藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

泊崎(はっさき)弘法大師堂

アーニャのお散歩コースの牛久沼南岸部は
龍ヶ崎市牛久沼水辺公園になっており、
6号線の八間堰という交差点を西に入ると駐車場があります。
オオハクチョウの飛来地が牛久沼北西にあるというので、調べたら
牛久沼に半島のように突き出た(現)つくば市の泊崎(旧 茎崎町)でした。
目と鼻の先なのに、泊崎の突端へ行くには、北西に進んで(現)取手市に入り、
西谷田川を越えてつくば市に入り、西谷田川沿いに南東に戻るという
逆U字ブーメラン・コースをとらなくてはなりません。
 
往復1時間以上かけて、わざわざ行く価値あり?
 
実は筑波山方面へ行った帰り、本当に道が真っ暗なので間違えて
西谷田川から泊崎方面へ行く道に入ったことがありました。
曲がってすぐの角に(真っ暗で)おどろおどろしい雰囲気のこんもりがあり、
そこへ上がる細い階段が不気味に見えたので調べたら浅間神社でした。
恐くて登れなかったなんてオカルトチックな言い訳は許せないので
そこへ立ち寄ることにして楽器ケースを積みました。
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「あ、ここだ! 昼間だと恐くない」
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やっぱり富士山を遙拝するスタイルですね…。
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さっき橋の上で撮りたくて撮れなかった西谷田川が見えています。
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多くの浅間神社同様、鳥居と社殿が富士山に相対している格好です。
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覆屋の中にカメラを入れて撮りました。
まだ新年の10日なのにこの状態では祭祀など行なわれていないんでしょうね。
かつて富士山が大噴火した際、天皇は自分の責任であると勅令を出し、
火山の神の憤りを鎮めるべく各地に浅間大神を祀ったはずなのに。
小高い山が無い場所には数m~20mくらいの高さに土を盛って
そのてっぺんで祭祀を行なっていたときいていますが…?
 
すでに日本人が神道に求める御利益は良縁とか一攫千金に変わってしまった?
国土や国民の安全より我が身の安泰とか?
 
ともあれ私のイメージ通りの浅間神社だったので安心して泊崎に向かいました。
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あ、いつも通る鰻の伊勢屋さんと、その北の鶴舞家さんのビルが見えてきました。
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ふだんはここにも白鳥やカモが居るんでしょうね。
ただ、今日は恐ろしく風が強く、波が高いので↑ユリカモメが1羽飛んでるだけ。
地図を見ると突端に「七浦辨財天」とあったので行ってみることにしました。
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↑なにコレ?
フェンスに囲まれた祠の鳥居には「泊崎弁財天」とあります。
手前に新しいお墓も造営されてるし…この領土争い(?!)が理解できません。
それより牛久沼の岸まで行ける道はないのかなぁ?
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道を探していたら「弘法の硯水」の看板が!?
ちょうど散歩をされている御夫婦がいらしたので訊いてみました。
どうやら来た道を引き返すらしい…。
ということで、さっきユリカモメを撮ったポイントまで戻りました。
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奥様のお話によると、ここで羽繕いしている様子を近くで見られるんですって!?
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こういう道に入ったら最後。とことん行かないと気が済まない性格です。
車輪や車体に枯れ枝が入り込んで異音を立て始めました!?
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バイクを停めて引っ掛かっている枝を取ろうと思ったら船着き場がありました!
対岸の土手を右へ走って橋を渡り、コの字を描いて岬の突端まで行ったわけですね。
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小さな桟橋(?!)の突端から伊勢屋さんの方を見たら白鳥が泳いでいました!
うんと拡大してみたらコブハクチョウのようです。
残念ながら今日はオオハクチョウには会えませんでした。
再び農道というか畦道を走り、「弘法の硯水」を見つけました!
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「えっ?! この石の中が四角く刻まれているのが硯?」
いや、そういうことはどうでもよくて…と考えていても埒が明かないので
空海がこの地へ来たのかどうか、iPadを出して検索しました。
 
ふむふむ、この地は大化の改新(645)頃に「筑波評」と記されていたのか…
(そして、2002年に稲敷郡茎崎町つくば市になった)
「白雉中増為十二評図」には「河内評」の名も見られるそうで、
白雉年間(650-654)に「筑波評」の南部地域が「河内評」になったらしい…。
律令制が確立する過程で「評」(こほり)から「郡」(こほり)へと表記が変わり、
当地は「河内郡」と表記されるようになったそうです。
 
空海が訪れた当時の発音は、高知(かうち)県の"コーチ"と同じく
河内(かふち)="コーチ"だったと考えられています。
平安時代中期(934年頃)の漢和辞書『和名類聚抄』(倭名類聚鈔)
当郡の読みが「甲知」(かふち)とあったためです。
 
そして空海が大同年間(806-810)に訪れて座護摩を修めた地に
泊崎大師堂を建てたと書かれていました。
「河内郡」なら空海が素通りすることはないでしょう。
地図には「泊崎弘法大師」とあり、先ほどの弁財天の真上でした。
川沿いの道から台地の上にあがります。
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うわぁ~「私有地」の看板と「岬→」の標識がありましたが、
昔のままの道なのでしょうか? 古代の雰囲気を感じますね…。
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着きました! 大師堂の向こうはきっと絶景です。
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平成27年12月に改修されたそうです。
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高台にあるため、当然ながら直下の弁財天からより見晴らしがいいですね~。
右端に見えるビルが鰻の伊勢屋さんです。あの前に白鳥が居ます。
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「よし、ここを今日の舞台にしよう!」
"神送り~神上の段"を練習しようなんて気はさらさらなかったのですが、
誰もいないし、日射しが気持ち良いので、40分間演奏。
今日はバイクが脱輪しそうなくらい風が強く、波も高かったので、
この高台でも波と風のスピードに合わせて演奏する快感を味わえました。
屋内でばかり練習していると、この空気感が薄れてゆくので
神楽歌の譜面通りに演奏しても海人族の音楽から遠ざかってしまいます。
考えてみれば、波の音と和したのは久しぶりでした。
瀧であれ、海岸であれ、川であれ、そして沼であっても
水の音の威力は絶大です。倭琴の手はそれを模したのですから。
 
こちらは座った位置からの眺望です。
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白鳥に導かれ、思いもかけず同郷の先人ゆかりの地を踏むことができました。
今日の演奏で、コトの手と「ア」の発音に閃きがあり、九割方つめられました。
"神送り~神上の段"、あと一息かと思います。