藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

土器川 1

 
先月の11日に故郷「讃岐国鵜足郡」について書きました。
 
今日は、その「鵜足郡」を流れる土器川の源流を目指します。
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蒼鷺と白鷺、一緒に居る黒いのは…もしや鵜ですか?!
たしかに鵜です。でき過ぎていますね…。
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土器川沿いに徳島との県境へとひた走ります。
あと10分ちょっとで「まんのう町美合出張所」です。
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阿讃山脈が迫ってきています。ここまで1時間弱、順調に走って来ました。
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前回と同じように、ここ「まんのう町美合出張所」でトイレ休憩です。
こののちは恐らく公衆トイレはありません。
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「八峯」集落を目指して坂を登っていると、さっきトイレで会った
サイクリストを追い越しました。火野正平さんの影響でしょうか、
白髪の男性でしたが、果敢に急坂を登っておられました。
勝浦の山道に入ってから出会ったのはこの自転車だけで
あとの約6時間は走る車を一台も見ませんでした。
(棄てられて原形をとどめていない四輪車は何台となく見ました‼)
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ここから先はもう地図に道がありません。
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結果的に「八峯」集落で八峯(はちむね)神社を見つけるまでに2時間半を
要したわけですが、山道を走っているだけで満足なので…。
それにしても人家という人家は無人で、道を尋ねることもできません。
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何かを焼く煙が見えました! 行ってみます。
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実は休日を利用して普段は無人の家の掃除と整理に来られたとのこと。
おかげさまで、ここが「御鷹師」の屋号をもつお宅だったとわかりました。
「御鷹師」とは、その名の通り鷹匠で、当地では佐野家が代々藩の
「御鷹師」をつとめていたと記録されています。
ただし、現在の所有者は「御鷹師」の家とは無縁なのだそうです。
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これは家の中にあった脱穀用の道具の一部を外に出したのだとか。
ここで明治の末期に遷座した八峯神社の旧地についてお訊きしました。
 
「八峯の山頂部というか、明治まで八峯神社のあった場所へ行きたいのですが?」
「子供の頃にはよく遊びに行ってたけど、今はもう道が無いんじゃないかな?
あったとしてもイノシシやサルが出るから危ないですよ」
「では、その山頂部(726.3m)に池のようなものが2つありましたか?」
「いいえ、なかったと思います」
 
残念です。ここが今回のポイントの一つでした。
このことについては「天香久山と八峯」に書きました。
 
「八峯」集落に住んでおられるのは既にこの方の御親戚一軒だけだそうです。
八峯神社はその御親戚の近くだと地図を見ながら説明して下さいましたが、
方向音痴なので、走り出したとたん北も南もわからなくなってしまいます。
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あっちにもこっちにも二又がありますが、なんの標示もないので隈なく
最奥まで行ってみました。が、家があっても無人です。
あ、干し柿が吊るされている家にワンちゃんがいました!
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すると、ここがさきほどの方の御親戚ですね。
しかし声をかけても返事はなく、歩いても歩いても神社はありません。
諦めて、再度そこまでの道という道を走りつつ最初に曲がった集落の入口へ。
やっぱりワンちゃんの居たあの場所しかない…。
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1時間後に引き返すと、表に女性が出ておられ、神社へ案内して下さいました。
さっきまでテレビをご覧になっていたそうです。
ワンちゃんも鳴かなかったので、私の声に気づかなかったとのこと。
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「さっき、ここまでは来たんですが…?」
「神社はこの右手奥にあります」
「鳥居がなかったし、まさかここを下るとは………(トホホ)
「鳥居はあったんですが、木だったので腐りました」
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社殿の周囲は絶壁です。明治期の遷座ながら、古代祭祀場のような立地でした。
標高 726.3mから下ろしたとはいえ、ここでも標高 500m以上あるそうです。
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「失礼ですが、もう祭りは行なわれていないのですか?」
「いいえ、うちと、ここから出た2軒の3軒で神職さんを呼んでやってます」
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うわぁ地面にも赤い実!? 昔ヘビイチゴと呼んでいたものかな?
ここでも沢山お話を聞かせて頂き、「次はどこへ?」と聞かれたので
二双神社と申し上げると「下へおりたら右折して山登りね」と言われました。
「いえ、その先に道がないので、左折して来た道を戻ります」と言うと
「林道があるから行けますよ」ということで直接あがってみることに。
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さあ、ここから標高 801.2mまで原付で登ります!