藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

津幡~高岡

今日は立山へ行きますが、待ち合わせの前に一人でタクシーに乗ってます。
朝一番は石川県河北郡津幡町指定の天然記念物たる出雲神社の社叢。
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これは素晴らしい社叢ですね…。
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観光神社じゃない氏神様にお邪魔させて頂くと身の引き締まる思いがします。
今日はこういう雰囲気の場所を選んだつもりですが、
実際には行ってみるまでわかりません。
運転手さんは次の甲斐崎山も御存知ありません。
(ここ大事!!)
行けども行けども眺望すら無く、不安でしたが、
子タヌキが出迎えてくれました。
住所は津幡町笠谷地区の大熊(おんま!?)区ですが?
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甲斐崎山(189m)の山頂近くにある甲斐﨑神社
社叢にアカガシの原生林が含まれ、県の天然記念物に指定されているとか。
想像以上にダラダラ坂を登りました。
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覆屋で社殿は見えません。左手に境内社
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地名は、慶長年間(1596-1615)以後、十村(とむら=大庄屋)を務めた兵右衛門家が甲斐国
出身だったからで、同家の守り本尊(十一面観音)を安置したことに始まるとか。
甲斐国からなぜ、わざわざこの地に? と妄想すると、やはり
近くの谷(ヤンタン)にかつて無色透明の大熊鉱泉が湧き出ていたからかと?
甲斐国と言えば、武田信玄(1521-73)の隠し金山や隠れ湯が有名です。
信玄の葬儀が勝頼により天正4年(1576)4月16日に恵林寺で行われて以降、
新天地を求めた家臣は少なくなかったのかもしれません。
資源のある土地に先住する民との諍いもあったでしょう…。
 
こののち「あいの風とやま鉄道」に乗るため倶利伽羅駅へ向かいます。
駅の近くに笠野神社があったので立ち寄ってみました。
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これは…私の好きなタイプの神社ですが、時間が押してます。
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線路際まで戻ると↑
倶利伽羅峠の戦い(1183)平氏の大軍を破って入京した木曽義仲(1154-84)ですね。
それが当地の観光資源なのでしょう。
私は倶利伽羅駅から「あいの風とやま鉄道」に乗り、高岡へ。
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こ~んな感じの線路を走ってます(先ほどの笠野神社への参道。線路でぶった切れてます)
 
しかしながら高岡では私の調査不足で、恐らく日本で最も高いタクシー代を
払う羽目に陥ってしまいました(石川県からタクシーで富山県に入るべきだった…!!)
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まさしくこの看板にある物部神社を探していました。
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断崖絶壁に建っていると思ったら「土砂災害警戒区域」の上でした!?
 
もう一社興味を惹かれる社名が。
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なぜか代行の車が停まっていますが、多胡神社です。
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ところが、石段を登ってゆくと八幡神社!?
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社紋も鳥が向かい合う「八」の字でした。
なぜ「多胡」の社名に興味をもったのかというと、
越中国守に任ぜられた大伴家持が仲間とともに「多胡の浦」を訪れて
詠んだ和歌が『万葉集』に収められていたからです。
 
しかし、かつての「多胡の浦」を含む一帯は埋め立てられており、
現在の上田子地区・下田子地区一帯が古代の「多胡」とされています。
多胡神社は上田子公民館から上がる道沿いに鳥居があったので
社殿の位置から「多胡の浦」を一望できたのではないかと感じました。
 
もはや市街地(平地)にある神社にあまり魅力を感じなくなった私。
ここ二上射水神社は真っ赤な鳥居に恐れをなして素通りしてしまいました。
御神体山たる二上山へは登ってみたかったのですけれど…。
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このまま高岡駅から富山駅へ向かえばよいものを、少し時間があったので
射水市まで富山湾を見に行くことに。海辺にふさわしい西宮神社がありました。
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タクシーではここに着けるしかないと言われ降ろされました!?
他人様のお宅へ入ってゆくかのようですよね?
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通り抜けたら、小さな港に面していました。
ついでに、地図上にあった放生津八幡宮へも行ってみることに。
放生津なら宇佐八幡? と思い、外から撮影しただけですが。
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当宮の由緒に「天平18年(746)に大伴宿禰家持が宇佐八幡神を勧請した」とあり、
大伴家系譜記に「天平神護元年(765)、大伴宿禰家持が奈呉八幡宮を再興」とあるとか。
まさしく当地が「奈呉之浦」だそうです。
しかしながら「再興」とあるように、家持が朝廷に派遣される前からの
祭祀があったことは確実でしょう。