伊福部昭先生が日本語の歌において最もこだわっておられたのは 「産字・生字(うみじ)」でした。 最初に御指導いただいた日に 「日本語の歌は、どこで息を継いでも構わないんです」 と言われ、非常に驚きました。 明治以降、五線譜を導入して音楽教育を始めた…
「北海道での子供時代、よく耳にした音楽に、青森から流れて来た芸人が 津軽三味線を弾きながら歌う民謡やいわゆる新内流しがありました。 それと、音更のアイヌコタンで見聞きしたアイヌ民族の儀式における 歌や踊りが私の音楽的原点と言えるかもしれません…
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