藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

アーニャの演奏修行 (蛇沼公園)

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家で私が倭琴を弾き始めるとすぐ膝にあがるアーニャ
曲が《神擧(上)》に入って音が高くなると興奮して走り出します。
昨夜は何と、倭琴を2回もピョ~ンと跳び越えてしまいました!!
 
「お外は寒いね~」
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あまりにも風が強く、寒いので、今日は一曲だけにしました。
 
ここは蛇沼公園です。
前々から地図上の「蛇沼」が気になっていました。
「蛇」っていうくらいだからオホナムチでしょ? ということで、
キャノピーのBoxにアーニャ、足元に和琴ケースを置いて走りました。
荷物が多かったので iPadを忘れましたが、たしか横綱稀勢の里の母校
龍ヶ崎市立長山中学校の先でした。
 
  昭和61年(1986)7月3日、兵庫県芦屋市に生まれた萩原 寛(はぎわら ゆたか)さんは
2歳の時、龍ヶ崎市に転居し、龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校を卒業。
卒業式を控えた平成14年(2002)2月、自らの意志で千葉県松戸市の鳴門部屋まで
自転車で行き、鳴戸俊英親方(横綱 隆の里)に弟子入りしたことは有名です。
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あった! ここが長山中学校です。どんどん進むと、こんな道になりました!?
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どうやら右手が蛇沼公園らしいのですが…。
三輪車だし、両足をついて走れば五輪車と同じ!? と凍土を突破して駐車場へ。
14時半でしたが、車は1台しか停まっていませんでした。
よって公園内はガラガラです。
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アーニャはマイペースで歩き出しました。
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一人でどんどん先に行ってしまいます。
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「ここ歩いてもいいの?」
と振り返りました。雪は初めてなので、戸惑っている様子。
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ここからは抱っこして雪の無い道まで階段をのぼりました。
「あ、蛇沼が見えるよ!」
階段をのぼり切ったら遊歩道は雪掻きされていました。
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舗装路へ出たアーニャは再び初めての道をマイペースで進みます。
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ここに四阿(あづまや)と灯籠(?)がありました。
まるで細い"ヒトデ"のような形の蛇沼の中ほどにあたるようです。
その四阿で大歌を一曲演奏したのが冒頭の画像です。
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ここで二俣に分かれていますね。
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さらに進むと、カモが泳いでいました。
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蛇沼の北岸沿いの西半分が公園になっているようです。
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そろそろ真ん中を過ぎ、北端に向かって曲がるあたり、オシドリの群れでしょうか?
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蛇沼の北端に向かう道に入ると、アーニャはどんどん上がって行きます。
追いついたら、雪に興味を示していました。
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「これ何? 食べてもいいの?」
私が夢中で撮影していると、アーニャは再び一人で階段をあがってゆきました。
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ぴょんぴょんぴょんぴょん…あまりに速いので、下から呼び止めました。
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よく言うことをきけるようになってきましたね。
雪の蛇沼公園もきれいでした…。
人気スポットなのか、駐車場へ戻ったら満車になっていました。
 
アーニャのお散歩コースになるかもしれないので、帰宅後、調べてみました。
龍ヶ崎ニュータウンとは蛇沼の北から西にかけての長山、南西の松葉、小柴、
平台、中根台、久保台で構成された「北竜台」と、その東隣の「龍ヶ岡」と
「つくばの里工業団地」の総称で、「北竜台」の入居開始は昭和56年(1981)
龍ヶ崎市立長山中学校は昭和58年(1983)4月に創立・開校されています。
 
すると、龍ヶ崎ニュータウンが計画されなければ、
蛇沼は人知れずひっそりと佇んでいたかもしれません。
 
蛇沼については龍ヶ崎市のHPにこう書かれていました。
蛇沼(へびぬま)大蛇伝説………沼の主は白い大蛇か?
畑で使う堆肥を作ろうと、
近くに住む人がある朝、蛇沼へ草刈りに行った。
すると、草が1尺(約30cm)ほど沼に向かうように倒れている。
なんだろう? と思ったその人が倒れた草の先へ進むと、
白い大蛇が沼に入っていくところであった。
蛇沼の主なのであろうか。白い大蛇を見た人は、
その後体調を崩し、2・3日寝込んでしまったそうだ。
 
いったいいつの時代の話なのか、まったくわかりません。
そして、かつて農業用水だったという蛇沼の歴史も…。
 
さらに検索したら、地図上で蛇沼の東隣に位置する「竹内農場」を
心霊スポットだと書いたページが幾つか見つかりました。
オカルトは真っ平御免の私ですが、これはちょっと面白そう!?
 
大正9年築の「竹内農場」の西洋館は地下室付の煉瓦積み二階建てで、現在は
屋根と床は崩落、壁や基礎、煙突などの煉瓦部分のみ残っているそうです。
心霊スポットと呼ばれるのは単に外見からのイメージ?
 
牧畜などを営む「竹内農場」の開業が大正8年(1919)
元は80町歩あまりの国有林大正元年(1912)竹内綱に払い下げられました。
竹内綱(つな)とは?
宿毛(すくも)出身の土佐藩士で自由党の幹部だった竹内綱(1840-1922)は、
戦後総理大臣を務めた吉田茂の父でした!!
綱の五男 茂(1878-1969)は、父が明治10年(1878)西南戦争の際、
西郷隆盛らに呼応したとの嫌疑をかけられ禁錮一年の刑に処せられた年に生まれ、
誕生前から綱が盟友の吉田健三に養子に出す約束をしていたと言われます。
 
ともあれ「竹内農場」は当時としては豪華な地下室をもつ二階建ての洋館を
住居としたものの、いつのことやら廃業し、現在は心霊スポット!?
「竹内農場」の現在の地主はわかりませんが、龍ヶ崎ニュータウン
昭和45年(1970)に計画を縮小せざるを得ないほど
反対運動が激しかったそうで、「竹内農場」が賛成していれば
蛇沼は東側まで住宅地に囲まれてしまうことになり、
今のような自然環境を保つことは難しかったかもしれません。
心霊スポット「竹内農場」に感謝?