藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

龍と瀧

徳島県海部(かいふ)海陽町相川に阿津(あづ)という字(あざ)があって
そこに「式内比売神」の有力な論社阿津神社があります。
『阿府志』に
比売神、相川村室津と云ふ所に在り。安津明神と号す、吾田鹿葦津姫を祭る。
木花咲耶姫、大山祇等大宣津姫之娘也と。
述者按にはの字はの字の誤りならん、無戸室の字なるべし。
安津明神とは謬れるか。室津は此郷の名地 。
殊に霊験あらたかに諸人尊敬し、病人痛所等所るに忽ち霊験ありと。
今は社も甚微なり」と記されているとか。
 
しかし、これは…!?
大山祇等大宣津姫之娘也」なら、大宜津姫も百済系ということになりますが?
の字はの字の誤り」というのも絶対にないとは言えません。
が、とする根拠が…?
 
古代歌謡の歌詞を見ると、漢字は謂わば発音記号なので
「神」を「加三」「可美」など異なる漢字で表記するのが常です。
一つの歌において、同じ表記を繰り返すことを嫌い、
わざわざ別の漢字に変えているのであり、
決して漢字を間違えているわけではありません。
この美学は、明治の最初の官製唱歌集にも受け継がれており、
ことに古代は発音ありきなので、漢字を主体に考えるのは危険かと。
 
よって、阿津に関して言えば、
たとえば「安曇」が「渥美」「熱海(あつうみ→あたみ)」などに転訛したように
海洋族の「あづみ」の名が「あづ」になったと考える方が
室津」が「阿津」になったとする説よりも、私にはしっくりきます。
 
それよりも気になるのが、那賀郡那賀町阿津江黒滝山という住所です。
黒滝山には、太龍寺の奥ノ院たる黒瀧寺があります。
空海が、水銀鉱山に太龍寺を創建し、黒瀧寺をその奥ノ院としたなら
黒滝山にも“資源”があったと考えるべきなのか?
そもそも「龍」とは何か? 「龍」に氵をつけた「瀧」とは何か?
そのヒントなりとも掴めれば…というのが今日のテーマです。
 
「あづみ」を連想させる阿津はまた「阿波の津」を思わせる地名でもあるのに
阿津江という津=港の入り江を想像させる地名が山上にあるとは!?
との疑問から、海部郡の阿津阿津江黒滝山までの道を辿ってみます。
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海部川から支流 相川沿いに走り、阿津神社まで来ました。
今は水量が少ないものの、かつてはここまで舟で上がってこられたかも?
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舟から小さな小さな桟橋に上がり、直進しますと階段があります。
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登り切った正面に、今は石祠のみの阿津神社が鎮座していました。
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と、とりいの欠損部分が継ぎ足されています!?
それだけ地元の方たちに大事にされてるってことですよね?
私は、往時ここが津=港だったと妄想しつつ演奏修行しました。
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次は「轟の滝」を目指します。
 
193号線に戻って直進していたら、左手にユズらしきものが!?
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ん? 自生してるのかな? 隣は神社だし。
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八千鉾神社ですって?! 製銅製鉄のにおいがプンプンしますね。
階段を上がってみてもよかったのですが、フェンスで仕切られていました。
そこで更に海部川沿いを走って西へ曲がり、クネクネと走っていたら
時間帯による通行制限中?!
「工事車両優先なので一般車は11時20分まで通れませんよ」とのこと。
帰りも同じく、毎時20分〜30分の10分間しか通れないため、
12時20分には折り返さないと13時20分まで待たなくてはなりません。
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一瞬パスしようかと思いましたが、せっかくのチャンスなので
11時20分まで待って「轟の滝」入口へ。
「九十九滝」とありますが、もちろん「九十九里浜」と同じで
正確な数値を示すものではありません。
時間的には「本滝」のみで引き返すしかないでしょう。
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あれま!? ↑巨巌を利用した橋桁!?
「轟」の名は、水が巨岩に当たってゴウゴウと響くことからきているようです。
(いや、或いはトトロ・タタラからきているかも?)
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上の地図はかなり端折られてまして、テクテクと坂道を登ってきたら↑この石段!!
こんな階段を上り下りしていたら時間オーバーになりそうです。
すかさず同行の友人が目の前の龍王に入って近道を訊いてきてくれました!
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かつて神仏習合時代には「轟大権現」だったんですね。
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ここを抜けると、約2分で「本滝」に着くそうです。
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何と仰々しい鳥居でしょう…。
こういう所って期待はずれに終わることが多いんですよね?
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しかし、小さめながら美しい瀧!!
帰りに轟神社からここへの道を見たら、膝がガクガクしそうなほど急な下り坂でした。
友人のお蔭で無駄に階段のぼり坂道くだりの体力を使わずに済み有り難い限りでした。
 
さあ、ここから黒滝山へは約2時間半? 幾つもの山を越えなくてはなりません。
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それにしても不思議な天気です。
朝のニュースでは、徳島県の天候は曇、山間部では雨か雪!? でした。
ところが、いくら山越えをしても、雨など降っていません。
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突如、私が走っている道が古代から太平洋沿いの集落と那賀川沿いの集落を結ぶ
主要な街道だったことを示す石碑が目に入りました。
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ずうっと「これが国道?」「酷道?」の誉れ高い193号線を走ってきたら
「海川」の地名が!? しばらく走ると、その名も「海川谷川」が見えてきました。
この川は那賀川と合流します。
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ここから更に40分走ってやっと那賀町阿津江黒滝山の龍王黒瀧寺に着きました!
黒瀧寺は標高約760mにあるそうで、太龍寺の本堂は約505mに位置するそうです。
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社殿を見に来たわけではないけれど、ともかく上ってみるしかありません。
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むむむ…、山頂湖? 讃岐の大川山には山頂に池があったと書かれてましたね。
空海がそういう山を探したということでしょうか?
水があるところに“資源”がある? 水がある場所で“資源”を加工する?
 
ところで、↑「降伏得度」させた「大竜」は、その後どうなったのでしょう?
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「閼伽井の水」がどれなのかわかりませんでしたが、経緯は↑ここに書かれていました。
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何はともあれ、わざわざ来たので「血の池」で演奏修行してます。が、
実は黒瀧寺に着いたら発泡スチロールを粉砕したような雪が降っていました。
でも太陽が顔を出し、晴れてます。風が冷たいのでダウンコートを着たままですが。
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再び駐車場まで下りたら、雪はやんでいました。
 
ここからは昨日行った水井町に近い「仁宇」を目指します。
言わずと知れた丹生地名で、かつて丹生神社がありました。
それを現蛭子神社へ「天長二年空海遷宮」と太龍寺縁起にあるらしい…。
 
今は八幡神社となった元丹生神社へ行く途中、龍王神社を見つけました。
ノーマークでしたが、通り道だったので立ち寄りますと、農村舞台がありました。
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道路から見たら間口が狭かったのに、ずいぶん奥行きがありますね〜。
しかし、龍王神社なのに黄色く塗られた鳳凰の飾り? 瓦には鶴まで付けられています。
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上の社殿に向かって左手に「神龍」の奉納が!?
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氏子さんのせめてもの抵抗でしょうか?
社名は変わってなくても祭祀が変わってしまったのかもしれませんね…。
神社の寂れ具合が気になって検索しました。
徳島県神社誌によれば、那賀町には延野・鉢・朴野・花瀬と龍王神社が4社があり、
中でもここ朴野の龍王神社は規模が大きいそうです。祭神は豊玉彦命、豊玉媛命。
モロに海人族の祭祀じゃありませんか!?
八尋のワニとなって出産したトヨタマヒメ鳳凰や鶴を被せたということは
近年になって鳥をトーテムとする氏族が当社の祭祀に関わるようになった?
 
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ようやく今日の最終地 八幡神社です。
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読んでも何が書かれているのか理解できません。
ただ、昭和37年まで丹生神社と称していたらしいとわかりました。
祭神はニフツヒメではなくミツハノメのようです。
境内社はいずこも同じ“呉越同舟”。
 
なお、伊勢→阿波の大宜都比売の移動ルートを想起させる
「丹生俊重伊勢の人、丹生谷に来居す」の「丹生谷」は、
すぐ近くに那賀川にかかる「丹生谷橋」があることから
この近辺のことかと思われます。
 
しかし、今日のテーマ「龍と瀧」についてのヒントは得られませんでした。
中央構造線を龍に見たて、そこにある“鉱物資源”を龍脈と呼ぶ人があっても
氵のついた瀧との関連は明確になっていません。
またしても未完のまま終わりますこと、お許し下さい。
 
ただ、無視して頂けると有難いのですけれど、私の妄想を書きますと
水銀は“鉱物資源”の中で唯一の液体です。
古代における水銀は金よりも価値が高く、
水銀を制する者が世を制するとまで言われたそうです。
よって、“鉱物資源”たる龍に液体をあらわす氵をつけた瀧は水銀の隠喩。
目に見える瀧ではなく、“鉱物資源”の王を象徴させているのではないかと…。