藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

大山町「木の花ガルテン」オーガニックレストラン

昨日に引き続き、今日も晴れかと思いきや曇天でした。
原次郎左衛門さんの近くにタクシー会社があったので、ホテルから歩いてきました。
鮎魚醤を買いに来ましたが、オンラインショップと同じく、3本までしか買えません。
でも、5/31のコンサートが終わったら再訪するため、取り敢えず 3本で。
タクシーを呼んで貰ったら、1〜2分で来てくれました。
チェックアウトが10時、オーガニックレストランは11時~なので、
前々から計画して行けていない天瀬の金凝(かなこり)神社へ向かうことに。
昨日と同じ「スカイファームロードひた」をひた走ります。
この地域にはなぜか金凝神が2社あります。当社は道路沿いにありました。
前面、道路の向こうは合楽川(ごうらくがわ)です。
その合楽川がコの字形を描く手前に、もう一社の金凝神があります。
古代は水運に頼るところが大きかったと思うので、この地形は実に興味深いです。
社殿としては、先ほどの道路沿いの方が現役っぽい感じがします。
運転手さんが、このご近所の知り合いに電話して下さったら
金凝神は一つしか無い」と言い張られたそうです…。
社殿はともかく、右手に地域の公民館的な大きな建物がありました。
では、再び「スカイファームロードひた」に戻り、来た道を引き返すとしましょう。
コの字形の角を左折する際、橋のたもとに目が釘付けになりました。
金山があった日田だけに、金凝神の社名を金の精錬と関連づけられるかどうか
探っているわけですが、まるで銅版画のようなバラ(?)を見て絶句………。
(ここから約1km上流に「ローズヒルあまがせ」というバラ園があるので、そこの寄贈かも?)
もう、何処がどうと限定する訳じゃなく、日本の津々浦々で祭神や由緒を尋ねても
ほとんどの方が無関心で、何の情報も得られないというのが通常運転になっています。
 
私とて、いつまでバイクで走り回れるかわかりませんが、これまで何度も
スカイファームロードひた」を通ったのに見つけられなかった旗ケ塚神社
今日こそ探そうと運転手さんに頼んだのに、この先が未舗装路で断念したため
次回はバイクと徒歩で探してみようと思います。
 
そして、もう一つの重要な課題は大分県日田郡天瀬町大字五馬市宇土にあった
旧石器時代から古墳時代までの複合遺跡「宇土古墳群」を見つけることです。
豊後国風土記』に「五馬山、郡の南にあり。昔、此の山に土蜘蛛あり。
名を五馬媛という。因って五馬山という」とあるため、「宇土古墳群」から出土した
1号石室(5世紀中葉~後半)の40代女性1人と30代男性1人の姉弟
2号石室(5世紀後半~6世紀)の40代 & 20代女性2人と30代男性1人の姉弟
五馬山の頭領一族であることは疑いようがないのではないでしょうか?
発掘された2組の人骨が姉弟であると認定された例は非常に珍しいようです。
 
また、五馬山では一つの谷で崖崩れなどがあって所々に激しく温泉が噴出したとあり、
日本書紀天武天皇七年十二月癸丑朔己卯の条に、五馬山の温泉噴出と関連しそうな
「是月、筑紫國大地動之、地裂廣二丈長三千餘丈」
筑紫国の大地が動き、広さ二丈、長さ三千余丈にわたり地が裂けたの記述もあります。
旧暦12月ですから、678年末~679年初頭あたりのことでしょうか?
 
このように、昨日お花見で御馳走を頂いた「五馬媛の里」の近くには
宇土古墳群」および「元宮古墳」があります。
熊襲征伐に訪れた景行天皇が五馬の豪族で土蜘蛛の頭たる五馬媛を祀ったとの伝承も
あることから、元宮神社の境内にある「元宮古墳」は五馬媛の墓とも言われています。
ここが大自然の一大テーマパークになればいいなぁ…。
 
「木の花ガルテン」オーガニックレストランへは、11:20に着いたので座れました。
11:30にはドドド…と大勢が駆け込まれたため、あっという間に満席となりました。
久々のバイキング。一皿目のグリーン中心の盛り合わせを撮らずに平らげてしまいました。
開店直後ゆえ、サラダは冷たく、焼き鯖、卵とじ炒め、ひじき御飯は温かく、
健康的なお料理をたらふく頂きました。ハーブティーも安定の美味しさでした。
最近値上げされたとはいえ、1時間半食べ放題で大人 1,700円(65歳以上は1,600円)
飲み物はコーヒーから柚子ドリンクのようなものまでありますし、
デザートも和洋取り揃えられているため、お得感しかありません。
小麦アレルギーの私でも食べきれないほど品数があるのも嬉しいですね。
この撮影者の後方にも、ドリンクバーやパン、ご飯もの、テーブル席などがあります。
 
さて、ここからはいつもお世話になっているお宅へお邪魔して
美味しい地下水で淹れて下さるコーヒーを堪能し、駅まで送って頂きました。
ちゃんとこの地域の氏神様にも御挨拶させて頂きましたよ。
裏から失礼してますが。
鳥居のある社殿が二つ並んでいるほか、小さな祠も幾つかあります。
明治政府が行なった一村一社の神社合祀令は日本中に混乱をもたらしたようですね。