佐久郡の望月牧・長倉牧・塩野牧、筑摩郡の埴原牧と大野牧、
安曇郡の猪鹿牧、設置郡不詳の萩倉牧です。
大胆なことが書かれていました。
朝鮮半島から日本へ渡ってきた「渡来人」に関わる社であるとの説がありますが、
定かではありません。
ほほう…。私も、甲斐の御牧へ行ってから、
馬を日本語で「コマ」と呼んだのは「高麗(こま)」から来たからかな?
なんて妄想していたので、この辺り更に踏み込んで調査して頂けると助かります。
なんて妄想していたので、この辺り更に踏み込んで調査して頂けると助かります。
さて、今日は高井郡の高井牧へ行く予定ですが、現在
「高井」という地名が見当たらず、「高山」ばかりなので調べてみました。
高山村の歴史は浅く、
昭和31年(1956)の高井村・山田村の合併によって誕生しました。
地図上で山田神社が目についたのは山田村だったからなんですね。
今日は月曜だし、雨の予報だったので我々以外に観光客の姿は見かけませんでした。
ゴンドラリフトでの視界は2m以下⁉︎
東館山山頂駅を出ると朧げながら前が見えてきました
でも、東館山神社の鳥居を見つけるのがやっと。
鳥居から山頂まで徒歩10分と書いてありましたが、地面が泥濘んでいるし、
カビ臭が充満しているし…。
もう本当に我慢の限界まで歩くと視界が開けました。
こうなると、身勝手なものです。
「私はここで演奏修行するので、どうぞ山頂の神社まで行って来て下さい」
「私はここで演奏修行するので、どうぞ山頂の神社まで行って来て下さい」
白い霧が風に吹き上げられてくる円形台地で2曲演奏しました。
楽譜が飛び、髪の毛がびしょ濡れになりましたが、空気はきれいでした。
後で東館山神社の画像(?!)を見せて貰ったら息苦しくなりそうな空間で
わざわざ登っても絶対に演奏できなかっただろうな…と感じました。
撮影時刻を見ると、私の位置から徒歩3分ほどの距離でした。
これが神社?
再び噎せ返るような参道を通って鳥居を出ますと、「待ち人(?!)」が。
カケスさん…ですか?
かなり御機嫌な様子で、東館山山頂駅まで我々を先導してくれました。
ピョン、ピョン、ピョン…跳ぶように走ります。
おっ?! 突然、羽ばたきました。
器用につっかえ棒まで飛び、上ってゆきます。そして、今度は左へ大きく飛びました。
「あなた、一人で何してるの?」
いくら声をかけてもマイペースで遊んでいます。
このあたりは高山植物園でもあります。
来た時には靄っていた「東館山 標高 2000米」の看板が読めました!!
上りでは視界の無かったゴンドラリフトの中からも撮影できました。
山麓駅が見えています。右手のスキー場も撮ってみました。
再びタクシーで走っていると青空が見えてきました!
ここからは"湯つづき紅葉街道"で高山村をひた走ります。
11月には冬季閉鎖される道ですが、紅葉シーズンは大渋滞だそうです。
中でも一番人気が雷滝!
補強に補強を重ねた岩盤を過ぎると駐車場です。
運良く最後のスペースに停められました。
紅葉シーズンには狭い遊歩道に人がひしめき合うわけですね…。
轟音が聴こえるものの、かなり下りないと滝は見えません。
おおお…たしかに裏見の滝です。しかもスケールが大きい!!
↑画像右下の位置から撮った画像はこちら↓(同行者が御提供くださいました)
素晴らしいですね…。言葉もありません。
近年これほどスケールの大きい滝は見ていなかったので大満足。
並ばずに見ることができてラッキーでした。
このまま66号線を西へと走りますが、名称は"豊野南志賀公園線"となります。
目指すはかつての高井牧。
当社の西から南にかけて広がるぶどう畑の住所が「駒場」なのです。
ずっと山を下って来たので、平野がなつかしい…というか御牧にピッタリです。
南側もかなり広い平地です。300m足らずの距離に駒場公民館があります。
須坂駅から長電に乗るまで小一時間。髙杜神社経由で駅へ向かいます。
参道が1kmほどあるときいていましたが、現在は道路で分断されていました。
道路からすぐの場所に神楽殿。
社殿に相対していました。
高井牧からも近く、想像した以上に立派な神社でした。
こうなると、御牧ヶ原へ行ってみたくなりますね。