旛郡に進出して祖神を祀ったのが鳥見神社との説もあるようです。
鳥見神社十八社の所在地一帯が『和名抄』に記載された
印旛郡内の言美(とみ)郷ではないかと『日本の神々』にありました。
 
すると、冒頭の古文書通り、
923年に熊野神社が創建されるまでは物部の鳥見神社で、
924年に熊野-鹿島連合により一宮神社にされたことになりますよね?
 
そして、当社はのちに香取の支配下になったことは認めておらず
祭神をタケミカヅチのまま記載している。と理解しました。
 
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それにしても広大な社地ですね…。
私は本殿横の駐車場から入りましたが、鳥居まではかなり距離があります。
本殿の裏へまわると、最初に見た階段がありました。
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その階段を登り切ると、このこんもりにブチ当たります。
本殿へ行くには、こんもりを避けて左右を通るしかないのです。
表向きは浅間神社だけど、本当は蜘蛛窟じゃないの…?
あるいは敵が攻め寄せてきた際の目隠し?
また私の妄想が始まりました。
 
この立地は鹿島-香取から見ると神崎(こうざき)の次の"シマ"と言えましょう。
鹿島ー香取の朝廷軍は縄文早期の西の城貝塚がある神崎の地を平らげたのち
白鳳2年に天鳥船命を大沼浦二ツ塚(現茨城県)より利根川をのぞむ
小高い神崎森の上に遷座させたのではなかったでしょうか?
 
となると次の標的は「香取海」に面した矢口(やこう)です。
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後世に土をこんもりと盛って浅間神社をつくった
とは考えられないのですが?
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しかも、こんもりを囲むように石祠がたくさん…。
社殿よりずっと迫力を感じます。
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それにしても広大な平地で、この台地は一大要塞と言えそうです。
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社殿に向かって左側、奥の光っている場所には寺院があったそうです。
ここにあった長見寺が、鳥見寺として創建されたとの伝承もあり、
一宮神社鳥見神社であった証明になるとも言われています。
↓こちらは長見寺の名残でしょうか?
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では、一宮神社=鳥見神社説のカギを握る熊野神社へ向かいましょう。
ナビでここから6分と出ました。
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さっき登った坂を下ったら、こんな標識が。
先ずは竜台、北羽鳥を素通りして南羽鳥へ行きます。
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923年創建の熊野神社もやはり崖の上に建っていました。
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坂を登り切って振り返ると、熊野神社の周囲に道路が巡らされていることが
わかったので、本殿左側からまわり込むことにしました。
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境内にはこうした祠が点在しています。
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こうなると社殿はどうでもいい感じですが…。
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この円形台地から↓さっき通った道路が見えました。
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この台地にも縄文時代から人が住んでいたのではないでしょうか?
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せっかくなので、周囲をぐるっとまわって元の道におりました。
408号線に出る手前のT字路には両側に円墳らしきものがありました。
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「二号 弁天様」までは読めますが、さっきと同じ形態なら「南羽鳥区」ですね。
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こちらは「一号」までしか読めません…(末尾は「南羽鳥区」でしょうけれど)
一枚ずつ撮ってから、すぐに左折しました。
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「竜台」というくらいですから、やっぱり登ります。
すぐに大師堂があるはずなのですが?
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周囲を行ったり来たりしても地図は↑ここを指しています。
今は民家の一部のようになっているため入れません。
諦めて、同じ台地にある六所神社を探します。
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道幅も狭いし、昔の街道という感じですね。
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突然、右手に鳥居が出現しました!
巨木の森を謳った前日の駒形神社よりもずっと巨きな樹ばかりでした。
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六所神社というだけあって、さまざまな神社が同居しているようです。
この八坂神社の奥にも祠がありました。
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周囲の木々が伐採されて明るい雰囲気ながら、参道の巨木には圧倒されます。
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さ、鳥居を出て、明るいうちに帰途につきます。
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こういう道、大好きです!!