藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

長野街道~嬬恋村

和歌を詠む「やまとうたのふるさと」で真田を訪れたのは2016年4月23日でした。
 
真田町「長」の石舟神社を訪れた際、「長」の地名がひっかかりました。
その後、現 徳島県にあった「長ノ国」へも行ってますし。
こうなると、石舟神社の奥にある「長」の神社が気になります。
地図を見ると、真田町「長」に山家神社伊勢神社が、
さらに長野街道を進むと嬬恋村熊野神社がありました。
ふつうなら全国に2~3,000社あるという熊野神社に興味を持ったりしません。
ところが、この画像を見てしまったのです。
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実際には樹齢600年余とも言われているようですが、スギの問題ではなく
空海と付会させた点に鉱脈の気配を感じました。
さらにその視点で地図を眺め、四阿(あづまや)山から白根山にかけて
米子鉱山跡、小串硫黄鉱山跡、吾妻硫黄鉱山跡、石津硫黄鉱山跡、白根硫黄鉱山跡
などの名前を見つけたのです。
ここは古代物部の本拠地の一つだったのではないか?
と思うと居ても立ってもいられません。
↓こ~んな景色を想像しつつも、行きたい気持ちを押さえられませんでした。
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しかし、こんな景色は軽井沢駅へ向かう"峰の茶屋"あたりだけで
他は積雪の箇所も少なく、驚くほどスムーズに走れました。
 
アーニャにとっては初めての修行旅です。
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ケースから上半身を乗り出して器用に後ろ向きになって外を見ています!?
 
こののち上田駅で拾っていただきました。
そして先ずは山家(やまが)神社
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立派ですね~。
古より当社奥宮が鎮座していたと言われる四阿山(2,354m)
白山大権現の宿る御神体山とされているとか。
四阿山(奥宮中宮)別当は松尾家、山家神社(本宮)神官は押森家、
白山寺(神護寺)住職は松木家が祭祀を行なっていたそうですが、
白山信仰が確立する以前の原始宗教の場であった可能性は否定されていません。
現在、境内には百をも数えむばかりの祠や境内社が散在していますが、
山家神社遷座してくる前のこの地の原初の祭祀は見えてきませんでした。
 
ここから5分ほどの大日向公民館の先に伊勢神社があります。
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小ぢんまりとした社殿なのに屋根紋が「大神宮」!!
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先日、雪の中ではぐれたり迷ったりしても目立つようにと
黄色のコートを衝動買いしてしまった理由がこの画像でわかりました。
和琴を包む油単(ゆたん)と同色だったんですね!?
大日向、伊勢…というキィワードからオホヒルメの歌を演奏してみました。
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「ふむふむ…ちゃんと演ってるかな?」
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「よし、次へ行こう!」
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おおお…鉱山跡らしくなってきましたよ。
山道をどんどん登ってゆきますが、ほとんどの山が削られていました。
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そして採掘された跡を塞ぐかのような氷のカーテンが牙をむいています!?
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登っても登ってもこんな景色が続きます。
いったい何世紀頃から掘っていたのでしょうか?
 
伊勢神社から約1時間。やっと到着しました。
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嬬恋村門貝の熊野神社です(すみません、この階段は一段も上がっていません!?)
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これが「空海の逆さスギ」でしょう。
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なぜ枝がこんなに下方へ張り出してしまったのでしょう。
ともかく人工建造物には興味が無いため、ここを今日の舞台にします。
かろうじて斜面に座って演奏していますが、全く安定感がありません。
先日泊崎大師堂で掴めたと思ったポジションはどこへやら…。
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ズルズル滑って歯止めがないため
石を腰にあてて滑り止めにして演奏しています。
今日の嬬恋村の最高気温は零度。
冷たい空気を吸いながらの演奏、風を受けながらの演奏、
いかなる情況でももっと自在に歌えるポジションを身につけなくては!!
ストーヴのある部屋では歌えてました…というレベルでは話になりません。
自分の未熟さを痛感させられた演奏修行でした。
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アーニャは下の道路で遊んで貰っていたのですけれど、曲が《神擧》に入るや
突如斜面を登ってここまで来たそうです。
うちでも私の膝にのろうと走ってきますから曲がわかっているのだと思います。
アーニャの視線の先はこんな景色↓
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太陽はオブラートに包まれたような状態ながら、時々薄っすらと射して
この時期としてはお天気に恵まれた…と言える天候でした。
冒頭の看板にあった「大スギのしたにある大岩」はこちら(道路脇)
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大元は巨石信仰だったのかもしれません。
 
それにしても、運転してくれた友人、アーニャの面倒をみてくれた
友人あっての演奏修行でした。ただただ感謝あるのみ。