藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

ソラの神社

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阿讃山脈のソラの集落を訪れるのが、いま一番の楽しみです。
そこでは古代や中世のことが普通に語られます。
今日のテーマは浄土宗の開祖「法然」でした。
 
建永元年(1206)12月、土佐への流罪が決まった「法然」は九条兼実の高配で
建永2年(1207)に讃岐にあった九条家の荘園(小松荘)内の生福寺に入ります。
当時75歳の「法然」は讃岐に8ヶ月余り滞在し、
生福寺を拠点として各地で念仏の教えを説いたそうです。
 
大川山(だいせんざん)の大川権現に参詣した「法然」は
遥か山奥の中熊という辺境の地に仏教にゆかりのない人々がいると聞き、
その地を救う法を説くため訪ねることにしました。
村人が集まって「法然」の来訪を待った場所を「ガキマチ」と呼び、
今も屋号として伝わっているそうです。
この時「法然」が滞留した観音堂が現在も維持されていると知り、
なんとか見に行く方法はないかと模索…。
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かなり高い場所に見えているあの建物だと思うのですが?
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1時間ほど走りまわって「あの桜の木があるお宅の中から歩いて行けますよ」
との情報を得ましたが、お留守で敷地に入れません。
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さらに高所まで上がり、「ガキマチ」の屋号のお宅で行き方を教えて頂きました。
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屋根の上にある小さな屋根が気になり、
「お蚕さんですか?」とお訊きしたら「タバコです」とのことでした。
阿讃山脈のソラの集落の中で最も古くから開けていたという中熊地区は
南向きで日当たりが良いため農業が盛んだったそうです。
中でもタバコ栽培の最盛期には裕福な農家が多かったのだとか。
収獲したタバコの葉を乾燥させるために屋根の上を開け、
小さな屋根をつけていたんですね。
 
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「ここから降りて下さい」と山の中まで同行して下さいました。
「道はここしかないんですか?」「いえ、どこからでも行けますよ」
はい、了解しました。道は自分で拓くもの!
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下り始めてすぐに、水を含んだ地面の上に積もった落ち葉でズリっと滑って
尻餅をつきましたが、その程度で済んで良かったと思える斜面でした。
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法然上人が餓鬼を摂化したと刻まれています。
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いわゆる境内地に祠がありました。
あとでお訊きしたら「照内神社じゃないかな?」と仰ってました。
その方が生まれた時にはもう小さな祠だったとのことです。
山中で庵や祠が埋もれてしまわないよう保つのは並大抵ではありませんよね。
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シイタケ栽培や野菜畑を羨ましく拝見しました。
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ZOOMERを置かせていただいていたのでお声がけすると
お茶のお接待の準備をして下さっていました。
やっぱり讃岐ですね~。有難かったのですが、予定時間を過ぎていたので
お暇しますと申し上げたらリポビタンDを持ってきて下さいました‼
こちらがお世話になったのに本当にありがとうございました。
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「ガキマチ」のお宅からの景色。素晴らし過ぎますね…。
 
下って行くと、登ってきた時に迎えてくれたお人形(カカシ)さんたち。サヨナラ。
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中熊。また行ってみたくなる場所でした。
そうして、いつもトイレ休憩をさせてもらう美合支所まで下りてきました。
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再び438号線に出て、エピアみかどで予定より1時間遅い昼食をとりました。
午後2時半、三頭トンネル(海抜774m)を通って美馬・つるぎ方面へ向かいます。
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危ない橋を渡ることが大好きな私でも嫌な気持ちになる2,648mのトンネル。
大型車に煽られると逃げ場がないため生きた心地がしません。
幸い、今日はワゴン車1台が40km/hオーバーで追い越していっただけ。
帰りは後ろから迫ってきた5台に先を譲ったのでマイペースで走れました。
 
さて、3/31にも通った青石橋を渡ります。
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あの中島「中鳥島」と言うらしいのですが、伊射奈美神社の旧鎮座地です。
青石橋を渡ったら256号線に入り、3/10に行った土々呂の滝を目指します。
ところが、つるぎ町立半田中学校を過ぎようかという所に
石堂神社まで3km」の表示がありました。
石堂神社? 物部っぽい? と考え始めた時には、すでに右折していました!?
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程なく、こんな分岐!! 今まで案内板がないと文句ばかり言ってきたので、
こまめな標示に、つい引っかかってしまいました。
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な、なんですか↑これ?!
岩肌がボロボロ崩れて道路に落ちてるんですよ…。
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ずっと急勾配が続くため、エンジンが異音を立ててます。
3kmって三頭トンネルより少し長いだけなのに、20分も登ってるんですけど?
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どうやら、ここがピークみたいですね…。
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高千穂神社ですって?!
帰宅後、調べたら「ハチマキ山」って呼ばれてるようです。
たしかに社殿のある位置が一段高く、それに「ハチマキ」を巻くように
ぐるっと道がついています。うっかり登って、下りで死ぬかと思いました⁉
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展望台からの風景が素晴らしいと言われているようですが?
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こちら、↑徳島方面。
阿波池田方面は↓こちら。
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結局、つるぎ町半田日浦の標高500mあたりまで上がったようです。
肝心の石堂神社は、もっと奥まっていました。
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あれ? ずいぶん殺風景ですね…。
更に奥の駐車場からだと神社らしく見えます。
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しかし、この社名は明治42年に合祀された際の新しい名称でした。
「石堂十二社権現を祀って建立」との情報もありましたが?
本当の(?)石堂神社は石堂山(標高1,636m)の登山口にあります。
なぜ、わざわざ同じ名前にした上で、社殿を町の文化財にしたのでしょう?
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社殿よりも一まとめにされた古い祠や石碑の方が迫力満点⁉
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明治の一村一社の合祀令って、何か良いことがあったのでしょうか?
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戦後、旧地に復した例も少なくないようですが?
 
しかし…ここから20分かけて元の道に戻り、更に20分も走ることになるとは!?
そうだ、私には「ガキマチ」の屋号をもつ方から頂いたアレがありました。
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ここまで温存していた甲斐がありました。
先の見通せない急勾配を、ずっとブレーキをかけたまま
時速20kmで20分かけて下りました。
計算ができないのですが、これで距離が3kmってことあります?
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これから向かう南側の集落を見ながら右折した地点まで戻りました。
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そして、また、登りです。
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なぜ、こんな思いをしてまで再訪したのかと言うと、演奏修行をサボったから。
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どこでも真面目にやらないとダメですね…。
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この先が土々呂の滝です。
そして私が立っている位置が浴油堂。
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こんな案内板がありました。
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自由に堂内に入って良いと書かれていましたが、なんだかよくわかりませんし、
私には私のスタイルがあるので、いつものように地べたで演らせて頂きました。
ただ、帰りに大嫌いな偶像崇拝を見つけてゲンナリ…。
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こののち、もう一社行って猪ノ鼻峠を通って帰る予定でしたが、
すでに17時近くなっており、移動時間を考えると無理がありました。
それに、交通量が多い阿波池田方面へ向かうより
ほとんど一人旅状態の438号線を走る方が楽に決まってます。
三頭トンネルだけ気をつければ、あとはずっと一人旅。
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18:07、こんぴらさん善通寺の象徴が浮かび上がっていました。
↓は、18:25に土器川の堤防で撮った夕日。
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昨日・今日の冒険成就(?!)に感謝しつつ…。