藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

小野川と"信太郡衙"跡?

今日は午前中のみ晴れで、午後からお天気が崩れるとの予報でした。
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15時過ぎに買い物へ行こうとしたら、雨雲になりそうな雲でしたが、
入梅(6/11)した以上、わずかなりとも見える青空は無駄にはできません。
根本様のご教示により「地図に載っていない神社」へ行ったあと、
稲敷市上君山に私が重視している宇賀神社があると教えて頂きました。
なかなか見つけられず、地図を拡大して何度も虱潰しに見たらありました!
 
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小野川より北とわかったので、以前から気になっていた皇産霊神社など
周辺の神社もまわることにし、おおよその位置をで示しました。
 
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小野川を渡ります。この位置から見える画像左手にあるはずです。
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下総国でも皇産霊神社は"シマ"の沿岸にありました。
もちろん香取市上小川の皇産霊神社とはスケールが違います。
ここ正直町ではバイクを下りていませんが、国土地理院の地図で見ても
奥行きがないため、たぶん階段の上の社殿までです。私にとっては
各氏族のランドマークとしての神社の場合、地形を確認できればよいので。
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今日はずうっと右手に小野川を見ながら走ることになります。
 
次のランドマークは鹿嶋大神宮という仰々しい社名です。
乙戸川との分岐を越えたらすぐ…と頭に入れていましたが、
あまりに細い坂だったので通り過ぎてしまい、奥の願名寺まで
行ったものの、裏から入れるかどうかわからないため引き返しました。
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408号線は道幅が狭くて駐輪できないので坂を上がって鳥居まで来ました。
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コンクリート舗装なので奥の階段まで行けます。
が、画像より暗くて怖かったので、ここでもバイクを下りませんでした。
常陸国では先住民が鹿島・香取の皇軍に完膚なきまでに討伐されたため
現在では地図を見れば鹿島神社香取神社だらけですが、
征夷大将軍誕生前から祖神を祀って生活していた人々が居たわけです。
その祭祀が判れば民族移動の手がかりになるのですけれど…。
それ以前に、検索しても何の情報も得られない神社がなぜ
鹿島神社ではなく鹿嶋大神宮と名乗っているのかを知りたいものです。
 
ここまでは"シマ"の沿岸部を走ってきました。
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ここから北東に向かって台地を上がります。
南西と北東でこんなに空が違うなんてビックリですね!?
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次の宇賀神社は古墳のある台地に鎮座しているようなので、期待大です。
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突然、近代的な建物が見えたので驚きました。
「こもれび森のイバライド」というものらしいです(ネーミングがちょっと…)
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次の区画はソーラーパネルですか…。
当地は「上君山沼口」の「周囲を山林等に囲まれた第2種農地」で、
令和元年に転用目的を「太陽光発電」とする事業計画が受理されていました。
 
その先のこんもりが GoogleMaps にある宇賀神社なのでしょう。
YAHOO! MAPを拡大して確認したら「稲荷大明神」でした。
(あざ)名で「沼口稲荷」と呼ぶ方もあるとのこと。
f:id:YumiAIKAWA:20210616063442j:plain正一位 稲荷大明神」と書かれた赤い扁額!!
ここまでの 3社はすべて赤い鳥居でしたね…。
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社頭から振り返ると、古代東海道がありました。
根本様はこの道を通って来て宇賀神社を見つけられたのでしょう。
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境内の参道を歩きながら木漏れ日を撮ったらソーラーパネルが写りました!?
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しかし、拝殿は赤くないし、キツネも飾られていませんね。
やはり宇賀神社なのでしょうか?
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おっと!? 真っ赤な社殿の向こうに蜘蛛塚?
ちょっと…これ以上は進めないため、左側へまわりましょう。
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参道からは想像もつかなかった光景です。
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左側もここまでしか足が進みません。
稲敷市教育委員会は「前方後円墳の一部」としていますが、訪れた方々は
前方後円墳1基と円墳2基から成る「沼口古墳群」を確認できていないとのこと。
・1号墳 (前方後円墳)=全長 17.5m , 高さ 3.2m
・2号墳 (円墳)=幅 3m , 高さ 2m
・3号墳 (円墳)=湮滅
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前方後円墳の一部」が現存していると言われましても、
本殿の高さから見て、墳頂が3m以上もあるとは思えません。
見た目には高さ2mの「円墳」の方が近いような気がしますが、
高さ2mで幅3mの「円墳」なんてあるでしょうか…。
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社叢の外側を撮ってみましたが、周辺にも古墳は見当たりません。
謎は持ち帰るとして、江戸崎カントリー倶楽部から台地を下ります。
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このT字路を右折して坂を下り切ってから向かい側へ上がりますが、
国土地理院の地図を見ると元は同じ台地だったようですね。
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稲敷市羽賀の誠諦寺まで上がってきました。道の反対側が羽賀神社です。
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この参道は走れないので、向かって右の側道を走って奥まで行ってみます。
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またしても赤い社殿!? 奥にも祠があるので何度か祭祀が変わったのかも?
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さらに奥まで回り込んでみましたが、行き止まりでした。
地形が変わっていないことを期待して来ましたが、
新道を通すために山が切り崩され、道が無くなってしまったのかも…。
 
これ以上の探索は諦めるしかなく、稲敷市松山の鹿島神社を目指します。
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再びかつての海岸線まで下りてきて、この先の台地に上ります。
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いつものことながらナビに騙されました。
「目的地はここ」と言われても、入ってゆけませんよね。
大きく迂回しつつ神社への入り口を探しました。
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ここは変則的な四叉路で、古代は交通の要衝であったことがわかります。
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鳥居から直進したら鹿島神社の社殿がありました。
ここ「松山」の東隣の住所が「馬場」だったので、
鹿島・香取の皇軍に平らげられる前は駒形神社だったりしないかなぁ…
と妄想したものの、何の裏づけもないため演奏修行はしませんでした。
鳥居まで戻ると、ここまでの参道と思われる道がのびていました。
ここまでの参道…って、どこから?
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舗装路だったので、安心して直進すると、分岐がありました。
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石の道標があります。きっと重要な街道だったんですね。
もちろんここも直進です。
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これは…、どうしたことでしょう。台地のテッペンに広大な平坦地がありました。
気になって検索したら『江戸崎町史』の「信太郡衙(しだぐんが)周辺図」が出てきました。
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「信太郡衙」は、ずっと、阿見町竹来か美浦村信太に違いないと思っていたのに
ここ下君山の「木瓜台」にあったという説が有力なのだそうです。
広大な台地の周辺には夥しい数の土師器の散布が見られ、鹿島神社西の廃寺跡から
出土した銅造誕生釈迦仏立像(茨城県立歴史館所蔵)は8世紀後半の作とされているとか。
しかも、森戸台から北上する道は上君山沼口の宇賀神社へ続く古代東海道
画像右端の「辻」は松山の鹿島神社鳥居のあった四叉路ですよね。
 
ここまで来てやっと、根本様がなぜ上君山の宇賀神社と下君山と松山の
2つの鹿島神社を推薦して下さったのか理解できました。
ここは大変な歴史の交差点です。
「信太郡衙周辺図」を手に、後日もう一度走ってみます。
 
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下君山の鹿島神社は突然出現しました。
「うわっ、凄い下り坂!!」と身構えた瞬間、視界に入りました。
広大な台地を走ってきただけに驚くような立地でした。
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ずいぶん長い参道で、神社というより隠れ家のようです。
何か別の目的で建てられたのち、神社に転用されたような雰囲気なので
取り敢えず今日は素通りします(って、今日バイクを下りたのは一社だけ!?)
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鳥居の向こうが廃寺跡。
この参道を直進しても右折しても「木瓜台」へ行けます。
私は左折して急坂を下り、帰途に就きました。
 
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6/5に行った根本のある台地まで南下し、根本を越えたら西へ進み再び南下します。
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牛久市で越えた小野川を、稲敷市で引き返したというわけです。
先日の根本女化稲荷神社の横を通って帰ります。
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かつて榛谷(はりがや・はんがや)の駅家(うまや)があったとされる半田を通過。
今は人家がありますが、2つの山が張り出した谷にあるかつての入り江を撮ってみました。
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西南の方角はすでに雨雲に覆われているように見えます。
が、スーパーを何軒かまわって帰らないと。
運良く、自宅まであと1分というところで雨がポツンと落ちてきました。
ガレージにバイクを入れて玄関を入ったらドカ~ン!! と雷鳴が響きました。
突然決めたミニ旅でしたが、雨に濡れることも無く帰宅できました。
今日もありがとうございました!