藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

豊岡姫(とよをかひめ)

(あづま)で安曇(あづみ)=豊玉族の足跡を見つけ、
下総国常陸国に残る蘇我・小野・和邇氏らの足跡に照らして
彼の氏族らが浅からぬ関係にあったことに気づきました。
豊玉姫が八尋のワニと化して、のちに初代天皇となる神武天皇
父 ウガヤフキアヘズノミコトを生んだという神話も
ワニ氏と豊玉族=安曇氏の関係を暗示するものでしょう。
(私は、神話にまつわる安曇氏の歌が宮中祭祀の中で伝承されてきた経緯を踏まえ、神楽歌を演奏修行中)
 
ワニ氏は、丸邇、和邇、丸などとも書く古代の豪族で、春日氏を称する一族を
筆頭に、大宅(おほやけ)、粟田(あはた)、小野、柿本(かきのもと)などの諸氏に分枝。
5-6世紀に大王(天皇)家の后妃となった者は、のちの蘇我氏と並び最多を数え、
応神、反正、雄略、仁賢、継体、欽明、敏達などと婚姻関係を結んでいる。
後漢中平年間(184-9)の紀年銘をもつ鉄刀を出土した東大寺山古墳を含む櫟本古墳群は
ワニ一族の墓所と推定され、系図に「和珥氏系図(駿河浅間神社旧蔵)がある。
と『日本大百科全書』にあります。
 
春日氏を称する一族を筆頭に」は、
『八幡愚童訓』の「安曇磯良ト申ス志賀海大明神 大和国春日大明神」とも
合致するため、ワニ族諸氏と安曇氏は同族なのでしょう。
 
ただし、春日大社鹿島神宮も、とうの昔に藤原氏の神社に変わっています。
日本の寺社は、創建当初のデータからはかけ離れている場合が多いので要注意です。
そのため一々足を運んで、鳥居の扁額などで社名の変遷を確認したり、
現在の社伝や祭祀などを見聞きしている次第です。
 
今日は意味がわからないまま演奏してきた「豊岡姫」について考えを整理してみます。
予め、下の神楽歌の歌詞に出てくる「利根川」の位置を確認しておきましょう。
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群馬県北部の大水上山(1840m)に源を発する「利根川」は、承応3年(1654)に徳川幕府
現在の銚子市で太平洋に注ぐルートに改変する前は、東京湾に注いでいました。
↓の神楽歌では、ふつう「あ()にます」と歌われる歌詞が「あにます」になっている点にも注目。
「シ・シ・シ」と同じ語尾変化「ア・ア・アの実例ですね
 
(ささ)
 
古乃佐々波(この篠は) 伊津古乃佐々曾(いづこの篠ぞ)
安母仁万須(天に坐す) 止与遠賀比女乃(豊岡姫の)
美也乃美佐々曾(宮の御篠ぞ) 美也乃美左々曾(宮の御篠ぞ)
 
佐々和介波(篠分けば) 曾天古曾也礼女(袖こそ破れめ)
止禰賀波乃(利根川) 伊志波布無止毛(石は踏むとも)
伊佐賀波良与里(いざ河原より) 伊佐加波良与里(いざ河原より)
 
「豊岡姫」の歌詞は、この神楽歌だけでなく、
《幣(みてぐら)》《杖(つゑ)》《桙(ほこ)》といった「採物(とりもの)」のほか
「小前張(こさいばり)」の《薦枕》にも見られます。
 
ところが、この「豊岡姫」に諸説があって、よくわかりません。
「豊岡姫」を
賀茂真淵(伊勢の外宮の祭神たる)「豊宇気姫」を歌い誤ったものとし、
『梁塵愚案抄』は「大日孁尊(おほひるめのみこと)」=「天照大神」の名、
『梁塵後抄』は「止与宇気姫」=「豊受大神(伊勢の外宮の祭神)としているのに、
伊勢神道度会神道では「豊受大神」は天之御中主神・国常立神と同神で
天照大神」の御饌(みけ)の神ではないと否定しているのです。
御饌の神については、和久産巣日神(わくむすひのかみ)の子神の
豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)のことで、
丹後国風土記』にある奈具社(なぐのやしろ)の祭神だと言っています。
 
また、『日本古典文学全集25』(小学館)は、
「豊岡姫」を外宮の祭神と定められない以上、
(その歌詞を用いた歌が)外宮の神楽歌だったとはいいきれない。
宇迦之御魂神を主祭神とする“稲荷信仰”のように、
「豊岡姫」も食物穀物の神として一般的な信仰を受ける神であったのだろう。
と結論づけていますが、こちらも理解に苦しみます。
 
一般に“稲荷信仰”と言えば、荼枳尼天(だきにてん)が想起され、その起源は
裸身で虚空を駆け、人肉を食べるインドのダーキニーとされています。
「荼枳尼」という名は梵語のダーキニー(Ḍākinī)の音訳だそうですから。
 
私がこれまでに行った宇迦之御魂主祭神としていたはずの神社の多くは
社殿や鳥居を真っ赤に塗り、キツネのオブジェを並べていました。
よって信仰の対象が外国の神に変わっている可能性があるわけですが、
日本の宮廷には古くから園神(新羅神)と韓神(百済神)が祀られていたと
辞書にあるため、ヒンズー教の神を拝んでも不都合はないのでしょう。
 
ただ、古代歌謡の場合、最も大切なのは“言霊”なので、発音のまるで違う
「いなり・ダキニ」と「うか・うけ」を安易に結びつけるのは危険かな…と。
 
「あら+いそ」が「ありそ」になるように、
「とよ+うけ」は「とゆけ」とも呼ばれます。
「豊岡姫」の別称に、登由宇気神、等由気太神、止与宇可乃売神 etc.があるように
「とよ」「うか・うけ」の響きが重要であろうと思うわけです。
とはいえ、『古事記』に豊宇気毘売神とあるも、『日本書紀』には出てきません。
ただし「とよ」が豊玉族=安曇氏に関係することは疑いようがないでしょう。
では、「うか・うけ」とは何か?
 
日本書紀(720)神代上の一書(あるふみ)にこう記載されています。
葦原中国(あしはらのなかつくに)保食神有りと聞く」
保食神、此をば宇気母知能加微(うけもちのかみ)と云ふ」
 
日本書紀』にある保食神(うけもちのかみ)は、『古事記』には登場せず
大気都比売(おほげつひめ)が同一神とされているようです。
古事記』にある大気都比売は、御饌津(みけつ)の神で、
辞書に「ウカノミタマの別名。神道で食物のことを司る神。」とあります。
 
ウカノミタマは宇賀魂命とも書かれ、宇賀神も穀物や豊穣の神とされています。
宇賀神は基本的に人面蛇体でトグロを巻いており、蛇は豊穣とも結び付けられます。
そういえば、「豊岡姫」の別称に大物忌神がありました!!
辞書によれば、山形県鳥海山上に祀られた大物忌神社の祭神で、
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と同一神とされるとありました。
 
すると、「とようか」とは、龍蛇ということになりましょうか。
対馬では安曇磯良が金色の蛇に譬えられていましたし。
あ~、やっとスッキリしました。
うか」をキツネやダーキニーと付会させることに違和感があったため。
 
私が最初に宇賀神らしき像と出合ったのは2013年の正月でした。
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「妙見様」として草むらにポツンと置かれた像を見て驚愕!?
宇賀神が人面蛇体とは知らず、ヘビにグルグル巻きにされているのかと
勘違いしたと同時に、それだけでは済まない何かを感じました。
とはいえ、今も宇賀神のことを理解できているわけではありません。
ただ“言霊”だけを頼りに演奏修行しています。
 
この宇賀神を撮ったのは下総国倉麻郡意布(おふ)郷、我孫子市新木の
葺不合(ふきあへず)神社でした。
祭神の彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)
日本神話では火遠理命(山幸彦)と海神の娘 豊玉姫の子で、
叔母の玉依姫との間に神武天皇を儲けています。
鵜の羽で葺き始めた産屋が葺き終わらぬうちに生まれたため
「ふきあへず」と名づけられたと言われますが、
その名は「うぶや」ではなく「うがや」です。
海神族の神話では「安曇磯良=ウガヤフキアヘズ」なので、
海人族の視点でみれば、対馬で金色の蛇に譬えられた磯良を
八尋のワニたる豊玉姫が産んだという意味ではないかと思えてきます。
 
では、最後に、大胆にも(!?)私の仮説を述べておきたいと思います。
先のブログに引用した『梁塵秘抄 口伝集』の
阿知女於介、是なん神楽根本神語也。」の「阿知女」は安曇。
日本神話では「づみ⇒づめ」の転訛で天鈿女(天宇受売)命を誕生させ、
天照大神の岩戸隠れの段で活躍させています。
すると「於介」は、宇賀(うか)や宇気母知(うけもち)の「か・け」を
け」に転訛させたのではないかと考えざるを得なくなります。
ただ「とよか」の場合、「とよか」とワ行音に転訛しているため
け」ならドンピシャでした…(「う・お・を」を発音の揺れの範囲内と仮定)
 
とようか(歌詞)安曇宇賀 ⇒「あぢめおけ(歌詞)
 
これが、『梁塵秘抄 口伝集』に「阿知女 お介の二ツ」のみが「神語」だと
書かれている意味を15年間考え続けてきた私の、初めて立てた仮説です。