藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

中央構造線~川滝断層

川之江まで川滝断層を見に行って来ました。
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ただし(旧)川之江市指定の「天然記念物」だというのに
(四国中央市になったから管理者がいないとか?)
ここまでほとんど案内らしい案内もなく、心細い限りでした。
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192号線から常福寺方面へ曲がり、金生川を渡ったら案内板がありました。
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ここが3/31に阿波池田から西へ向かいたかった椿堂=常福寺です。
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しかし、私のイメージとは違ったようで…「おさわり大師」?!
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「身がわり大師」?!
ということで、早々に道なき道を探しに走りました。
 
地図にない道に突入したところで農作業をしておられた御婦人に
川滝断層へはこの道を登ったらゆけますか?」
「この道しか無いけど、単車では無理だねえ…」
「そうですか…、では行けるところまで行って、あとは歩きます」
御礼を申し上げてすぐに次の案内を見つけました。
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「きけん」と書かれた赤い案内板は目立ちますが、↑これは
よほど目を凝らさないと見落とします!?
この位置からは全く見えないと教えて頂いたので
ともかくZOOMERが動くところまで行きました。
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この地点で時速0kmになりました。
何とか駐輪できましたが、最初に停めた位置から
ズルズル…とかなり下がってから止まりました!!
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しばらく登ると、案内板が↓倒れていました。
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これが最後の案内板でした…。
その先は段々畑らしきもの、墓地の跡、朽ち果てた軽四…
右も左もわからぬまま勘だけで山を登りました。
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朽ち果てた軽四は、どうやってこの道を登ったものやら…?
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しかし、トラクターらしきものもあったため、
時期になれば田植えが行なわれると思います。
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水も確保されているようです。
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段々畑にホースが引かれていました。
もっと下には、既に水田が↓
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山での農作業の御苦労を思いつつ、汗ダクで歩きました。
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登っている時にチラッと見えて気になった岩盤を見に道を外れますと
古代人なら「神楽岩」とか呼んだに違いないと思えるほどの大きさ‼
かなりヘトヘトだったのですけれど、ここで演奏修行しました。
我ながら、よく演れるもんだ…と嘆息。
 
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案内板左足の左に↑見える、白っぽく光ってる場所から上がってきました。
兎にも角にも、今日は川滝断層へ行けて良かったです。
案内板にあるように、川滝断層は6~7千年前の和泉層群に
数億年前の結晶片岩が乗り上げている「逆断層」でした。
 
中央構造線上に原発をつくる感覚はよくわかりません(生きてることが肝試し⁉)
 
さて、そこまでの道のりは…と言いますと、
電車の時間などの縛りがないため、ゆっくりと時間をかけてまわりました。
その前に、ZOOMERの冷却水を補充する必要があり、
バイクプラザ丸亀さんにお世話になりました。
 
最初の訪問地は国修神社でした。
と言うと、ピンときた方もおられることでしょう。
2/18に行った徳島県境に近い國修神社と同名ですが、当社には古墳があります。
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三野町吉津の国修神社から山本町河内の國修神社まで、南南東に直線で約15km。
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6世紀後半に当地を治めていた氏族の一部が移転した可能性は否定できません。
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当社とその周辺は、まだ桜の花が残っていましたよ。
次の福田原頂懸神社へ向かう道で見た讃岐名物の溜め池と桜。
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あとで調べたら「満水池」(高瀬町比地)でした。
雨の少ない讃岐はどこへ行っても溜め池、溜め池…。
今回は移動距離が長かったのですが、
そんな讃岐の原風景を堪能させて頂きました。
 
福田原の頂懸神社は、古くは蔵王権現と称し、明治3年に頂懸神社と改称後、
大正2年に字坂下の村社頂懸神社(祭神=猿田彦命)と合併したものの、
再度、旧鎮座地だった現社地へ復したそうです。
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水利云々とありますね…。
古来、最重要課題の一つながら、二階層上の社殿とは無関係に見えました。
古墳の上に建てられたかのような印象を受けました。 
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ここからは一路、川滝断層を目指します。
8号線で県境を越えることにしました。
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ふと「五郷渓温泉」という単語が頭に浮かびました。
子供時代、父がよく連れて行ってくれたので風景に見覚えがあったのです。
温泉に入ってイノシシ鍋を食べるというコースでしたが、
お肉がとても固かったと記憶しています。
ドンドン登ってゆくと「五郷ダム」。
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ダム湖にかかる橋。
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帰宅後、検索したら、1961年に開業した「五郷渓温泉」のヘルスセンターは
残念ながら1980年までに閉じられてしまったようです。
 
更に進むと、唐突に、鳥居が見えました!
ここは上がってみるほかないでしょう。
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社頭に棒賀(ぼうが)神社と刻まれています。
いったい、いつ頃からここにあったのでしょう?
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社殿の前まで行くと簡単な説明が書かれていました。
棒賀神社の祭神は大物主命だそうです。
道沿いには集落がありませんでしたが、社殿から見たら
8号線より下に集落が広がっていました。
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ここまでは道幅も広く、走りやすい道でしたが、
この先は勾配も急になり、狭い箇所も増えました。
まさしく峠越え…の手前で讃岐方面を望むと
あれは善通寺の五岳山ではありませんか?
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その後トンネルを通って徳島県側へ。
何とか川滝断層へも行けたし、あとは11号線に出て
ずっと走り続ければ帰り着くので方向音痴の私としては安心です。
ところが、愛媛県から香川県に戻ったとたん、
地図上にある神田神社が目に入ったのです。
海沿いの道から少し山側へ登るだけなので行ってみることに。
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箕浦産土神的存在かと思ったら、何と「神田明神」?!
祭神は平将門でした。
常陸国でも将門さま、讃岐国でも将門さま、
よほど御縁があるのでしょうか?
しかし、本殿右の橋を渡ったところにあるブルーの祠は何なんでしょう?!
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ちょっと背筋が寒くなったので早々に退散。
港が見える小高い場所に鎮座していたため瀬戸内海が見えました。
〆もやはり溜め池のある風景です!
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