藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

久美浜のイフキ神社

昨夜は豊岡泊まりで伊福部神社へ行きましたが、
今日は久美浜まで足を延ばしてイフキ神社をまわります。
10/2に西舞鶴へ行き、結城神社で「イフキ」→「ユフキ」の転訛や
久美浜町「油池」鎮座の意布伎神社に関する「油池は元意布伎といへりしが、
和銅年間郷名は好字を撰び二字と為せるより油池となせしなり」を知りました。
ともあれ、古代、久美浜が伊福部氏の拠点の一つだった可能性を探りたく思います。
 
延喜式内社伊吹または意布伎神社 (京丹後市久美浜町油池下 寄)、住所の油池すら読めません。
地名って地元の方でも発音に揺れがあったりしますが。「クミハマチョウユイケ」の場合、
元の意布伎から「イフキ」→「ユフキ」→「ユフケ」→「ユイケ」と転訛したらしい…。
また、久美浜のイフキ神社は油池から勧請された可能性が高いというので、先ず
当社に足を運ぼうと決めました。画像では頂上が2つあるように見えますが?
地図上では久美浜町油池の「油池城跡」と久美浜町甲山の「意布伎城跡」がありますね。
現在の住所は異なるけれど「意布伎城」「油池城」とも「イフキ城」と読むわけですね。
↓こちらは久美浜湾に沿って走っていた時に見えた「甲(かぶと)山」です。雨ふってます。
これまで、降水確率100%でも傘を持たないで出かけていましたが、今日は
大雨・波浪注意報が出ていたので、ホテルのフロントで傘を買いました。
けれど、ホテルを出てからずっと雨が降っていたにも拘わらず、
久美浜湾に到着したのちは、傘をさすことはありませんでした。
しかし傘は、苔むした長い石段を昇降する際、杖として活躍!!
登り切ってから振り返ると↓こんな感じ。
一人ではとても登る気になれなかったでしょうね…。
うわぁ、やっぱり古代の円形祭祀場をつくってますね。
ぐるりと一周してみました。
古代の伊福部氏の祭祀場がきれいな円形のまま残されているのだとしたら素晴らしいですね。
雨に降られずに演奏修行できてラッキーでした。
撮影をお任せしてごめんなさい! そろそろ下りますよ~♪
ということで、急勾配を慎重にくだりました。
わざわざ久美浜まで来たので、海岸線に近い久美浜町湊宮の意布伎神社へも行ってみます。
あれ? 昨日と同じく青空が見えてきましたよ!
油池を出発後、178号線へ出て北上します。
湊宮の神社は海岸線に近いからか、社叢が防風林のようになっていて社殿が見えません。
やみくもに一段登ってみたら参道に出ました。
小ぢんまりとした空間ながら、こちらも古代祭祀場の雰囲気を漂わせています。
扁額もありました。
油池の意布伎神社と同じ表記なので勧請された可能性がありそうです。
 
そして油池から勧請されたとの由緒をもつ久美浜町三分鎮座の意布伎神社へ。
駐車場から撮ったので、社殿の横しか撮れていません。
その奥に意布伎神社とは別の祭祀があったのではないかと想像される空間がありました。
そして、この手前の寄付者の石碑が私にとっての収穫でした。
左端が「家城」さん。かつての表記は「いへき」です。
「イフク」「イフキ」の揺れに対し、「イヘキ」「イホキ」の揺れが存在していたのです。
これはちょっと想像すらしていませんでしたね…。
 
こうして海岸線から南下していったわけですが、画像を見てここだけは無理そう…と
感じた伊吹神社久美浜町三原にありました。
まず駐車スペースが無いし、階段の上を撮った画像を見ると荒れ果てた感じ…。
鳥居手前の道幅の狭さを知れただけでよしとします。
現在、久美浜湾の周辺に残るイフキ神社4社。
その意味を考えることは重要ですが、一朝一夕に解決するものではありません。
今日は和久傳ノ森でのランチを楽しもうとやってきました。
 
和久傳は明治3年に和久屋傳右ヱ門が丹後で創業した旅館に始まりますが、
「和久屋」はもともと若狭の廻船問屋だったそうです。
丹後の料理旅館では「間人(たいざ)蟹」を囲炉裏で炙ってもてなしており、
高台寺和久傳にもそのスタイルが継承されていました。
「間人蟹」は間人漁港から出る僅か5隻の小型船が水揚げしたズワイガニのこと。
その解禁に合わせて、ちょうど1年前、高台寺和久傳で御馳走になりました。
 
和久傳は「おもたせ」などの物販商品をつくる工房を久美浜に建てました。
それを機に、土山だった敷地に2万本あまりを植樹して和久傳ノ森を作ったそうです。
工房レストラン MORI でランチを頂きました。
今日は期間限定の、和久傳の「無農薬コシヒカリと鰻の釜炊きご飯」がありました!
それから、数量限定「のどぐろの焼き霜と丹後野菜の黒寿司」。
和久傳はお米だけでなく、お野菜も無農薬です。
そして同じく数量限定「丹波牛のローストビーフと丹後野菜の黒寿司」。
あとは無農薬のお茶やここでしか食べられない「れんこん餅」など頂きました。
お土産として買った「蓮(はす)もち」は日持ちのするパック詰めです。
 
これで幾つもの念願を果たした我々は、意気揚々と豊岡駅へ戻り、山陰本線に乗りました。
山陰本線では、いつか必ず行きたいと思っていた空の駅「あまるべ」を通るのが楽しみです。
明治45年1月に完成した「餘部鉄橋」を見ることは叶いませんでしたが、致し方ありません。
たくさんの観光客が見学にいらしていて、列車に手を振ってくれました。
 
鳥取へ移動してチェックインしたのち、今晩はいよいよ「味暦あんべ」の親がに丼です。
超人気店ゆえ、8月に予約。親ガニを10パイ以上使うため、時価で、まだ今年の価格が
決まっていませんでしたが、豊岡駅付近で電話があり、今年は15,000円だと言われました。
驚きつつも、次はいつ食べられるかわからないので、予定通りのコースを頂くことに。
春菊とシラス、アジの甘酢漬けといった普通のお通し。
超新鮮コリッコリのお刺身。
分厚い目鯛の照り焼き。
カレイのコツ蒸し。
焼き物は…聞いたのに食べるのに夢中で…忘れました!?
私以外の方々は鳥取松茸の天ぷらで、こちらは小麦アレルギー向けメニューでした。
そして遂にあんべ名物「親がに丼(去年は10,000円、今年は12,000円でした)‼︎
せこがにの外子がこれでもかって言うくらい入っている「かに汁」はおかわり無料!
もちろん、おかわりをしました!!
人として、他人様にご飯を作って貰えるだけで有難いのに、
連日このような贅沢をしてよいものでしょうか?
先ずは、うちで私の作り置きを食べている家人に「ごめんなさい」です。