藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

常陸国の台地と古墳

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昨日一昨日の雨で桜が散ってしまったのでは? と諦めていました。
武者塚古墳の手前に桜が咲いていようとは…。
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ここは地図に医王神社とありますが、社殿扁額は「醫王殿」、
社殿右には「薬王山薬師如来之碑」がありました。
住所は「土浦市下坂田」、右の坂を登ると「上坂田」です。
この台地に「上坂田北部貝塚」と「下坂田貝塚」があるらしいのですが、
地図に記載がなく、何の目印も見つけられませんでした。
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台地の暮らし最高!! と、下総国常陸国を走って思うようになりました。
現代人として「駅から徒歩10分以内」といった条件を優先してきたのが悔やまれます。
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あ、あれが武者塚古墳の覆屋のようです。
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格子の外からでは何もわかりませんね。外に置かれた「箱形石棺」は
ここから北方約170mの「武者塚2号墳」から出土したものだそうです。
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ここへ来たのは棺を見るためではありません。
出土品から古代の髪型が特定できた貴重な古墳だったからです。
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人物埴輪から推測した古墳時代の髪形「美豆良(みづら)」は
ここ武者塚古墳で現物が発見されたことで裏づけがとれたそうです。
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出土品は国の重要文化財に指定され、
真南の「上高津貝塚 考古資料館」に収蔵されています。
以前行った際に見落としていたようなので、再訪したいと思います。
 
ここからは今月三度目となるルートで「かすみがうら市横堀」鎮座の鹿島神社へ。
途中、ちょっと欲を出して地図上にあった愛宕神社へ立ち寄りました。
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あのこんもりのようですね…。未舗装路を行くしかなさそうです。
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怖くて中へは入れないだろうな…と思いつつ行ってみました。
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こういう台地の拠点こそ、皇軍に平らげられて蜘蛛塚になっている
可能性があるので、中を歩いてみるべきなのですけれど…。
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まだまだ甘いですね…。一人で入ってゆく勇気が出たら再訪します。
当地は、3/24に紫ヶ丘公園で撮った↓この図の「原田遺跡群」の南なので
大規模な蜘蛛塚の可能性があるのでは? と疑っています。
(↓この図は左に45度ほど廻すと上が北になります)
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ここから3〜4分で、紫ヶ丘公園や今泉愛宕山古墳の北東にあった八幡神社鎮座の
土浦市粟野町を通過。先日、台地の遠景を撮らなかったので撮影しました。
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さて、いよいよ三度目の正直で横堀の鹿島神社にやってきました。
いつも道に迷って時間が無くなってしまうため立ち寄れませんでした。
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どの台地もしっかり耕されています。果樹が多いようですが?
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きっと桜のあるところが社頭でしょう。
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3/26に来ていたら、桜の参道をくぐれたかも?
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桜は疎らですが、素晴らしい空間ですね。鶯の声しか聞こえません。
今日初めての演奏修行で鶯と競演させてもらいました。
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社殿右手の傾斜でもわかるように、社殿の奥は崖でした。
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鹿島神宮の古い祭祀が安曇族のものだったことを踏まえ
《阿知女》と《篠波(さざなみ)》を演りました。
 
今日のメインテーマは3/26に辿り着けなかった(わし)神社です。
地図にあった↓道の手前に、ここから入れそう…と思った場所があったものの
ナビが一つ先の道を指示したので従いました。
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道らしい道だったので進んでみましたが、この先、行きどまりまでの間に
2ヶ所あった鷲神社に向かうと思われる道はケモノ道になっていました。
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3/26に、↑ここから入れるんじゃないかと思った道ですが、
27日から29日午前中まで降った雨で腐葉土がズブズブになっていました。
バイクでも徒歩でも通れないため、別ルートを探すほかありません。
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あのこんもりの中なんですけどね…。ともかく道を探します。
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この先、左の墓地へ上がるべきだと思うのですが、ナビが直進と言ってます。
結局、直進しても遠ざかるばかりなので、引き返して墓地へ。
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やはり、ここを進むしかないでしょう。舗装されてるし。
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ここへ到達できる道は、あと2本ありました。
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未舗装路…ですが、ここへの入り口も先ほど見つけました。
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方角から考えて、恐らくここがさっき撮った入り口とつながっています。
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鬱蒼とした社叢に射し込む木漏れ日が強烈ですね!!
鳥居の中は泥濘んでいるものの、到達できてよかった…。
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鷲神社を「おほとり」と読む場合は大鳥神社大鷲神社などとの関連、
「わし」の場合は鷲宮神社、日鷲神社、天日鷲神社との関係が疑われます。
「天日鷲」とくれば阿波国を開拓した阿波の忌部氏の祖神です。別名を
高魂(タカミムスヒ)命または神魂(カミムスヒ)命の裔の天日鷲翔矢命・天加奈止美命とも。
 
恐らく『古事記』に武内宿禰の子として「波多八代宿禰」の名があるため
蘇我氏や葛城氏と同じく「大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神」たる
タカミムスヒやカミムスヒの末裔を称したのでしょう。
このあたり、『日本書紀』には記載がないため、いかなる思惑で
ハタ氏・コセ氏・ソガ氏・ヘグリ氏・キ氏・カヅラキ氏などを
武内宿禰の子としたのか、理解できていません。
 
宗教法人としての鷲神社は全国に約80社あるとのことですが、
1位が32社の埼玉県、2位が25社の茨城県、3位が9社の福島県…と偏っています。
いったいなぜなのか? こちらも、これから考えます。
取り敢えず、出島のほぼ中央にある鷲神社に来られたということで。
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この台地は昔ながらの野原でした。
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さあ、台地を下りて対岸の筑波稲敷台地を目指します。
ナビによれば、45分ほどかかるそうです。
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17時半、阿見町を走っています。霞ヶ浦の向こうは出島、
目指すは阿見町石川鹿島神社皇産霊(すめむすび)神社です。
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台地にあがってきました。上のこんもりに鹿島神社があるはずです。
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この鹿島神社よりも前に鎮座していた皇産霊神社を探します。
データによれば、皇産霊神社は704年に創建。
現在は地図上に「皇太宮神社」とあります。
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え?! あれですか? ナビによれば、あの位置で間違いありません。
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このお宅の前を通らせて頂き、奥を左折するしかなさそうです。
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曲がれましたが、未舗装路だし、大丈夫でしょうか?
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阿見町の三角点があるからといって私有地でないとは限らないでしょう。
社殿の画像を一枚撮ったら早々に退散いたします。
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「平成二十五年」の紙が切れたまま放置されていました。
石川という字(あざ)名と「大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神」を祭神とする
皇産霊神社の取り合わせから、蘇我氏の拠点の一つかと妄想して来ました。
古事記』によれば、蘇我氏蘇賀石河(石川)宿禰を始祖としていますので。
 
それなのに「平成二十五年」の紙に「伊勢皇〜」と書かれていたのです。
日本の神社は「国家神道」時代を経て、複雑さを増していますよね?
ヤマト王権より古い神楽歌の歌詞には天照大御神なんて出てきません。
いま確認できる歌詞には「すめ神・すへ神」「大直毘(おほなおひ)」や
「トヨ」+「ウカ」、「トヨ」+「ヒルメ」があります。
 
宗教には無知ながら、演奏修行は宗教ではないため問題ないでしょう。
まだ太陽も沈んでいないし、鹿島神社へ戻って、大宝時代(701-704)
蘇我氏の拠点の一つだったかもしれない高台で演奏修行するとしましょう。
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17:49 阿見町石川の高台にて。
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神楽歌を1曲演奏したら、17:59。
あとはぼちぼち帰るだけです。今日もありがとうございました。
 
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阿見町から南下しT字路を右折しようとして左を見たら、
3/26に出島の南端から見た「牛久大仏」!!!!!!
危うく運転を誤りそうになりました。蛇足ですみません。