冬至の今日は、古い太陽にサヨナラして
明日から始まる1年を照らす新しい太陽に挨拶したい。
かといって本格的な演奏修行は出来ません、やっと
4曲の伊福部歌曲それぞれの発声が軌道に乗りつつあるので。
私が行きたい場所は常に縄文台地。
これは龍の丘? 古代は、龍=エネルギー?
当地は地図上では中央構造線を示す龍の頭部(顔?!)に位置します。
上の線は、まさしく「龍脈」?
大地の気は山の尾根伝いに流れると考えられており、その流れが
龍のように見えることから「龍脈」と呼ばれる。
風水では、この「龍脈」の気が噴き出すポイントである「龍穴」に
住むと、一族は永きに渡って繁栄できると考えられている。
龍の丘に上ると、右手に不鮮明な「別所町(べっしょまち)入口」の道標がありました。
龍の丘に上ったと思ったら、すぐ下るとは…。
かつての「香取海」の入り江ですね。
一番低い「香取海」から少し登って振り返ると、かつての入り江の向こうに
さっき走って来た幹線道路が見えました。
さらに登ってゆきますと、入り江のすぐ上に位置する右手の広場が気になりました。
(実はこの道の左側が「行部内貝塚」でした!?)
これぞ縄文台地ですよね! こういう場所に住みたい!
と思っていたら、反対側の一段高い台地が「行部内貝塚」でした。
今は「行部内貝塚」の東に隣接する道を走っていますが、先ほどの画像は
南面から登って行く時のもので、貝塚の南斜面で確認された貝層からは
コチ、鳥類は、ガン、カモ科の一種、哺乳類は、イノシシ、ニホンシカ、アナグマ、
タヌキ、イヌなどの骨が表土から深さ130~260mにわたって見つかり、
縄文時代後期の土器や骨角牙器も多数出土しているそうです。
登り切ったところにある行部内(ぎょうぶない)公園は1992年の開園で、
この台地には縄文中期~後期(4500~3500年前)にかけて集落が営まれていたと判明。
入り口には何の説明もなく、きれいなトイレだけが目立ちますが、
ストーンヘッジを模した石柱や敷石が並べられたのだそうです。
ちょっと謎!? ですが、歩いている方は皆さんワンちゃんとご一緒でした。
ニュータウンの皆様のお散歩コースになっているようですね。
行部内公園から先へ進むと、こんもりの中に鹿島神社がありました。
ちょっとバイクでは入れませんので、とりあえず「堂ノ下貝塚」を探します。
ここを左折するらしいのですが、
道の先に見える赤い建物がmapにある「薬師寺」でしょうか?
緩やかな坂を下って「薬師寺」の前で左手を見ると、左端の斜面があやしいものの、
案内板も道標もないため、「薬師寺」手前の白いガードレールまで引き返し、
高めの木が林立している台地へ行ってみることにしました。
奥の竹林で塞き止められた台地は明らかに私有地ですよね…。
画像の左手には豪邸が建っていますし。
でも、せっかくここまで来たので、貝塚かどうか歩いてみます。
この台地の右端から、さっき通ってきた道が見えるはずなので。
おおお「薬師寺」が見えました。夢中で撮影していると、突然、
画像左手から、「ユズ持って行きなよ」との声が!?
慌てて声の主を探すと、一人乗りのクレーン(?)を操りながら
ユズの枝を切り落としている方が居られました!!
「好きなだけ持って行きなよ」と仰ってくださるので
「3つだけ頂いて行きます」と申し上げると、
「あと2つ持って行けば? 御(5)縁になるから」と勧めて下さいます。
「有難うございます。勝手に入り込んで申し訳ございません。
堂ノ下貝塚を探して来たら、ナビがここだと言うのですが?」
「あの斜面の梅の木あたりを大学が調査してたねぇ」
「やはりあの斜面でしたか。草で地面が見えませんけど」
大ガラスがノシノシ歩いています。地面が見えないので貝層は確認できませんが、
縄文台地の南と北の斜面に貝塚があったことがわかっただけでよしとしましょう。
地形を見て感じることはとても大切ですから。
帰宅後、画像を整理していたら、一人用のリフトを ↑ 操作しつつ
ユズの枝を伐っておられる様子が写っていました。
本当にありがとうございました。冬至にユズ湯に入れます。
ユズを頂いて、さっき鹿島神社を撮ったこんもりまで戻ってきました。
演奏修行すべきなのですが、ここにバイクを停めて奥まで歩くのはちょっと…。
参道の左右の盛り土が、戦神たる鹿島明神に平らげられた蜘蛛窟だったとしたら?
と考え始めると、参道を歩く気にはなれず、そのまま帰宅しました。
(期間としての今年の冬至は 12/21~1/4 )
毎年どこかで1年で最も短い日を〆て、かすかな春の芽吹きを意識するよう
心がけていますが、今年は18:20頃~愛犬を聴衆として自室で演奏しました。
今日は1年のうち太陽が最も低い位置にあるため、あとは高く上がるのみ!