昨夜21時にStudioAikawa着、今朝9時にタクシーで宇多津駅へ。
美しい瀬戸内海を見ながら岡山、新幹線で久留米、約3時間の旅です。
やっと念願の八女津媛(ヤメツヒメ)神社へ行けます。
ここを目指した最大の理由は、近くに鯛生金山があったこと。
『日本書紀』の景行紀に書かれた九州巡幸を地図で辿ってみると
景行天皇が平らげたり平らげようとした先住民の本拠地には
銅山や金山がありました。
そうした資源がなければわざわざ行こうとはしなかったかも?
しかしながら、八女津媛に関しては、『日本書紀』に
丁酉、到八女縣。則越藤山、以南望粟岬、詔之曰
「其山峯岫重疊、且美麗之甚。若神有其山乎。」
時水沼縣主猨大海奏言
「有女神、名曰八女津媛、常居山中。」
故八女国之名、由此而起也。
とあるだけで、実際に天皇と八女津媛が会ったとは書かれていません。
多くの方が作成された「景行天皇九州巡幸地図」を見ても現在の
八女津媛神社あたりへは行っていないと解釈されているようです。
古代と現代では海岸線もずいぶん変わっていますし。
それゆえ、鹿児島本線から八女津媛神社のある釈迦岳(1230m)を見たら
撮った画像です。駅から八女津媛神社へは、約1時間半かかるとか。
この奥に日向神ダムがあって、しばらくはダム湖に沿って走りました。
所要時間=1時間15分で八女津媛神社に着きました。
立派な御神木ですが、樹齢600年とのことで、神の窟(いわや)なるものも
もちろん大きければ良いというものではありませんが、太古から
ここに八女津媛が祀られていたという感じがしないのです。
経験上、古い神社は皆、川や滝とともにあり、演奏修行すると
琴の手と水音がどちらがどうとわからないほどマッチします。
ところが、当社への道は矢部川から樅鶴川に沿って左折した先を
さらに左折して急勾配を登るため、川から遠ざかっているのです。
「いわや」と名づけるにはもっと奥行きが必要かと…。
座って演奏するスペースすらないということは露出した岩盤でしょう。
数滴ずつ落ちる「しずく」しか自慢できるものがないのでしょうか?
おまけに私が苦手な偶像崇拝まで!?
後づけ感ばかりが目立つ残念な神社でした(タクシー代が勿体なかったかな?)。
唯一の慰めは、演奏修行していたら黒アゲハが来てくれたことです。
これは「お約束」のようなものなので。おっと、↑こちらはモンキアゲハでした。
しかし、これでへこたれる私ではありません。
古代の神社は必ずと言っていいほど川の源流か川沿いにあるため、
矢部郵便局を通り越してすぐに左を見ると、狭い道に橋が?!
そして橋の右手が三柱神社です。
こちらは三社を合祀した名称かと思われますが、なぜ
この二社が橋で結ばれなくてはならなかったのでしょう?
「明治維新百年記念」の石碑がヒントになるかもしれません。
明治100年なら昭和43年、橋が完成したのは昭和53年でした。
御神橋を渡って三柱神社側から見ると、御神木が注連縄で繋がっていました。
まさか、道を通すために石組みをして神社を持ち上げ、橋をつけた…
なんてことはありませんよね?! 「御神木玉垣建設碑」と書いてありますが?
遠い昔に生活道だった路地を車が通れるように整備した際、両側に石を
積んだか、既にあった石積みを補強したか…(市役所に訊いてもわかりません)?
ここはさておき、取り敢えず、鯛生金山地底博物館まで行ってみます。
地図上では、八女津媛神社から直線で6.8kmです。
選ばれたものの、選手団の到着が遅れて、現地の様子を生放送すべく
乗り込んでいたニュースステーションが空振りに終わって有名になった!?
いえ、そもそも八女津媛神社の位置が古代と違うのでは?
と疑っている私こそが空振り野郎なわけです…。
鯛生金山と八女津媛神社に何らかのつながりがあったのではないか
と思い、実際に走ってみたら、約3kmのトンネルができるまでは
迂回に次ぐ迂回で、非常に遠かったことがわかりました。
ま、現住所も福岡県と大分県ですし…。
空振りのまま引き返す際、行きにパスした釜屋神社へ寄ることに。
その前に、矢部川の画像が1枚も撮れてないと運転手さんに話すと
突然左折して下さいました!?
あ、これは今日ずっと見てきた棚田の風景ではありませんか。
彼岸花がそこかしこに咲いていました。
この先が矢部川の支流で、あまりに大きな音がするので
タクシーを降りて見たら、小さな滝ときれいな滝壺が!?
藩が分かれてしまい、お詣りできなくなった人々のために対岸にも
分祀されてますから」と運転手さんが教えて下さいました。
あの赤い橋の手前を左折して川べりまで下りてきました。岩の上にも彼岸花!!
さて、対岸の釜屋神社は?
ダメですね…何枚撮っても逆光でちゃんと写りません。
分祀されたこちら側の釜屋神社はまるで城郭の櫓のようですし。
「今日は1~2時間睡眠で来たので、↑こんなに急な階段は上れません。
対岸の元宮からだと全景が拝めるのでは? と思いますが」と言い、
社殿まで足を運ばず対岸へ行ってもらいました。
うわッ凄い!! 逆さ富士ならぬ逆さ神社だ!?
矢部川は過日氾濫したとは思えないほど穏やかでした。
川縁の道路脇に鎮座している元宮の社頭へはタクシーを着けられました。
土手を走って最初の北長田老松宮へ。
「名木百選」ですって!?
この大きな木が「くすのき」なのでしょうか?
矢部川を渡って南下。次は長田老松神社の大銀杏です。
今度は銀杏ですか…。7本まとまると迫力がありますね。
大銀杏の反対側にはこんな石碑がありました。
直線で約50kmしか離れてないのに碑を建てるってどんな事情が…?
そして最後は何と土蜘蛛の首長の大塚!?
景行天皇の時代なら土蜘蛛の首長葛築目(クヅチメ)の墓、
神功皇后の時代なら田油津媛(タブラツヒメ)の墓が有力です。もちろん
老松宮は後から建てられたもので、広い敷地は閑散としていました。
ここは、やはり、素通りできないでしょう。
本殿にお尻を向けて演奏修行しました。
しかし、いつもながらタイトルに偽りあり。
八女とヤベの関連性はまったく解明されていません…。
九州ではあと2ヶ所「矢部」地名を見つけているため、
まずは3ヶ所の「矢部」を訪問して、金山や銅山の位置、
先住民誅殺の記録などを照合してみなくてはなりません。
新型コロナウィルス感染防止対策と相談しながらですが…
(今回は大失敗!! 往復とも満席の機内で肝を冷やしました)。