藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

天香久山と八峯

12/1、“大和三山”で唯一「天」の字をもつ天香久山のことを
四国へ向かう車中で書きました。
 
高倉山から自軍を迎え撃とうとする軍勢を見た神武天皇の夢に出てきた天神は
天香久山の神社の土で平らな皿八十枚と新酒を入れる聖なる瓶を造って
天神地祇を祀りなさい。そして身を浄め、相手に災いが及ぶよう祈願すれば
敵は自ら降伏してくるでしょう」と告げたそうです。
 
この神話のストーリーは何を暗示しているのでしょうか。
"古代人の思考"に思いを巡らせつつ、私は仮説を立てました。
天香久山の山頂に鎮座する国常立(くにとこたち)神社の祭神は
天地開闢とともに現れた天地の根源神と言われる国土形成の神=国常立命
それを日本の国魂と仮定すれば、その土で平瓮を焼くという行為は
神武天皇が日本の国魂を手中にすることを意味するのではないでしょうか。
 
よって、神武天皇が平瓮や厳瓮を焼かせたという土は、
天香久山の山頂・国常立神社から取ったのだろうと私は考えました。
 
天香久山国常立神社へ行くと、境内社の高靇(たかおかみ)神とともに
左右に祀られ、高靇社の前には壺が埋められています。
 
古来、旱魃の折には高靇神に雨乞いして壺の水を替え、
それでも降らない場合は当社の灯明の火で松明を燃やして
村中を火を振りながら歩いたと伝わります。
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他方、「八峯」集落の頂上(726.3m)には小さな池があって
地元では昔から大蛇が居ると言い伝えられていたそうです。
それで龍神を祀り、旱魃に雨乞いをすると雨が降ったのだとか。
 
この池の話が天香久山国常立神社境内社前の壺と重なるのでは?
と感じた私は、明治末期に山上から遷座した八峯神社ではなく、
池のある「八峯」の頂上へ行ってみようと考えたわけです。
 
残念ながら「八峯」の頂上へは行けず、池は見られませんでした。
それというのも「八峯」集落の住人が一軒のみとなり、
頂上まで登る人がいなくなったことで道が判別できなくなっていたのです。
 
今回は空振りでしたが、いつの日にか山上の池を見てみたい私です。