藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

天香久山

明日の「ソラの集落」巡りに備え、帰省中。のぞみの車内です。
家にいると、あたふたと動き回り、思考が分断されてしまいます。
いま最も想像力を働かせて確実にウラをとりたいのは「古代人の思考」です。
現代の物差しで測っている限り、その実態には迫れないでしょう。
そんな今日、神武天皇の建国神話に思いを馳せています。
 
日本書紀』によれば
宇陀へ入った神武天皇が高倉山へ登り、山頂から周囲を眺めますと、
国見丘には八十梟帥(やそたける)という武力に優れた集団がおり、
女坂には女軍、男坂には男軍という軍勢が配置されていました。
この様子を見た神武天皇は「重要な道はすべて敵に押えられており、
通れないではないか」と憤慨しました。
何とかできないかと祈りつつ眠りにつくと、夢に天神があらわれ、
「天香山(天香久山)の神社の土で平らな皿八十枚と新酒を入れる聖なる瓶を
造って天神地祇を祀りなさい。そして身を浄め、相手に災いが及ぶように
祈願すれば、敵は自ら降伏してくるでしょう」と告げられたそうです。
 
この神話の舞台へは10/21に行ってきました。
 
神武天皇椎根津彦と弟猾に土を取りに行くよう命じた天香山が
当時いかに重視されていたかが窺えます。
耳成山畝傍山とともに“大和三山”と謳われてきた天香山は
標高わずか152mながら、天照大神高天原を地上に下ろした
地上における高天原「神の天降る山」とされ、
神話の高天原と結びついたことで、唯一「天」の字がついています。
 
独立峰の耳成山畝傍山に対し、多武峰(たふのみね)山系から延びた尾根が
侵食されてできた香具山は、南北に翼を広げた形状をしているため、
他の“大和三山”に比べて山形がわかりづらいのが特徴です。
 
その天香山の山頂には、現在、天地の根源神を祀る国常立神社
北麓には占いの神を祀る天香山神社、南麗には天岩戸神話が残る天岩戸神社
南腹にはイザナキ・イザナミを祀る上ノ御前・下ノ御前が残されています。
 
さて、神武天皇が平瓮や厳瓮を焼かせたという土は、
この山のどこから取ったのでしょうか?
 
いつかこの疑問を晴らしたいと思いつつ、もう千六百社ほど回りましたかね…。
明日も何かヒントを得られれば…と願っています。
 
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Studio Aikawa着。
やっと紫外線に晒される怖さを実感した私、昨日
UVカットのシールド付きヘルメットを買って持参しました。
明日試してみて効果が感じられれば自宅用にも購入しようと思います。
 
ダウンジャケットは長さがお尻まであると滑って座る位置がズレやすいため
ショート丈にしました。決めてからは短期間でしたが、準備万端です。
 
ところが!! 22:15に宇多津駅のタクシー乗り場へ行くと1台もいない!?
えええ~、昨日から動きづめでヘトヘトなんですけど…。
すぐにタクシー会社に電話すると
「今日はなんでか車が全く帰ってこないんですよ。
そのうち他の会社のタクシーも帰ってくると思いますから…」
と言われたので、駅のコンビニで明朝のヨーグルトなどを購入。
再び乗り場へゆくと、3人も並んでいました。
う~~ん、これは…!?
 
20kg以上の荷物を抱えて、約1.1kmを歩いて帰りました…。
まあ、これくらいで根を上げていたら、明日の予定はこなせませんからね。
今から掃除機をかけ、ベッドメイキングをして休みます。