今日は立山へ行きますが、待ち合わせの前に一人でタクシーに乗ってます。
これは素晴らしい社叢ですね…。
観光神社じゃない氏神様にお邪魔させて頂くと身の引き締まる思いがします。
今日はこういう雰囲気の場所を選んだつもりですが、
実際には行ってみるまでわかりません。
運転手さんは次の甲斐崎山も御存知ありません。
(ここ大事!!)
行けども行けども眺望すら無く、不安でしたが、
子タヌキが出迎えてくれました。
住所は津幡町笠谷地区の大熊(おんま!?)区ですが?
甲斐崎山(189m)の山頂近くにある甲斐﨑神社。
社叢にアカガシの原生林が含まれ、県の天然記念物に指定されているとか。
想像以上にダラダラ坂を登りました。
覆屋で社殿は見えません。左手に境内社?
出身だったからで、同家の守り本尊(十一面観音)を安置したことに始まるとか。
甲斐国からなぜ、わざわざこの地に? と妄想すると、やはり
新天地を求めた家臣は少なくなかったのかもしれません。
資源のある土地に先住する民との諍いもあったでしょう…。
こののち「あいの風とやま鉄道」に乗るため倶利伽羅駅へ向かいます。
駅の近くに笠野神社があったので立ち寄ってみました。
これは…私の好きなタイプの神社ですが、時間が押してます。
線路際まで戻ると↑
それが当地の観光資源なのでしょう。
私は倶利伽羅駅から「あいの風とやま鉄道」に乗り、高岡へ。
こ~んな感じの線路を走ってます(先ほどの笠野神社への参道。線路でぶった切れてます)。
しかしながら高岡では私の調査不足で、恐らく日本で最も高いタクシー代を
払う羽目に陥ってしまいました(石川県からタクシーで富山県に入るべきだった…!!)。
まさしくこの看板にある物部神社を探していました。
断崖絶壁に建っていると思ったら「土砂災害警戒区域」の上でした!?
もう一社興味を惹かれる社名が。
なぜか代行の車が停まっていますが、多胡神社です。
ところが、石段を登ってゆくと八幡神社!?
社紋も鳥が向かい合う「八」の字でした。
なぜ「多胡」の社名に興味をもったのかというと、
詠んだ和歌が『万葉集』に収められていたからです。
しかし、かつての「多胡の浦」を含む一帯は埋め立てられており、
現在の上田子地区・下田子地区一帯が古代の「多胡」とされています。
多胡神社は上田子公民館から上がる道沿いに鳥居があったので
社殿の位置から「多胡の浦」を一望できたのではないかと感じました。
もはや市街地(平地)にある神社にあまり魅力を感じなくなった私。
ここ二上射水神社は真っ赤な鳥居に恐れをなして素通りしてしまいました。
タクシーではここに着けるしかないと言われ降ろされました!?
他人様のお宅へ入ってゆくかのようですよね?
他人様のお宅へ入ってゆくかのようですよね?
通り抜けたら、小さな港に面していました。
ついでに、地図上にあった放生津八幡宮へも行ってみることに。
放生津なら宇佐八幡? と思い、外から撮影しただけですが。
まさしく当地が「奈呉之浦」だそうです。
しかしながら「再興」とあるように、家持が朝廷に派遣される前からの
祭祀があったことは確実でしょう。