無意識に、下総国神生へ向かった時(6/11)と同じ場所で撮っていました。
讃岐平野で育った私は、関東平野のスケール感が大好きです。
こんな景色は上京するまで見たことがありません。
なので、前回(6/15)の帰途を逆走しても、退屈などしません。
…と余裕綽々で走っていたところ、曲がる所を間違えて牛久方面へ!?
いくら方向オンチでもこれはないでしょ…(北東と北西ですから)。
一瞬、もう帰宅しようとして思い直し、根本様に教えて頂きながら
うかうかしていた自分自身への罰ゲームです。
ナビに熊野神社をセットして走ったら、文字通りの罰ゲームになってますよ…。
恐らく徒歩じゃないと行けない場所なので、絶対に到達できない裏道とかを
走らされているんでしょう。この、泥濘んでいてスピードを出せない
未舗装の上り坂で、「目的地に着きました」とナビに言われました。
やむなく地図を見ると、下塗戸コミュニティセンターがあるじゃないですか。
公民館みたいなものは、たいてい其々の集落の神社に隣接しているものです。
未舗装路で戻ると時間がかかるため、大きく迂回して舗装路で5号線へ戻ると
コミュニティセンターらしき建物が見えました。
うわッ?! コミュニティセンター入口に私の苦手な"偶像"が並んでます。
しかも、ここへ入ろうと曲がったとたん、ハヤブサのような鳥が
目の前を横切ったのでキモを冷やしました!?
あんなに低く飛ぶなんて、何かを捕獲しようとしていたのでしょうか?
コミュニティセンターを過ぎても"偶像"が並んでいました。
ここを進めという印のようで、本当にうんざりです。
が、罰ゲームなので、楽しかったら困ります。
何ですかコレ? 一人で歩いていてヘビが出たら終わりでしょう。
♪ どこまで続く ぬかるみぞ~状態ですね。先が見えません。
あれ? 右へ曲がっているということは、さっき出た上の駐車場から下りてくる道が
あったのかも? 境内摂社のような祠の屋根が僅かに見えてますよね?
ということは…
恐る恐る進行方向左手に目をやると、鳥居がありました!?
下から階段で上がってくるとV字に曲がらなくてはなりませんが、
上からの階段だと真っ直ぐ進めるので、上が表参道なのでしょう。
不思議なことに、ここは非常に太陽光が強く、目を見開けません…。
もう少し進んで日蔭に入れば社殿もちゃんと撮れるでしょう。
かつての「香取海」からほんの少し登っただけなのに、この閑さ。
帰りに見たら、上からの参道はやっぱり真っ直ぐな階段でした。
ここから5号線を東進し、根本女化稲荷神社の近くを北上して小野川を越えます。
その手前の台地にも熊野神社がありました。
もともと崖地に建っていたのだとしたら、関所的な役割もあったのでしょうか?
坂を下りてから振り返って下根本を撮ろうとしたらツバメが居ました。
6/5に上根本・下根本を走った時も、ツバメがたくさん飛んでいました。
台地の森には虫もたくさんいるし、住みやすいのでしょうか?
まだ尻尾の短いこの子たちがうちの一番子だったらいいなぁ…と思いました。
うちに帰って来なくても、どこかで元気に生きていてくれれば。
進行方向左手を見たら、心臓に悪い"偶像崇拝"が目に飛び込んできました!?
本当にどこから見てもドキッとします。
しかも今日は牛久大仏方面へ走るという失態を演じましたし。
小野川を渡っています。
正面に見える台地が、6/15に行った上君山・下君山です。
画像右寄りの下君山から台地に上がって、宇賀神社のあった上君山へ行きます。
ここを上がれば右側に鹿島神社がありますが、急勾配なので登り切れないかも?
ただ、『江戸崎町史』の地図にあった「寺地内」と「星名台」の字(あざ)名が
気になっているためチャレンジします。
坂の半分ほどで動けなくなりました。でも「星名台」は撮れましたよ!!
地元の方が「古天宮」と呼ぶ藪の中に石造露盤や布目瓦が残存しているそうです。
馬鹿力を出してキャノピーを方向転換させて、一つ手前の道から上がりました。
「木瓜台」を南側から撮っています。先日は東側から撮ったので。
道の反対側「牛領窪」で畑仕事をしておられた男性にお声がけし
いろいろと教えて頂きました。今でも土器の欠片が出るそうです。
瓦の破片のようなものではなく、茶器の形を留めたものとか。
ただ「権現古墳」はご存知ありませんでした。
この道の左側ということになりますが、距離感がわかりませんし
こういうこんもりなら幾つもありました。この先、右側にあった「石神」です。
ここから上君山まで、昔の街道を北上してみます。
地図上にある「谷津田」と思われる窪地の向こう「鏡作」あたりで宅地造成中。
工事関係者が、弥生時代の土器がたくさん出ていると仰っているそうです。
宇賀神社の隣のソーラーパネルまで来ました。
私が想像していた道とは一本ずれていました。
それにしても結構な距離がありました。平地なので馬も走れます。
いずれハッキリすると思いますが、敷地のスケール感では下君山かと。
今日はこのまま北上して、失われた古墳を見に行きます。
細い旧道を通りつつ一段階低くなった気がしました。
ここから阿見町の「八幡古墳群」までひた走ります。
ちょうど「八幡古墳群」のある八幡神社方面へ左折する角に
中世の城館の柵列跡で、遺物なしと報告されていました。
途中、第六天神社に立ち寄りましたが、道幅が狭く駐輪できません。
八幡神社まで2分ほどなので、ぐるっと一周して行きました。
国土地理院の地図に「君島天神」とあるのは「割目」と同じ字(あざ)名でしょうか?
古墳と言われても、木が生い茂っていて墳丘の形がよくわかりません。
八幡古墳群はかつて15基ほどありましたが、明治以降の開墾でほとんど削りとられ、
現在3基を残すだけです。現存する1号墳は八幡塚とよび、
高さ3m、直径28mの円墳で、頂上に八幡神社を祀っています。
2号墳は高さ2.4m、直径10mの方墳。3号墳は高さ1.5m、直径20mの円墳です。
付近には羽賀戸古墳群(円墳等4基)、君島古墳群(円墳6基)がありますが、
八幡古墳群と一連の可能性もあります。
ということで、羽賀戸や君島の古墳群も探したいところですが、
普通に検索しても場所がわかりません。
それよりも消えてしまった古墳が近くにあるので北上してみます。
いずれも送電塔の隣? そのために古墳が消えた?
この2つの古墳の跡は、GoogleMapsの航空写真で見ると輪郭がわかります。
この送電塔を撮った1分後、今度は道の左側に円墳が出現。
住所が「君島」なので、ここがさっきの「君島古墳群」でしょうか?
奥にも1基、円墳がありました。探せば6基くらいあるかもしれませんね。
少し下ると右側にもあやしいこんもりが!?
この先、君島鹿島神社のある台地を目指していますが、そこが先住民の
一大拠点だとしたら、周辺に古墳群があってもおかしくないですよね。
ナビが当てにならないので勘だけで走ってきましたが、ここが鹿島神社入口でしょう。
あちらに鳥居がありますね。またしても裏参道から来てしまいました。
驚くほど良く整えられた神社です。きちんとお掃除されてますし。
境内摂社にも案内板がつけられ、おどろおどろしさが全くありませんでした。
それは、当たり前のようでいて、滅多にないことです。
演奏修行させて頂いたら、高い木の上からホトトギスの鳴き声が聴こえました。
♪ H-B-A-(7度上がって)-G-Es-D ♪
何度も何度も繰り返し正確な音程で声を和してくれました。