名古屋から近鉄に乗り換えました。
それが、名鉄と思い込んでいて大慌て!!
特急券も買わなくてはならないのに…。
ギリギリ間に合いましたが、日曜とあって駅構内は混雑していました。
かなり走ったので、なかなか汗が止まりません💦
さて、吉隠(よなばり)とは、いかにも秘密げな地名ではありませんか!?
↑妄想?
とあり、間違いなく持統天皇が足を運んだ場所として行ってみることに。
また、莵田=宇陀といえば神武記でしょう。
「金色の霊しき鵄(とび)有りて、飛びきたりて弓の弭に止まれり」
「鵄の瑞を得るによりて、時人よりて鵄邑と号す。今鳥見と云うは是訛れるなり」
とあるように、現在2つある鳥見山にも興味をひかれます。
なにしろ何度も歌った「♫金鵄(きんし)かがやくニッポンの~」の源ですから。
戦時歌謡が「♫お国のために~」の刷り込みだとしたら、
古代歌謡にはどんな目的が? と興味は尽きません。
次に乗り換える駅が名張なので「よなばり」と関係があるのかな? と調べたら
何となくワクワクしてきますね。
吉隠は桜井市の東端、
大和高原の南端にあり、初瀬(はせ)街道(=国道165号)沿いに位置しています。
「降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養(ゐかひ)の岡の 寒からまくに」
『万葉集』巻2-203 穂積皇子の歌でも知られますが、
同母ならぬ異母兄妹とはいえ、高市皇子の妻であった皇女との恋は
当時から大変なスキャンダルとして捉えられていたようです。
さあ、長谷寺駅に着きました。
先ずは長谷寺が見える場所へ。
木が生い茂っていて、期待したほどの眺望ではありませんでした。
この白髭神社へは階段のみ。登って左折して右折して、最後が左折でした。
なにげに「山神」と彫られた磐が置かれています。
私は鳥居をくぐって表参道から来ましたが、裏からも来られるようです。
本を読んでいます。頭がこんがらがって何が何やらわかりませんが…。
もしかしてトンデモ本ですか?
ここから吉隠へ向かうのに、運転手さんが近道をして下さいました。
「知ってます、この道。長谷山口坐神社の裏参道を通りますよね?」
「よく御存知ですね。すぐそこです」
「ちょっと立ち寄っていいですか? 前に演奏しなかったのが心残りで…」
次は山口坐神社14社をまわろうかと考えていたのでラッキーでした。
山口坐神社ですから、社殿ではなく、奥の山が御神体ということになります。
前に立ち寄った時もそうでしたが、右の裏参道だから来られました。
左手の石段を下から上がって来るルートなら絶対に無理です。
初瀬街道へ出て数分で左折すると吉隠で、すぐ山道になります。
今まで1500社以上をまわり、様々な場所へゆきましたが、
次の狭井神社だけは到達できたのが奇跡と言える場所にありました。
ここから徒歩で探しました。…と言うか、適当に歩いたら行けた!?
あたかも個人の畑に見える場所にイノシシ避けの扉があって
それを勝手に開けて少し下り、右を見たら小さな社がありました。
運転手さんにしてみたら「いったいどこへ?」という感じだったでしょう。
参道も無ければ鳥居も無い。
神社としての空間というか神域はここだけで、私の後ろは断崖絶壁!!
うしろの崖まで10cmの余裕もない場所に座って演奏修行してます。
持統天皇が来たかもしれないと思うと、わくわくゾクゾクしました。
ここから更に坂を登って北上したドンつきに春日神社があります。
莵田の吉隠「松が下」と呼んだようです。
山の中は道があっても表示されないことが多いので、勘だけが頼りです。
「ここで止めて下さい」と言うと運転手さんがギョッとされました。
車をおりて鳥居もない坂を徒歩であがると円形台地が広がっていました。
その左奥に社殿がありました(なんで準備してるところを撮るかなぁ…?
演奏中にシャッター音がしないよう配慮して下さったのかもしれませんが)。
演奏中にシャッター音がしないよう配慮して下さったのかもしれませんが)。
社殿が写っているものが他に無いため御容赦ください。
との疑問を抱いて来ましたが、代々当地の藤原姓を相続した方が祭祀の頭人を
すると、元の祭神は瀧蔵大明神ということになるのでしょうか?
吉隠から初瀬街道へ下りたら、再びタクシーで山登りです。
宇陀市榛原萩原の鳥見神社ですが、比較的行きやすい道が通行止めでした。
もう一本の道は鋭角のV字を右折せねばならず、それが不可能に近いため
次に行く萱森の高靇(たかおかみ)神社方面へと直進してみましたが、
ずーっと車一台通るのがやっとの道幅でした。
私が「先に高靇神社へ行って帰りに寄ればすんなり登れますよね?」と
浅はかなことを申し上げると、運転手さんが「登れても下りでV字を左折できないので
どちらも一度は車を返す必要があります」とバックしつつV字まで戻りました。
崖から落ちないようガイドを担当し、何とか無事に方向転換できました。
駐車場から鳥居をくぐると、思いもかけない景色が眼前に広がっていました!!
山の中腹(?)で、眼前に鏡のような池が出現しました。
あの赤い橋を渡ると、左手に鳥見神社が閑かに佇んでいました。
ここでは初めての神楽歌を演奏してみました。
全くミスなく歌えたのは、程よい緊張感と静寂ゆえかと…。
この先は狭い一本道をひたすら西へ走るのみ。
地図上に道がないため不安でしたが、運転手さんが大丈夫と仰って下さり
イケイケどんどんで到達できました!
ええ~~?! 秋の例大祭でしょうか?
氏子の皆さんが裃姿で拝殿に座っておられます。
失礼ながら、このような山の中で古式ゆかしい祭祀が続けられているなんて
想像だにできませんでした。
もちろん長谷寺鎮護のため戸隠から九頭龍権現を勧請したと知って訪れました。
それがいつのまにか丹生川上神社の高靇に変わっていました。
今度は来た道をひたすら戻り、近鉄線を越えて大宇陀方面へ。
目指すは兄猾を討った(のちの)神武天皇が登ったという菟田の高倉山です。
運転手さんが看板を見つけて下さり、右手を見ると鳥居がありました。
鳥居からすぐならよかったのですが、そう都合良くはいきません。
山頂までダラダラと上り坂が続きます。
疲れましたが、それでも山頂の円形台地は古代の祭祀場ですから
ここぞとばかり演奏修行させて頂きました。
高倉山では、神武天皇がどう攻めようかと考えていたら夢に天神が出てきて
天香山の頂の土で天の平瓮八十枚と厳瓮を造って天神地祇を敬い祀れば
敵が自ら降伏してくると言われたので、
椎根津彦と弟猾に天香山へ土を取りに行くよう命じたそうです。
そして天香山の土で八十平瓮・天手抉八十枚と厳瓮を造った神武天皇は
丹生の川上「菟田川之朝原」で天神地祇を祀りました。
その「菟田川之朝原」に比定されているのが雨師(あめし)の丹生神社です。
しかし社殿は遥か彼方に見えます。
ハアハアゼイゼイ登って来て、この先から階段が始まるようです。
これはもう要塞ですね…。
やっと社殿に近づいてきました。
上り切るとかなり広い空間が広がっていました。
そして本殿は丹生神社に相応しい赤。
素晴らしい要塞に感心しながら来た道を戻る途中、振り向いたら
鳥居が見えました。社殿はあそこからかなり上にあったわけです。
今日の最後は、雨師から榛原駅へ向かう道沿いにある白山(しらやま)神社で
それ以前はトビだったと伝わります。
明日は友人の車で愛媛県へ行きます。