藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

三浦三崎

 
今日も真夏日ですね。
前々から再訪したかった三浦三崎へ向かってます。
大学時代、遠足で行って以来です。
その時は観光地ゆえ、人、人、人…の波に呑まれ、残念ながら
城ヶ島で白秋の詩を思い出すことすらありませんでした。
(もしかして、45年ぶり?!)
当時の藝大声楽科 畑中クラスは遠足と言えば歌舞伎座だったので
屋外となると(12年間で)城ヶ島真鶴へ行った記憶しかありません。
 
せっかく再訪するんだから、三崎では唯一とも言われる諸磯貝塚は見たい!
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えええ〜⁉ 盛り土されていて貝塚かどうかすらわかりません。
イメージ 6
しかも諸磯遺跡ですって⁉
昭和の発掘調査で竪穴式住居跡が見つかり、破棄された住居跡の
内部に貝塚が形成された地点貝塚であることが確認されていました。
しかもこれらの貝塚は、すべてが諸磯期(6050-5600年前)のものではなく、
黒浜期(6450-6050年前)に属するものもあったとか!?
 
では諸磯の隆起海岸は?
意外にも、ここから(海とは反対方向の)北東にどんどん下ってゆきました。
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国指定「天然記念物」だそうです。
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思ったほど高さがありませんね…。データも少ないようですし。
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このシルト岩質が城ヶ島西部と同じなんですよね?
近くで写真も撮って貰ったので、城ヶ島へ向かいましょう。
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城ヶ島西部へやってきました。が、北側からはぐるっと回れないようです。
南側の道へまわりますと、唐突に鳥居が立っていました⁉
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舗装されているからか、そんなに古い感じはしませんね…。
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ちょっと理解し難い由緒ながら、登ってみないと気が済まない性格です。
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登っていますと…
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歓迎…されてます?
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ピークには小さな石の祠があっただけでした。
そして、ここからきれいに見えるはずの富士山は雲に隠れて見えません。
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景勝地…という感じではありますが。今度は東部に行ってみます!
タクシーで城ヶ島公園へ移動し、駐車場から
徒歩で東端へ向かう途中、南側の海を撮りました。
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東端の城ヶ島公園は城ヶ島砲台(1927-)という要塞の跡地です。
敗戦後、城ヶ島砲台は米軍によって武装解除されました。
その後、1950年に砲台跡地約17haが都市計画公園に指定され、
1958年に面積約14.6haの県立城ヶ島公園という風致公園となり、
残りは農地改革で民間に払い下げられたそうです。
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奥の中央付近にある階段を下りると安房灯台が見えるはずですが?
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恐る恐る階段を下り始めたら鳶が旋回していました。
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うわぁ~~!! お洒落な灯台(安房灯台 / 1962-)ですね。
けっこう波の音が大きくて爽快な気分になりました。
ふと横を見ると…
(後ろから8行目の「びゃくーん」↓にはドヒャ~ン!? 「ビャクシン」の木を知らないのでしょうか?)
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「州の御前」?
城ヶ島対岸の三崎にある海南神社の祭神が藤原資盈(すけみつ)公で、
城ヶ島の西部に家臣の楫とり役 三郎を祀った楫の三郎山神社があり、
東端の安房崎に家臣の四郎を祀った洲乃御前神社がある?
楫の三郎山での違和感が決定的になりましたねぇ…。
 
楫の三郎山に「藤原資盈公が貞観6年(864) 故あって九州博多を出帆し、
途中暴風にあい漂流の末、三崎に着岸されました」とありました。
そして海南神社が創建され、資盈が祭神となったのが天元5年(982)
資盈が没した貞観8年(866)に地元民が祠を建てて祀ったとも言われます。
 
しかし、城ヶ島の歴史はそんなものじゃないでしょう。
少なくとも城ヶ島北部の「遊ヶ崎」からは弥生時代の遺跡が発掘されているので。
 
「鳥居もありませんが、繁みの中に入ってみますか?」と訊かれて我に返り
「もちろん!」と答えました。一人では無理だったかもしれません。
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見たことも無いくらい立派なクモの巣でした!!
そして、海岸線に近いだけあって私の大好きな極相林です。
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もしや、あの祠が洲乃御前神社ですか⁉︎
「石を噛み砕き鉄を爪で切る」ってどんな神なんです?
いや、しかし、人がつくった神を恐れるほど愚かなことはないので
ここは淡々と演奏修行です。波の音のきこえる浜辺で『さざ波』。
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なかなかに興味深い城ヶ島でした。何がって?
島の東部と西部で地層がまるで違っていたのです。帰宅後、調べますと。
 
島の東西で岩質が異なり、
東部は初声層(約400~300万年前に堆積したスコリアと軽石質砂礫からなる凝灰岩)
西部は三崎層(約1,200~4,000万年前に堆積した凝灰質シルトとスコリア質凝灰岩の互層)から成り、
島のほぼ中央に断層が通る。
度々発生する大地震によって隆起を繰り返したためか、
岩礁には褶曲等の地質学的に貴重な露頭が多く見られる。
 
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こちらが↑東端。
こちらが↓西端。
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岩盤のことなど全くわかりませんが、城ヶ島西部楫の三郎山高知県
神峯(こうのみね)神社の「燈明巖」を思い出させてくれました。
 
さて、今日は炎天下、三崎口駅でタクシーを約30分待ちました。
やっと乗れたタクシーなので、城ヶ島で下りた場合、
ロスなく迎えに来てもらえる保証がありません。
そこで、駐車場代などを払って待って頂くことに。
おかげさまで無駄なく三崎口駅へ戻れ、再び京急久里浜へ。
そこからタクシーで吉井貝塚安房口神社をまわって堀ノ内駅から
京急快特で品川に戻るというプランでした。
 
しかしながら、吉井貝塚へはかなり急勾配の登りで、
その傾斜を見ただけで熱中症になりそうな気がして断念…。
最初に行った諸磯貝塚から諸磯の隆起海岸までが
かなりの下りだった地形と符合していました。
 
こちらは↓神奈川県立生命の星・地球博物館学芸員の樽 創氏がまとめ、
2005年1月21日に神奈川新聞に掲載された記事で使われた
下末吉期(約12.5万年前)の海岸線の図です。
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縄文海進とは異なりますが、参考になりました。
安房口神社の社名が不思議でしたが、
この社頭こそが「口」であったか…と。
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対馬なら、階段の前に船をつけ、
小高い丘に鎮座する祭神に参詣する形が多く見られます。
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これは、海辺に見られる極相林ではありませんか!?
まるで足摺岬に居るようです。
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ニノ鳥居でしょうか? 鳥居はあっても社殿がないと書かれていましたね。
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おおお…、なんと檻に入れられていました⁉︎
こうした造りは初めて見ました。
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振り向くと由緒が書かれた案内板。
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安房国天太玉命が誕生する前のことを知りたいんですけど…。
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すごすごと帰ることにしますか…。こういう参道、幾つも通ったよね。